皆殺し文学はやめだ

by mouthes

美しくないわたしの物語

問わず語りが板についての2014年。もうすぐ25歳になります。

最近音楽を聴いていて、思うことがあります。
それは、少し変な言い回しですが、音楽がまるで人間のようだということ。

音楽それ自体は「人」ではないし、それは小説や、映画や、絵画や、あらゆる芸術作品に言えることです。
作品それ自体は、「人」ではない。

それなのに、まるで出会ったように感じるのです。
その「人」と出会って、話しかけられて、揺さぶられて、私が変わっていく。
聴くまえと聴いたあとで、何かが変わってしまうことを、はっきりと感じるのです。
同じ作品の同じ所で、違うときに聴くだけでまったく違う形になっていく。
他ならぬ「私」自身が。
もちろん、曲は変わらないのに。

これはありふれた言い回しですが、まるで魔法のようです。

私たちの揺れ動く体や心は、いずれ無くなっていくもので、それでいいのだと思います。
そして過去は記憶の中にしか存在せず、
別れた人と会うことは、きっともう二度とない。
年をとればとるほど、さよならは一生ものだ。
会いたい人も、会いたくない人も、どんどん会えなくなっていく。

あの時の自分も、もう私ではないんだ。
過去にしかいない存在に、想いを馳せても届かない。




だけど作品は残る。
形を変えずに残る。
いずれ消えてしまうかもしれないけれど、人間よりは確かな形で、人間らしい顔をして、
同じ時の同じ場所から、未来の私に語りかける。
人には会えないし、相性が良くてもこっぴどい失敗をしても別れたら別れっぱなしになるほかないのだけど、
できごとを愛して生まれた形は、残すことができる。
それがまるで人間のように、何度でも私と出会って、私を変えてくれる。
音楽は思い出だ。
その時のその人を残す、いつも、時折、思い出してしまう思い出そのものだ。




今日は久しぶりに強く夏を感じた。
私が思い出したのは2年前の初夏だ。
あれはひどく苦い思い出だ。
結果としてそうなってしまった。
あの人と会うことはもう二度とないだろうし、会いたくもない。
私は苦しんだし、あの人を傷つけたし、周りの人にたくさん迷惑をかけた。


だけど、ふと、こまぎれに場面を思い出す。
夕食の材料を買って近所のスーパーから歩いた夜道。
ふ、と下を向いて笑う仕草。
中身のないおしゃべり。
溶けかけたアイスと、携帯のアプリを使った囲碁。
クーラーの利いた部屋と日曜の間延びした空気。
そういうのってすごくありきたりで、どっかで聞いたことのあるような話で、
日常系の漫画にしたって鼻白むような場面なんだけど、
あのとき感じたときめきはとても綺麗だった。

いい加減消そうと思う。
もう腐ったので捨てて埋めたものを掘り返すようなことだから、
日記に消しゴムをかけるようにして全て忘れてしまおうと思うんだけど、
手が止まる。

あの人はろくでもないし思い出は苦いけれど、
あのとき感じた情動だけは、美化しなくても綺麗だ。
それを拒絶する必要は、ないんじゃないか。



私はこれを、恨んで、怒って、憎んでいる思い出だと思っていた。
傷つけられた屈辱だけを大げさに扱って、ずっとそう思い込んでいた。
でも忘れられないのは、悔しいからじゃない。
楽しかったからだ。
心地よかったからだ。
だから、忘れなくていいんだ。

私はもうあの時の私ではないし、あの人とはもう二度と会わないけれど、
たまに懐かしいと思うことくらい、してもいいんだ。



私はもう失敗した私を責めないし、
あの時はわからなかったあの人の弱さを、もう憎まない。
あれは失敗だった。それだけのことだ。
キラキラしていることもあった。それだけのことだ。
肯定するなんて言葉ほど単純じゃない。
あれが良かったか悪かったかなんて決めたってしかたない。
なかったことにはならないし、思い通りにもならない。
それでも「あったこと」をただ「あった」って認めることが、
こんなに柔らかい気持ちにしてくれるなんて知らなかったよ。









わたしはずっと、
「あったこと」が知りたかったんだ。
そしてそれを教えてくれるのは、自分でもなく、他人でもなく、
時間だけなんだ。
時間が経って、あとに残ったものだけ。
音楽のように、変わらない思い出が、私と出会って私を変える。
そのことがわかって、本当に良かった。

今日は良い日だ。
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# by mouthes | 2014-07-25 18:12 | footmarks
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四十九日のレシピ。


タナダユキの、最初に笑わせて掴みはオッケーな感じが好きだ!
女性で、性の風通しが良くて、人を笑わせようとする監督って、日本でタナダユキだけじゃないかな。

穴のあいた風船に、ふうふう頑張って息を入れ続けるがごとく、
ちぎれた心にぎゅうぎゅうと愛を込め続けるような切なさ。

どうでもいいところでぼろぼろ涙が出るのは、
登場人物の感情が、見せつけるのでも表現するのでもなく、ちっちゃなほころびからぼろっとこぼれて、
心の中に流れ込んできてしまうからだ。

コロッケパンを突き放した後に訪れた別れ。
思い切って大宴会をしようと言いだした良平さんの明るい声。
百合子が浮気相手を目の当たりにして何度も感じる屈辱、子どもに見せた笑顔。
若い日に乙美さんを追いかけた良平さん。
あとからあとから人がやってくる四十九日の大宴会。
イモちゃんに最後の檄を飛ばす良平さんの強く震えた声。

わかり合おうとするのではなく、寄り添うために擦り減るのでなく、
みんなの「君が好きだよ」っていう素朴な気持ちが交差して、また離れていく。
それに感化されて泣くわ泣くわ。
これ劇場で観なくてよかったなあ。


それにしても永作博美って、「八日目の蝉」もそうだったけど女の人の心の隙間を表現するとこの上ないよな。
俳優でいうと誰だろう。西島秀俊か。「さよならミドリちゃん」か。

心がしっかりした形をしていたときなんて、今まで一度だってない。
ぐにゃぐにゃしながら、がちがちになりながら、びちゃびちゃになりながら、からからになりながら、
あれー?こんな形だったっけ?って毎日が過ぎていく。
傷口が膿んで、それが喜びを生んだりして、うれしいんだかかなしいんだかわからなくて、
ほんの少しずつ言葉にしながら、心を分け合っていく。
正しいとか間違ってるなんてこと、とうの昔にどうでもいいことだ。



そーれにしてもタナダユキの映画も、エイドリアン・シェリーの映画もそうだけど、
男がショーもなさすぎるな!!!

昔は「男の人のダメな部分を愛す」視点みたいなこと考えてたけど、
ちょっとつまらなすぎるよなー!

乙美さんに十分愛を示せなかったことを悔いる良平さんも、
不妊と介護に誠意を尽くしてきた妻に貞節すら守れなかった夫も、
ほんとになんかこう、びっくりするわ。
うちの家族の男たちが皆よくしゃべる感情表現の得意な人間だからだけど。
当たり前じゃないんだなあ、思ってることを口に出すって。
自分の考え一つでどうとでもなったことをどうにもできなかった後悔って、さ、
ほんっとくだらねえ。つまらないし。関わり合いたくない。

でも、やっぱり人を愛するっていうことはさ、人のそういう部分すら愛するってことなのかもしれない。
乙美さんがしたように。百合子さんがしたように。



あー、良い映画だったな。
華美じゃなくて、感情に訴えかける熱量が低くて、器用じゃなくて。

平熱のままで、とても良い映画だった。
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# by mouthes | 2014-06-24 01:06 | Movies&Books

弱さそれ自体の魅力

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友達と議論しながらあーだこーだいって読んでる。
強さの対比としての弱さ、克服されるべき端緒としての弱さではなく、

弱さが放つ強烈な魅力。

弱い者だけが持てる切実さ。
死んだ物だけが持つ特別な娯楽価値!










芥川龍之介の「芋粥」の切実さ。
「「芋粥がたらふく食べたい」がしたい」という人の心の不条理。

負け犬根性植え付けるわけじゃないけど、
勝つことが目的でない戦いというのもあるんだよ。
自分が強くなるためじゃなくて、誰かを守るためのね。

ね、のび太くん。



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# by mouthes | 2014-05-17 03:58 | footmarks

わたしのがん、心の

自分が何より大事で自分にしか興味がないくせに、
欲しいもののためなら平気で自分を捨ててしまうこの性癖がわたしのがん。

そんな風に欲しかったものを手に入れても、
同化はできるかもしれないけどそれに価値を与えてくれる「わたし」が消え去ってしまうの。

だから人に好かれたいのに、人の好意の価値がわからないんだ。
愛玩されても満たされないんだ。
わたしが見失うべきでないのは神様で、
「わたし」に価値を与えてくれる自意識。

大事なものを、大事にしたいよ。
永遠に。



andymori / Peace


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# by mouthes | 2014-04-25 20:36

好きなものが好き

山田太一
ミヒャエル・エンデ
樋口毅宏
小島政二郎
芥川龍之介
坂口安吾
『とかげ』吉本ばなな
『神様』川上弘美

藤田和日郎
日本橋ヨヲコ
河原和音
王欣太
岩明均
諸星大二郎
古谷実
福満しげゆき

岡村靖幸
Lantern Parade
小沢健二
thee michelle gun elephant
銀杏BOYZ
曽我部恵一
SAKEROCK
ミックスナッツハウス
ZAZEN BOYS
ももいろクローバー
スチャダラパー

サム・メンデス
トニー・ケイ
エドガー・ライト
高畑勲

お家をさがそう
銀河ヒッチハイクガイド
デタッチメント
ホット・ファズ
ステイ・フレンズ
BIUTIFUL
500日のサマー
ウエイトレス
黄昏
フローズン・リバー
最高の人生の見つけ方
月とチェリー
おもひでぽろぽろ
Lie lie Lie
パッチギ!

ありふれた奇跡
ふぞろいの林檎たち(第1シリーズ)
東京ラブストーリー
ケイゾク
きらきらひかる

深津絵里
宮沢りえ
太田莉菜
ズーイー・デシャネル

窪田正孝
加瀬亮
北村一輝
豊川悦司
ハビエル・バルデム

エレ片
アルコ&ピース
日本エレキテル連合
ブラックマヨネーズ
さまぁ~ず

ノート
下駄
手ぬぐい

フィンセント・ファン・ゴッホ
ウィンザー・マッケイ
葛飾北斎
鈴木其一
長谷川等伯

『じいちゃんさま』梅佳代

「すこやかに」谷川俊太郎
「自分の感受性くらい」茨木のり子
「海を見せる」寺山修司

居残り佐平次
宿屋の富
星野屋
高砂や

三遊亭萬橘
立川談志




これに一貫性を見い出すことができません。
それが好みというやつらしいのですが、
整理するのめんどくさすぎる。
楽しいことぜんぶ好きです。予想もつかないことがぜんぶ好きです。
つかみどころのない、わからないものほど惹かれます。
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# by mouthes | 2014-04-17 17:47 | footmarks

強い色

君が喫茶店で、何を頼もうか迷う
手のしぐさが好きだった
目を伏せるから
眉を寄せるから
唇を触るから
低い吐息を漏らすから

いつも一瞬
そう一瞬
決めたときに君の眼は強い色を宿すだろ

決めることは怖い

奪われる心配がないから
全てを与えるつもりで
君が奪ったものをすべて
施しに回そうよ
それが君のものじゃないって
みんな知ってるよ

いつも一瞬
そう一瞬
すべて手放したときに君の眼は強い色を宿すだろ

決めることは怖い
覚悟が足りないから
見る前に飛びたいから
でも見なくても飛べるよ

夜が明ける前に窓越しで見た赤
日が沈む前の閃光のような赤
ふと顔をあげたときにだけ見える赤
あの色だけを知ってる
あの色だけを知ってる
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# by mouthes | 2014-04-13 21:13 | words

池上さんを呼んできて

ニュースだけじゃない。
世の中に私が知らないことで多くの人が了解済みのことが多すぎる。
わかりやすく説明してくれ。
この世界のあれやこれやを!!!!!!



でも自分で考えるしかないんだよね。

よくしゃべるから、自分で考えなさいって、あんまり言われなかったんだよ。
考えなくてもしゃべれるもん。
勉強もできないわけじゃないしね。
反射なんだよな、反射じゃダメなんだよな。

これから作ろう。ここから考えよう。
自分なりのやり方。
自分の見る世界。
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# by mouthes | 2014-04-13 19:10 | footmarks
「しゃべる」という動作がとにかく億劫で苦痛だという人がいるらしい。
頭を使い、口を動かし、相手の言っていることを理解するために聞く、
そういう動作に快楽のない人というのがいるらしい。

私には思いもよらないことだった!

他に例をあげるとすれば、「セックスが気持ち良くない」とかそういう話。

そんな人いるんだ!!!!



おもしれー!

しゃべるという行為だけで気持ちよくて楽しくて、これ以外は何もしたくないとすら思う私がいる一方で、

言語化されない感覚に価値はなく、議論にならない会話を無益な物と切り捨てられる、

そういう人がいるんだ!!!



おもしれー!




私は、自分の意見や立場なんてものはあまり価値がないと思っています。
何かを正しいと言い募ることには何の快楽も喜びもありません。
そんなことよりも、私は一分一秒でも長く気持ちよいことをしたいし、この世につまらないと思うことをひとつでも減らしてより多くの物を楽しみたいのです。

そのためには、強い感受性とタフな肉体以外に必要な物はありません。
イデオロギーやプライドなど燃えないゴミの日に捨てればいいのです。

それが唯一の立場といえば立場です。しかし有名無実なのは言わずもがな。
ニュートラルというのでもないし、
私は、ただただ強欲なのです。


そしてこの立場の一番の敵が、差別と偏見です。
差別と偏見は自分の視座を狭め、貶め、すべての人から楽しみを奪います。
そして「こいつよりは上だ」「こいつとは違う」という本当にちっぽけな見栄を守るためだけに人を排除したりしようとするのです。
くそったれが!


そこに楽しみや喜びがなければ誰に従う義務があるのだ?と問いたいね。


ただ、私のこの快楽というものが刹那的であることは否めないのです。
決して社会的でもなければ建設的でもありません。
そして世の中には殺人の快楽や禁忌を犯すという快楽も根強くあるので、
それに対して拒絶できない私の倫理はやはり破綻しているのです。

だからこれは倫理ではなく我欲で、声高に叫べるものではないなあと思うのです。
否定できない強い欲求ではあるけれど。




「論理的な会話」や「建設的な議論」を会話の重要な目的だと考えている人たちに対する質問がいくつかある。

・論理的でない感覚やそれを言語化できない人間は切り捨てる(排除する)ことになるが、それは「損」だとは思わないのか?

・たとえば知的障害があったり精神疾患がある場合そういうことは困難になる場合があるが、その人たちの持つ感覚や言語、たち振る舞いはまったく「意味がない」または「存在しない」ことになるのか?

・自分が認識できるもの以外に価値を見い出さないというのはあまりにも傲慢な態度ではないか?

・私はそれこそ「人をなめた態度」だと思うが、どうか?

・感覚を広げていくことに関しては興味関心はないのか?そこに快楽はないのか?

・というか刹那的な快楽は価値として認められないのか?



私はまったく誇り高いわけでもなければ自分に自信があるわけでもありません。
人並みに評価されたいとは思うけれどどうすれば評価されるかということまで頭も回りません。
自分が計画を立ててそれに沿って行動し自分が狙った通りの評価を得たときに、
「やっぱりね」以外の感想がなくとてもつまらないからです。
私の脳はつまらないと思うことに対しては本当に動きが鈍くていけません。

自分が面白いと思うことを心のままに表現できる人間が一人でも増えればいいと思って教師になろうとしています。
自分とは全く考えの違う人間や、思いもよらない発想をする人間、
そういう人が増えれば増えるだけ世界が強く新しく楽しくなるからです。
そう、世界が!

ただ、これは野望であって、教員の基本的な業務とはやっぱり異なるのだと思います。
私は論理に批判されない技量や納得してもらえる知識量を持つ必要があるのだということも痛感しています。



でも、それだけじゃないよね。



楽しいっていうのは、楽しいっていう感覚でしか理解できないはずだもん。



そういうことを、今度引っさげて言ってみよう。
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# by mouthes | 2014-03-22 03:19 | footmarks
じいちゃんが、死ぬ前の時間を、長く共有したうちのひとりだろうと思う。
入院してからすぐと、入院してしばらく。
入院する前とは少し変わってしまったじいちゃんと、家に帰りたいというじいちゃんを見ていた。
痩せた体。力のない眼。
どれほど年をとっても、腰が曲がっても、
家にいるときは、ゆるぎないじいちゃんからは感じたことのない不安と悲しみ。

そういうものを、できるだけみないようにして、
自分は元気でいようと思った。
自分を守ることがまず先に立って、次に支える方が疲れちゃいけないと言い訳してた。

じいちゃん。
すぐ泣く私の涙なんかに深い意味はないけど。
ええかっこしいで見栄っ張りのお調子者だって、きっとばれてるけど。

もう増えることのないじいちゃんの日記が、
いつも寝る場所に置いてある使われない枕が、
なるみの誕生日を祝うのにじいちゃんがいないことが、
さみしいよ。
じいちゃん。

死に顔を触ったのも、骨をもらったのも、
それくらい死が遠かったからだ。

近づいて、また遠ざかるんだろうな。





最近気付いたことのひとつに、

誰もが納得できるただ一つの真理なんてないんじゃないかって思った。
真理っていうのは、きっとたくさんあるのだ。
みんながそれぞれの方法で、自分だけの真理にしかたどり着けないのだ。

それにはいくつか、もしかしたら共通点があるのかもしれないんだけど、
その共通点をさがしたり分類してさらに細分化したりすることにまったく意味はないと思った。

「共通する何か」が真理なのではなくて、

「違う」ってことが真理なのだと思う。

整理や分類っていうのは、その末に何かがわかるのではなくて、
違うってことを認識するための前提条件に違いない。

だから寝ているときによく見る夢のように、
混沌としていること自体が真理で、存在があるってことなんだともう。
混沌としていることを編集して混沌でなくしてしまうことは、真理でもなければ本当でもないと思う。
納得のできる嘘でしかないのではないかと、思う。

恋をしているとき、そしてとくに失恋したとき、
世界で重要な問題はそれしかないような感覚に陥る。
この感覚は過ぎ去ってしまえばばかばかしいことこの上ないんだけど、
「ある」という一点でやはり真理なんだと思う。

じいちゃんが死んだときすぐ涙にならなかった感情が、
時に笑いになって、怒りになって、悲しみになるんだけど、
矛盾する状態が同時にあるってことが、やっぱり本当なんだと思う。


松岡正剛さんのしている「編集工学」は、
つまり混沌を編集する方法自体をひも解くことで、編集される前の混沌に触れようとしているのではないかと思う。

死ぬ前のじいちゃんは、混沌としていて、
昨日のことを覚えている半面何十年も前の鳶だったころの記憶で怒ることもあった。
私の知っているじいちゃんは、自分のことはほとんど話さない人だったし、
感情をあらわにすることも少なかった。
死ぬ前には、そういう寡黙なじいちゃんと、不安なじいちゃんと、ダダをこねるじいちゃんが混在していて、
みんな「どれくらい意識があるんだろう」といぶかっていたくらいだけど、
人としてあれほど本来的な状態もないのだろうな、と思う。

混沌を、なるべく編集せずに実感し出力することはできないだろうか。
それは、「美しい」ってことなんじゃないかと、古い問いに答えを見い出す。


曽我部さんが『まぶしい』で歌っているように。
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# by mouthes | 2014-03-14 14:56 | footmarks

どこにいるの?





だいすきなじいちゃんと別れ、
横浜に帰って来た。
じいちゃんの骨を持って帰って来た。
これからの一生を、また違った形で続く関係を、持って帰って来た。

ようやく、卒業と教員免許の取得が決定した!
ほっとした―。
ほんと、トンマだから、どっかで仕損じるんじゃないかと誰よりも心配だったのはこの私さ!
言われるまでもないよ、超心配だった。
けど決まったから!
あーよかったー。

卒論も、十分すぎるお褒めの言葉をいただいたし、
惚れた腫れたも過ぎ去った。
空気は冷たいけど日差しは暖かな春の予感。
こんなにも喜ばしい気持ちで春を迎えたことがあったろうか!

私の心や、力が、少しずつ私のものになってきている。
なにこの、充実感!力!たぶん、心と体の痛み!

じいちゃんの看病、通夜などと前後して、
福満しげゆきさんの『僕の小規模な生活』にがっつりハマってしまい、
6巻などは声をあげて笑いながら読んだ。
私はなんだかんだいってすぐにキャパがいっぱいになってパニックになってしまうので、
看病や通夜などで、すごく強い感情が直接心に流れ込みそうになるのを、
自分とはまったく違う自意識に逃げこんで回避します。

だからこの時期に読んだ、
小島政二郎『円朝』や山田太一『冬の蜃気楼』、
福満しげゆき『僕の小規模な生活』には、
大変助けられたし、何より影響を受けています。
こんな遠回しな言い方をしても仕方ないな。
もう、大好きです、この方々。たまらないです。

自意識が強いことはさることながら、そこがまったく安住できる場所ではなく、
絶えずそこからはみ出したり突っ走ったりしながら、
自分ではない人間、他者の心に触れて、
喜んだり痛んだりする。

これを当たり前だって思ってる人、いるでしょう。
普通のことだしみんなやってると思ってるでしょう。

案外やってないんですよ、みなさん。

けっこうたくさんの人が、傷つくのが怖くてある程度他人に対して無関心決め込んでるんですよ。
それか本当に興味がないんですよ、自分以外の人間に。
びっくりするくらい。
子どものころ、何にもわけわからんから虫とか平気で触ってたけど、
物ごころついて知恵が回り始めると触れなくなるでしょ。
それと一緒で、ずんずん人に踏み込んだり人が踏み込んできたりすることをゆるしていたのが、
そういうこと自体をしなくなっていくんですよ、だんだん。
私は大人になるのが結構遅かったので、そのあたりかなり自覚的です。

理由は様々ありますが、一番はエネルギー不足。
仕事もたくさんあるし、夏休みはないし、時間もお金も有限なのが大人の世界。
「見たことのないもの」「しらないこと」もだんだんと減っていき、
刺激に対する耐性があるようでなくなっていくんです。
新たな刺激が怖いんです。
今まで培ってきたよりどころを、大きな力でひっくり返されることを嫌うんですよ。
それが怖いために、自分の今考えていることが正しいと思いこもうとする悪循環。
大人になればなるほど心を新しくする機会が減って、どんどん腐っていくわけです。

心が腐る、というのは比喩ではないと私は思っています。
心が腐ってしまうと、新しくなる機能が衰えて、
自分自身の情動や外界からの刺激にすごく鈍感になってしまうのです。
しかも、世界はこくこくと変化しているので、どんどん世界と齟齬が生まれていく。
挙句の果てに「世の中は何もわかってない」とか中学生みたいなことを言い出す始末。
目も当てられない!

そういうことをさせない為に、
芸術は闘っているのだと思います。
自分の外に世界があるということを教えるために、
芸術があるのだと思います。
宗教もそうです。
「自分がいちばん正しい」なんていってくれる宗教は、この世にありません。
自分よりも大切な物を知るために、宗教があるのだと思います。
自分の外に出るための方法を教えてくれるのが、宗教だと思います。

自分のことしか考えられない私が、自分をちゃんと愛するために、
他者のことを生かすことができるように。



自分を愛するということは、他者を生かすということなのです!
だから愛だなんだとのたまって他者を支配しようとするのはおやめなさい。
それ、愛じゃないから。
むやみに自分を犠牲にしようとするのもおやめなさい。
それも、愛じゃないから。
他者を生かすことによって、自分を愛するのですよ。
それが心にとって一番いいことなのです。
さみしさに抗うただ一つの方法なのです!


散文!!!
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# by mouthes | 2014-03-10 15:50 | footmarks