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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

ヒメアノ~ル

古谷実の『ヒメアノ~ル』、3巻が6/5に出る!





『それ行け!稲中卓球部』というドでかいギャグ漫画の金字塔を打ち立てた古谷実の、殊に「ヒミズ以降」として語られる最近の作品傾向。
だれかの感想を聴いても、
「同じような展開」とか言えるほどちゃんと読んでんのか!
と思うことがしばしば。

そんでみんな、特に男の人、『ヒミズ』好きだねー。
あたしは、あんまり好きじゃない。というかよく思い出せない。
読んだのって中学生の頃だし、内容のわかんないところが多かったってだけだけど。



※以下、うろ覚え・詰めきれていない論理注意※










私としては、ヒミズからヒメアノ~ルまでで、描きたいことがより鋭く、まとまってきたような印象を受けている。


古谷実先生の作品は、いつも何かに対する「問い」を孕んでいると思う。

稲中では、それが「自己」に向くことが多かったし、結果、下ネタもすごく多かった。
『僕と一緒』『グリーンヒル』もそうだった。

僕と一緒の中で挙げられる「自己への問い」は、


「ここに「人生をやり直せるボタン」があるとして、お前押すか?」


『稲中』『僕と一緒』『グリーンヒル』の中では、そうした問いが端々に現れる。

だけど、「自己」を考えた時に、どうしてもそれが縫いつけられている「社会」を考えざるを得なくなった、
それがいわゆる「ヒミズ以降」なんじゃないのかな?



ヒミズは、悪く言えば雰囲気ものというか、抽象的な場面が多かった。
それが主人公の実感、身の回りに起こっている出来事の生々しさやアシッド感を浮き彫りにしていたとは思うけれど、
それを純粋に楽しめる人がいれば、それに酔えない人が確実にいる。
私はどちらかといえば後者で、読み終わったときに、残滓のような生々しさ・アシッド感だけを味わい、「なんだこの話」と思ってしまった。

そうした表現を、そして社会に対する「問い」を踏まえたうえで、

シガテラ は実感をある程度切り落とした、事実の描写。
わにとかげぎす は事実をある程度伏せとおした、実感の描写。

重心を探るような習作だ、ということはできる。

でも描かれていることの「重心」は、確実に変わっており、その描写力の鋭さは文句のつけようのないもんだと思う。


で!



ヒメアノ~ルでは「実感」と「事実」と「社会に対する古谷先生の答え」の三つが!

あますところなく描かれていくのではないかと!

期待が止まらないわけです!


げへー!
by mouthes | 2009-05-28 14:48 | footmarks