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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

どこにいるの?





だいすきなじいちゃんと別れ、
横浜に帰って来た。
じいちゃんの骨を持って帰って来た。
これからの一生を、また違った形で続く関係を、持って帰って来た。

ようやく、卒業と教員免許の取得が決定した!
ほっとした―。
ほんと、トンマだから、どっかで仕損じるんじゃないかと誰よりも心配だったのはこの私さ!
言われるまでもないよ、超心配だった。
けど決まったから!
あーよかったー。

卒論も、十分すぎるお褒めの言葉をいただいたし、
惚れた腫れたも過ぎ去った。
空気は冷たいけど日差しは暖かな春の予感。
こんなにも喜ばしい気持ちで春を迎えたことがあったろうか!

私の心や、力が、少しずつ私のものになってきている。
なにこの、充実感!力!たぶん、心と体の痛み!

じいちゃんの看病、通夜などと前後して、
福満しげゆきさんの『僕の小規模な生活』にがっつりハマってしまい、
6巻などは声をあげて笑いながら読んだ。
私はなんだかんだいってすぐにキャパがいっぱいになってパニックになってしまうので、
看病や通夜などで、すごく強い感情が直接心に流れ込みそうになるのを、
自分とはまったく違う自意識に逃げこんで回避します。

だからこの時期に読んだ、
小島政二郎『円朝』や山田太一『冬の蜃気楼』、
福満しげゆき『僕の小規模な生活』には、
大変助けられたし、何より影響を受けています。
こんな遠回しな言い方をしても仕方ないな。
もう、大好きです、この方々。たまらないです。

自意識が強いことはさることながら、そこがまったく安住できる場所ではなく、
絶えずそこからはみ出したり突っ走ったりしながら、
自分ではない人間、他者の心に触れて、
喜んだり痛んだりする。

これを当たり前だって思ってる人、いるでしょう。
普通のことだしみんなやってると思ってるでしょう。

案外やってないんですよ、みなさん。

けっこうたくさんの人が、傷つくのが怖くてある程度他人に対して無関心決め込んでるんですよ。
それか本当に興味がないんですよ、自分以外の人間に。
びっくりするくらい。
子どものころ、何にもわけわからんから虫とか平気で触ってたけど、
物ごころついて知恵が回り始めると触れなくなるでしょ。
それと一緒で、ずんずん人に踏み込んだり人が踏み込んできたりすることをゆるしていたのが、
そういうこと自体をしなくなっていくんですよ、だんだん。
私は大人になるのが結構遅かったので、そのあたりかなり自覚的です。

理由は様々ありますが、一番はエネルギー不足。
仕事もたくさんあるし、夏休みはないし、時間もお金も有限なのが大人の世界。
「見たことのないもの」「しらないこと」もだんだんと減っていき、
刺激に対する耐性があるようでなくなっていくんです。
新たな刺激が怖いんです。
今まで培ってきたよりどころを、大きな力でひっくり返されることを嫌うんですよ。
それが怖いために、自分の今考えていることが正しいと思いこもうとする悪循環。
大人になればなるほど心を新しくする機会が減って、どんどん腐っていくわけです。

心が腐る、というのは比喩ではないと私は思っています。
心が腐ってしまうと、新しくなる機能が衰えて、
自分自身の情動や外界からの刺激にすごく鈍感になってしまうのです。
しかも、世界はこくこくと変化しているので、どんどん世界と齟齬が生まれていく。
挙句の果てに「世の中は何もわかってない」とか中学生みたいなことを言い出す始末。
目も当てられない!

そういうことをさせない為に、
芸術は闘っているのだと思います。
自分の外に世界があるということを教えるために、
芸術があるのだと思います。
宗教もそうです。
「自分がいちばん正しい」なんていってくれる宗教は、この世にありません。
自分よりも大切な物を知るために、宗教があるのだと思います。
自分の外に出るための方法を教えてくれるのが、宗教だと思います。

自分のことしか考えられない私が、自分をちゃんと愛するために、
他者のことを生かすことができるように。



自分を愛するということは、他者を生かすということなのです!
だから愛だなんだとのたまって他者を支配しようとするのはおやめなさい。
それ、愛じゃないから。
むやみに自分を犠牲にしようとするのもおやめなさい。
それも、愛じゃないから。
他者を生かすことによって、自分を愛するのですよ。
それが心にとって一番いいことなのです。
さみしさに抗うただ一つの方法なのです!


散文!!!
# by mouthes | 2014-03-10 15:50 | footmarks

「まぶしい」の地平で

「まぶしい」の地平で_f0112996_22594927.jpg







曽我部恵一「まぶしい」を聴いてる。
何度も何度も。
アルバムに先駆けて2/28に渋谷クアトロのライブに行ったことも強く影響している。



2/28の曽我部さんの放つ緊張感といったら、みたことがないほどすさまじかった。



事前情報にあったとおりの曽我部さんマイクのみ、尾崎友直さんギター、ソカバンでおなじみオータコージさんドラムという、
アメリカ西海岸を思わせるような(よく知らないけどそういうイメージ)不思議な編成は、
ライブハウスで目の当たりにしてもやっぱり不思議だった。
この編成を聞いて色めきだってワクワクした人もいれば、二の足を踏んだ人も多いだろう。
多作であり、七変化のように様々な表情を見せる曽我部さんの音楽だからこそ、
「またあのわかんないやつかな?」って思った人もいるだろう。
朗読とかラップを見せ続けられるやつなら今回は見送ろう、弾き語りかソカバンじゃないならやめておこう、
そんな風に行くのをためらった人もいるんじゃないかな。

結論から言うと、



あーあかわいそうにこのマヌケ!



って感じです!!!!



あの日見たものを適切に言葉にできる力が、今の私にはありません。
だって、今までのこととこれからのことが、
一気に体に流れ込んできて今の自分の中でひとつになったんだもん。
そんな体験は、本当に久しぶりだった。
5年前の受験勉強をしていた5月の昼下がり、
なぜか突然私の命は太古まで遡ることができるという事実を実感したあの瞬間とか、
生まれて初めて好きな人とセックスをして自分の痛みよりも他人の快楽を望めた時とか、
そういう時に味わった「これまでとは決定的に自分が変わってしまう瞬間」が、
あのライブにはあった。



何が変わってしまったか、わかるまでには時間がかかる。
だけど変わったことだけははっきりとわかる。
私が頑なにこだわっていたことの全てが、本当にくだらないことだとはっきりわかった。
名前や、契約や、経験による裏付け。
人の感情をつなぎとめる技術。
自分を卑下すること。
私を満足させるために必要だと思っていたことの全て。



なんて儚くてつまらないあれやこれ。
それをかき集めることに必死になって見落としてしまったものが、
そのライブには確かにあった。

それはわたしの感情。
好きな人に働きかける気持ち。
うれしいことをうれしいっておもうこと。
いじけたり諦めたりすることよりももっともっと強い求心力で私を巻き込む、
人の心に触れたいというあの強い欲望。



できることが増えて、選ぶことができるようになった時に忘れてしまったことが、
こんな形で自分に返ってくるなんて。

曽我部さんはFacebookに「自分の歌の上に重なっている色々なものを、ひとつずつゆっくりとかきわけていくような、払い落としてゆくような」ライブをしたというようなことを言っていたけど、
削ぎ落とせば削ぎ落とすほど、ライブハウスに曽我部さんが充満して行くあの感じは一体なんだったんだろう。
景色やメッセージが単純であればあるほど、見たこともないように感じるのは一体なんだったんだろう。
飽きるほど聞いたことのある歌が、思い出も感情も引き摺り出して体の中で爆発したのはいったいどういうわけだったんだろう。



聞き流すことのできない歌による嵐が、
私をずぶ濡れにして心の奥まで染み込んでしまって未だに乾かない。
私が今まで何を持っていたというのだろう。
手に入らなくて泣いて歯ぎしりをしていたものはなんだったのか。
はじめから、そんなものはなかったのに。

いままでデコボコの獣道だと思ってあくせくしていたものは、
それは自分が背伸びしたり這いつくばったりしてるだけのただの平らな地平だったって、言ったら信じる?



私が持っているものも、欲しいものも、たったひとつだけだった。
自分だ。
私は自分であって、自分になりたかった。

何度も聞いたことのある台詞。
聞いたことのある歌。
見たことのある景色。
その意味がやっとわかったのは、一瞬だけ自分になれたからだと信じたい。

「まぶしい」が歌っているように。
# by mouthes | 2014-03-03 20:31

自分がわからないの刑

自分がわかりかたくてしかたなくてそれに心をかけてきたんだけど、
結局いま、自分がわからないの刑に処されています。

まさか自分がこんな状況に陥るとは思わなんだというか、
すげー、マンガかよ!って思ってるよ。

ずっと欲しかったものが手に入ったはずなんだけど、
なんか、その時は楽しいんだけど、疲労感が強いというか、
無理してるっていうのともちょっと違うんだが、すごく楽しいのに心に何も残らないっていうか・・・

この切れ味の悪さだけでわたしがいかに「自分がわからない」かが伝わると思います。

欲しかったんだよなあ、ずっと。ずーっと。








選ぶとか選ばないとか、切るとか切らないとか、
途中で「え?そんな話でした?」って何度思ったろう。
誠実さってなんだっけ?
みんながカードを隠してするゲームなんだもん、いいところだけ見せ合うような。
欲しいものが欲しいだけでこんな弊害があるなんて。
自分がずっとやってきたやり方が、思わぬ形でこじれていく。
ガンガン踏み込んでガンガンふりまわして思いっきり好かれて思いっきり嫌われて、
喜びも傷も胸いっぱいだった。
なけなしの自尊心も恥ずかしさも胸いっぱいだった。
そのやり方で人も自分も失望させてから、やり方を変えて頑張った結果がこれなんだけど、
なんか間違ったかな?









何をおいても疲れちゃって楽しくないのは大問題だ。
誠実さがないと心に何も残らないんだ。
ふられてばっかりでずっとみじめな気持ちだったときの方が、
よっぽど心にしまうべきものがあった。
周りの人に甘えて、恥も外聞もなくて、いいところなんて一つもないくらいみじめだったけど、
外に出ようともがく心が私をどんどん開いてくれた。
私はそういう風に生きてきたんだなあ。
そういうやり方しかできないことを悩んでいたけど、
得ていたものが確かにあったんだ。




ここで、中村一義の「そこへゆけ」をどうぞ。
# by mouthes | 2014-02-23 03:57 | footmarks

有頂天

君の心の扉をたたくのは、いつも僕さって考えてる!






いろんなことがあって、最終的には浮かれている。
ひとつずついろんなことが片付いて、この春大学を卒業する。

3年前あんなに好きだったあの人と、
大好きだったけど物別れになってずっと後悔していたあの人と、
最近仲直りした。

久しぶりに話した。
変わらないんだよね、話すことも、話し方も。
変わったところはあるけど、すごく些細なことも覚えてるから、時間が経ったことが分からないんだよ。
一緒に観た映画も、飼ってる犬の名前も、きっと言った場所も、話したことも覚えてる。
何を話してもすぐわかる。
お互いに。

懐かしかったなあ。




でも、なんてタイミングが悪いんだろう。
この人とは相性がいいのに、いつもタイミングが悪いなあ。

浮かれるほど好きな人がいるんだ、今。
好きな物も感じ方も全然違うけど、好きな人がいる。
その人に会えると思うと、楽しみでしかたないんだ。
他の誰より。




あんなに好きだったのに。
あんなに苦しかったのに。
時間が止まったようだったのに、なあ。




この気持ちを音楽に閉じ込める。
大切なものにしよう。
大事にしまっておこう。







”Center of Universe”

1. ドアをノックするのは誰だ?/小沢健二

2. 8823/スピッツ

3. Sunday People/スーパーカー

4. モーニングコーヒー/モーニング娘。

5. 日の出の日/中村一義

6. やわらかな日/斉藤和義

7. バンザイ~好きでよかった~/ウルフルズ

8. BABY BABY/銀杏BOYZ

9. キラーチューン/東京事変

10. 1/2/川本真琴

11. CIDERが止まらない/かせきさいだぁ

12. ハレンチ/岡村靖幸

13. 相合傘/はっぴいえんど

14. また逢う日まで/SOUL FLOWER UNION

15. そして最後にはいつもの夜が来て/曽我部恵一BAND
# by mouthes | 2014-01-29 15:22 | So Fun
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圧巻のトニー・ケイ。
「私に思想はない」という言葉がどれほど真実かはわからないけど、
この人の人間を見る目は、やさしい。

トニー・ケイの作品は、ほかに「アメリカン・ヒストリーX」という映画しか観たことがない。
あの映画もすごかった。



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”ネオナチのカリスマ”だった兄をもつ少年が、黒人の校長にある課題を出される。
それは自分の兄についてのレポートを書くこと。
タイトルは「アメリカン・ヒストリーX」。
人を殺して入った刑務所から出所した兄の変化を読み取ることで、
アメリカにある差別と暴力が見えてくる。


当たり前のようにある差別、搾取と排除。
自分の目線で相手を理解することの難しさ。
一人で生きているつもりが周囲に守られていて、守りたかったものを守れない苦しさ。

こんなに人の心をえぐるのに、この映画は誰にも感情移入していない。
すれ違うことや、傷つけてしまうことに理由はない。
みんなわけもわからず生きて、わけもわからず死んでいく。
もっと良くなりたいと、それだけを願って。



「デタッチメント」の深度は、「アメリカン・ヒストリーX」のさらに上を行く。
もっと良くなりたいと願っているのは、どんな生い立ちのどんな年齢の人でも変わらない。

主人公、ヘンリー(エイドリアン・ブロディ)は倒れかけた学校を再生するための臨時職員として雇われる。
彼が持つのは英語の授業だ。
生徒たちとぶつかるのではなく、なだめすかし、言い諭しながら、自分自身と向き合わせる。
爆発しそうな感情は、誰かにぶつけて解消するべきじゃない。
自分と向き合うことで、「今よりももっと良くなれる」、そう信じてる。

同僚とも、家族とも、生徒とも、深入りはしない。
深入りすれば傷つくし、傷つけられる。
何かを期待すれば、裏切られたときに相手を呪ってしまう。
愛そうとすれば憎んでしまう。
「今よりもっと良くなる」ためには、深入りせずにできることだけをすればいい。
期待も失望もしないやり方が、継続には必要だと信じている。

ヘンリーは、自分の感情を語らない、語ることができない。
彼がかろうじて語ることができるのは、仕事のことだけ。
そして仕事について語ることで、彼は自分自身の心の奥を見つめることになる。



この映画といい、「BIUTIFUL」といい、
言いたいことが言えないということは、なんて悲しいんだろう。
人を愛したいのに愛せないということは、なんてさびしいんだろう。
そんな中で心が触れ合うということは、こんなに暖かく輝いているんだろう。
血と、痛みと、悲しみが、やさしさを指し示す。







今日も、がんばれよって、言ってるよ。
# by mouthes | 2014-01-26 17:12 | Movies&Books