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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

「対音楽」のファンタジー

「対音楽」に詰め込まれているのは中村一義のファンタジーそのものだ。
それが中村一義の現実だからだと思う。
「きみてらす」の「あなたを照らすために僕は産まれた。」という言葉が、それをよく表しているなあ、と思った。
それはネイティブ・アメリカンが自分たちが沈んでいく太陽を讃える儀式で太陽を動かしていると考えることと似ている。
自分と世界との関係性を、そうやって規定するんだ。
そのファンタジーに感情移入できるかどうかということがこの音楽に自分を開いていけるかどうかということに関わっていくなあと思った。
この人のファンタジーに触れて心が軽くなる。
そのファンタジーを信じることで世界がきらめく。



心に「詩」のない人というのが、実はたくさんいるらしい。
「詩」っていうのは、素朴でも激しくても、簡単でも小難しくても、別にかまわないのだが、
「わかってもらえないもどかしい気持ち」や、
「自分から抜け出て心が開かれていく瞬間」や、
「他者(世界)に触れたいと切実に願う心」のような、
そのような「詩」が一切ない人がたくさんいるらしい。

良い悪いというのでなく、すごく不思議だ。
性徴を経れば得るものだと思っていたのに、そうではないらしい。

論理的合理的で、情熱を持ち、人を思いやる心があっても、
「詩」や「情緒」というものが全くない人がいるらしい。

不思議としか言いようがない。

男とか女とかそういうことじゃないんだろうな。

松尾スズキは自分のお姉さんのことを「無駄の必要ない人」として説明していたけど、
そういうことかもしれない。
そして自分自身を「無駄がないとダメな人」としていたけど、
そういうことかもしれない。

無駄だから存在しないことにできればいいけど、
どうしても存在して強い求心力を持っているんだから拘らざるを得ない。
私が何かを見るとき、必ず働きかけてくる力なのだから、
存在しないことにはできない。

うーん

ねえー

これからどうしていくんだろう。
by mouthes | 2013-04-14 02:49 | footmarks