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2011年 10月 27日 ( 1 )

「依存」について

ずっと、親兄弟に依存していた。
友だちに依存していた。
知らない人にすら、依存していた。

依存できるかどうか、甘えられるかどうかで人の価値を判断していた。
自分にとって価値があるかどうか判断して、人を利用していた。
そういう意地汚さが、「信頼のある人間関係」から私を遠ざけていたと思う。

「信頼」ってどういうことか、さっぱりわからなかった。
「契約」のほうがよっぽど理解しやすかった。
「交際」より「援助交際」のほうが、理解できた。
信頼が独りよがりじゃないなんて、どうして言えるのだろう。
信頼が身勝手な期待じゃないと、誰が判断できるのだろう。
自分の心の中すらわからないのに、他人の心の中なんてわかりっこないじゃないか。
うさんくせえよ信頼なんて。
重荷になるだけで、いいところなんか一つもない。
合唱曲の「Believe」が大嫌いだった。



  もしも誰かが 君のそばで
  泣き出しそうに なった時は
  だまって腕を とりながら
  いっしょに歩いて くれるよね



くれるよね?
いやいやいやいやー!
しらんよ!
誰がかによるよ!
黙れるかも自信ないし!
黙らないやさしさもあるし!
そんなこと期待されるなら一緒にいれないよ!

だから、私が人にしてきたのは信頼ではなく、
依存だと思う。
寂しいとき、悲しいとき、追い詰められたとき、それを避けるために必死ですがっているだけだったと思う。
夜中の電話も、あけすけな下ネタも、心を開くなんていう純粋な行為ではなかった。
寂しいだけの行為だった。
相手の心とか、本質なんて、全然興味がなかったと思う。



最近は、少し違う。
私にはようやくわかってきた。
「信頼」は、独りよがりではないことが。
いや、究極の独りよがりだということが、わかってきたのです。

その人の心は分からない。
その人の本質は分からない。
自分は嫌われているかもしれない。
相手は自分を信頼していないかもしれない。

でも、その人に危機が迫った時、私は心から力になりたいと思えるのだ。
それが、信頼なんだと思う。


相変わらず私は依存している。
相変わらず根性は甘えている。
だけど、心から力になりたいと思える誰かがいる。
それは幸せなことだ。

こんどの問題は、「力になる」ってこと。
力になるって、どういうことだろう。
それは、えげつない話にも当然なると思うね。
自分が眠いときも電話に出るよ。
お金がないときは渡すよ。
暴漢に襲われた時は身を挺して守るよ。
怖いけどね。
たとえそれで搾取されても、しかたないのだ。
それは関係のない話だ。
その人が自分に何もしてくれなくても、
何かしたいと思うのだ。
自分のために。

だからもう、メールの返信におびえないよ。
そっけない態度にひるまない。
下世話な自分を貶めない。
いいんだ。
別に。
大事なことはそんなんじゃない!
by mouthes | 2011-10-27 15:19 | footmarks