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2009年 04月 23日 ( 1 )

【芸術】感情と言葉

我はゴッホになる!愛を彫った男 棟方志功とその妻

録画していたのを、今になって見ている。
劇団ひとりのコントは好きだけど、物語の中の演技となると、ちょっとクセが強いというか、
早い話があんまり好きじゃないなーと思っていた。



このドラマを見始めて、気づいたことのいくつか。

劇団ひとりは、小説であっても、演技であっても、
独特のくさみがあるけれど、
そこにはしっかりと感情が据えられていて、その見ごたえたるや素晴らしいものがある。

最近よくケータイ小説を読むけれど、
内容はピンキリにしたって、やっぱり感情ははっきりと据えられている。
そのことが、少しずつ何かを動かしている気がする。
技術やダイナミクスに拘泥して、読んだ後に何も残らない私小説の類にお金を払うくらいなら、
描かれていることが竹を割ったように明白で、確かに感情の残っているケータイ小説を読むほうがずいぶんと有益だ、なんて最近思うよ。

だいたい、現代の小説家が拘泥してる技術ってどれだけのもんなんだよ。
読んでも読んでも分からないような小説書くやつはほっとんど見ないし、圧倒的な量の描写・背景と感情の奥行きを操ることで読ませる小説家って、宮部みゆきとか、京極夏彦とか?
確かにあたしは大好きだ。でも技術で読ませる分野の小説家さんだ。
あたしは、自分の中にある感情が、まだなんだかわかんないんだ。
だけどすごい芸術に出会って胸が熱くなった時、あたしの中にあるものってわかる気がする。
そのために、あたしは芸術のことばっかり考えてるんだ。



そこへ誰か梯子段をあわただしく昇ってきたかと思うと、すぐにまたばたばた駆け下りて行った。僕はその誰かの妻だったことを知り、驚いて体を起こすが早いか、ちょうど梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突っ伏したまま、息切れをこらえていると見え、絶えず肩を震わしていた。
 「どうした?」
 「いえ、どうもしないのです。・・・・・・」
妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑して話し続けた。
 「どうもしたわけではないのですけれどもね、ただなんだかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。・・・・・・」
それは僕の一生の中で最も恐ろしい経験だった。――僕はもうこの先を描き続ける力を持っていない。こういう気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。だれか僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

芥川龍之介「歯車」より



あたしが芥川龍之介が好きなのは、この一節があるからだといっても過言ではない。
そのくらいこの一節はすごいと思ってる。
だけど、劇団ひとりや、ケータイ小説家の一万の言葉は、この一節くらいの価値はある。
そこに確かに感情がこもっているから。それが、書いている人から離れて、見ている人の中で膨らむから。
それは、すごいことだ。





うん。
世の中の何をどう知っているわけでもないけれど、
どこかで感情がないがしろにされている、と感じることは多く、
たまに本屋に行って文庫本を漁っても、きゅっと胸を捉えるようなものに出会えないのはそのせいかと思う。
そんでマンガを買う。
マンガを描くっていうのは、絵を描くっていうのは大変なことだ。どんなに好きでも、とっても大変だ。
だから、それだけで作品はエネルギーに満ちてて、どんなにつまんなくったってね、不誠実だってね、ダメだってことがないんです。
そこにつまっているのが間違いなく作者の一生だと言えるから。
その点ね、本書いてるやつって何考えてんだろうね。
言葉って簡単なもんで、使うのが得意な人は、普段使ってるもんだからそれを作品にするっつってもある程度は煩悶から解放されているんだ。
どういう言葉で言ったら伝わるだろうとか、どういう表現が適しているだろうかとか、いつどういう言葉を発するべきなのか、とか。
自分のこだわりで、あるいは相手のことを推し量ってする葛藤。
そういうものから、本当なら解放されてはいけないんだけど、まったくの気の緩みで解放されてしまっている。
そんなやつらの腐った才能に金を払うなんて、それほどつまらぬ金の使い道はない。

あたしはいつも思う。
才能に金を払う、なんて、そんなことあるわけがねえと。
何にも考えずに出したうんこにね、「魂」とか「才能」とかそういう名前を使うのは勝手だけど、
本当は、そんなもんじゃないんだよ。
うんこはうんこでもそれを出したら体の中全部からっぽになっちゃうようなうんこが、魂だよ。
そんでそんなうんこを出せることが、才能だ。
そんで、それはどこまでも、どこまでいっても誇れるようなことじゃないんだ。
そのことがどんなに自分を満たして、自分と人をつなげてくれるようなものであっても、
誇れるようなことじゃないんだ。誇ったら、そこで死んでしまうんだから。



んんんんんんん。



最近は、何かを言ったそばから、こんなことが言いたいわけじゃなかったような気になる。
何を言っても、思ったように人に伝わらないと思う。
自分の中にあるものに、適当な形がほしい。
芸術家は、そういうことのできる人たちなんだ、と、勝手に思っているけど、本当にそうなのかな?
こんどお会いすることがあったら、曽我部さんや鈴茂さんに聞いてみたいな、と思うけど、結構怖くて聞けるような気がしない。
先生。先生にそんなこと聞いてみたいと思うけど、やっぱり怖くて聞けるような気がしない。





要はね!





感情、熱、そういうもんを伝えることが、あらゆる作品に肝要なのであって、
そういうもんにとりあわず、さも知っているような顔で社会批判とか強欲批判とか、
あるんだかないんだかわからないものにドン・キホーテのように向かっていく主題をもつ作品が多すぎる。

あたしたちを動かしているのは、そんなもんじゃないんだ。
あたしが感じたいのは、そんな抹香くせえもんじゃないんだ。
人間は、そんな抹香臭いもんでは決してないはずだ。
いやいや、その抹香くささは、人間の背景であっても、本質ではないはずだ。

あーもうおわり!
by mouthes | 2009-04-23 14:06 | footmarks