流れ星ビバップ
2006年 12月 19日
今日は、朝起きてから今まで、嫌なことを1つもしませんでした。
電車に乗りながらずっと小沢くんを聴いていました。
何日も何日も、今もずっと考えている問題は、もう問題じゃないのかもしれません。
だって、物事って本当に驚くべき速さで過去になっていく。
笑うしかないほどあっという間に変わってしまう感情、その過去が、
確かに自分だったと思うために、
今も昔も現在でいるために、歌を作りたい。その歌を歌いたい。
そこにある「気持ち」をそっと両手で包んで、その上から包装紙で何重にも包む。
包装紙と包装紙の間にもいろいろなものが入り込む。
涙や思い出、汗と唾、老いと笑顔と傷つけ合い。
さあリボンもかけて誰かの元へ送るため、両手を断ち切るその一瞬、
両手を動かせない不自由やもどかしさ、「自分のもの」を失くすことやのちの喪失感への懼れから開放される激痛に涙したい。
はい、えーとですね、上は上、これからはこれからと。
私の生活のほんとのところについてちょっと書きとめようかなと。
え?思春期少女のポエティック〔poetic〕な妄想吐露をもうちょっと聞きたい?うるせー!
あのー、わたくしかなり年上の人に恋をしました。
で、目下無茶と言われていた昨今、遊園地に連れて行っていただけることになりまして。
私の周囲では「まさか食い物にされるんじゃなかろうか」と波紋を呼んでおります。
それを否定できるだけの材料が、わたくしの手元にある限りではあまりに心もとない。
むしろその疑いをより濃厚にさせる色眼鏡が取りそろってございます。
もうね、この色眼鏡をかけてしまったら、私でさえ疑わざるを得ない!
で。
それでまで行くのかと。
これは悩みましたねえー。
のべ40人くらいに聞いたんじゃないの。大げさかもしれないけど。
学校行ってもその話。
家に帰ったら電話してその話。
夜寝る前に悩んで、朝起きて途方にくれる。
向こうがどういうつもりで私を気にしてくれているのとか。
わたし自身はどうしたいのとか。
どう考えても怪しいし危険だとか。
会ったこともない人たちにまでぼこぼこに言われまくるわたしの思い人。
ごめんね、悪い人じゃないのに、わたしのせいで(ほんとにね)。
心に住まう恋する乙女も降り注ぐナイフのようなみなさんの忠言を前にもうズッタズタのグッチャグチャで、
踏みまくられたおでんにケチャップぶっかけたような生ゴミ祭りなんです(なんのこっちゃ)。
でも死ななかったんですよ。
彼女、かろうじて生きてるんですよ。そんでか細い声で言い続けるわけ。もう体は踏みまくられたしらたきとはんぺんのようなのに。
「遊園地、行きたい」って。
この子を殺すには彼の運命の歯車の中に巻き込ませるしかないと思うんだよね。
そんで絡まってすりつぶされて死ぬんなら本望だって言うんだもん。
恋する乙女はさ、そう言うんだもの。
もちろん彼女は私ですから、絡まってすりつぶされることだって一蓮托生ですよ。
彼女は死んで、私は死なないってだけで。
どう転んでもただじゃすまないのは目に見えてるよ。
きっと多かれ少なかれ、傷つくってわかってる。
でもこのままゾンビのような死にぞこないを抱えて歩くのは御免だし、葬るしかないんだったら乗り遅れずに盛大に。
そんでさ、もう笑うしかないよね、最後は。どう転んでも!
私が出会ってたのが小沢くんだったらどうだっただろう。
私が小沢くんの子猫ちゃんに生まれていたら。
もしそうだったら、同じ状況でもそっちのほうがいいなあと思うけど、
だけどしょうがない、私が出会ったのはあの、優しげだけど信用のおけないひげの人なんだし。
「誰かと会うとしたら それは そうミラクル」
(「大人になれば」/小沢健二)
小沢くんがどうしてキラキラしてるのか、どうすればその世界にいけるのか、
少しだけわかった気がしたよ。
すべての出会いを喜びたい。
すげての別れを悲しみたい。
青臭くってかなわない。
大人になれば・・・・・・
それでさ、この気持ちをさ、年をとっても今のことのように感じるために、
歌を作りたいと思ったんだよね。
どう、このアイディア。
電車に乗りながらずっと小沢くんを聴いていました。
何日も何日も、今もずっと考えている問題は、もう問題じゃないのかもしれません。
だって、物事って本当に驚くべき速さで過去になっていく。
笑うしかないほどあっという間に変わってしまう感情、その過去が、
確かに自分だったと思うために、
今も昔も現在でいるために、歌を作りたい。その歌を歌いたい。
そこにある「気持ち」をそっと両手で包んで、その上から包装紙で何重にも包む。
包装紙と包装紙の間にもいろいろなものが入り込む。
涙や思い出、汗と唾、老いと笑顔と傷つけ合い。
さあリボンもかけて誰かの元へ送るため、両手を断ち切るその一瞬、
両手を動かせない不自由やもどかしさ、「自分のもの」を失くすことやのちの喪失感への懼れから開放される激痛に涙したい。
はい、えーとですね、上は上、これからはこれからと。
私の生活のほんとのところについてちょっと書きとめようかなと。
え?思春期少女のポエティック〔poetic〕な妄想吐露をもうちょっと聞きたい?うるせー!
あのー、わたくしかなり年上の人に恋をしました。
で、目下無茶と言われていた昨今、遊園地に連れて行っていただけることになりまして。
私の周囲では「まさか食い物にされるんじゃなかろうか」と波紋を呼んでおります。
それを否定できるだけの材料が、わたくしの手元にある限りではあまりに心もとない。
むしろその疑いをより濃厚にさせる色眼鏡が取りそろってございます。
もうね、この色眼鏡をかけてしまったら、私でさえ疑わざるを得ない!
で。
それでまで行くのかと。
これは悩みましたねえー。
のべ40人くらいに聞いたんじゃないの。大げさかもしれないけど。
学校行ってもその話。
家に帰ったら電話してその話。
夜寝る前に悩んで、朝起きて途方にくれる。
向こうがどういうつもりで私を気にしてくれているのとか。
わたし自身はどうしたいのとか。
どう考えても怪しいし危険だとか。
会ったこともない人たちにまでぼこぼこに言われまくるわたしの思い人。
ごめんね、悪い人じゃないのに、わたしのせいで(ほんとにね)。
心に住まう恋する乙女も降り注ぐナイフのようなみなさんの忠言を前にもうズッタズタのグッチャグチャで、
踏みまくられたおでんにケチャップぶっかけたような生ゴミ祭りなんです(なんのこっちゃ)。
でも死ななかったんですよ。
彼女、かろうじて生きてるんですよ。そんでか細い声で言い続けるわけ。もう体は踏みまくられたしらたきとはんぺんのようなのに。
「遊園地、行きたい」って。
この子を殺すには彼の運命の歯車の中に巻き込ませるしかないと思うんだよね。
そんで絡まってすりつぶされて死ぬんなら本望だって言うんだもん。
恋する乙女はさ、そう言うんだもの。
もちろん彼女は私ですから、絡まってすりつぶされることだって一蓮托生ですよ。
彼女は死んで、私は死なないってだけで。
どう転んでもただじゃすまないのは目に見えてるよ。
きっと多かれ少なかれ、傷つくってわかってる。
でもこのままゾンビのような死にぞこないを抱えて歩くのは御免だし、葬るしかないんだったら乗り遅れずに盛大に。
そんでさ、もう笑うしかないよね、最後は。どう転んでも!
私が出会ってたのが小沢くんだったらどうだっただろう。
私が小沢くんの子猫ちゃんに生まれていたら。
もしそうだったら、同じ状況でもそっちのほうがいいなあと思うけど、
だけどしょうがない、私が出会ったのはあの、優しげだけど信用のおけないひげの人なんだし。
「誰かと会うとしたら それは そうミラクル」
(「大人になれば」/小沢健二)
小沢くんがどうしてキラキラしてるのか、どうすればその世界にいけるのか、
少しだけわかった気がしたよ。
すべての出会いを喜びたい。
すげての別れを悲しみたい。
青臭くってかなわない。
大人になれば・・・・・・
それでさ、この気持ちをさ、年をとっても今のことのように感じるために、
歌を作りたいと思ったんだよね。
どう、このアイディア。
by mouthes
| 2006-12-19 15:27
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