皆殺し文学はやめだ

by mouthes

忘れたこと

友からの手紙に、私が昔よく歌っていた歌のことが書かれていて、
思いがけないことに、私は自分がよく歌いながら下校していたことなどその時まですっかり忘れていた。
これでも昔のことをよく覚えている方だと思っていた。
物持ちもいい方だ。
人の名前や誕生日、流行った歌、年賀状のやり取り、行ったことのある場所、
そういうものをかなり覚えているし、「よくそんなこと覚えているね」と人から驚かれることもよくあった。
でも友の手紙を読むまで、あの頃気分が良くなれば必ず歌っていたその歌をすっかり忘れていたのだ。

考えてみると私の思い出というものはかなり偏っている。
嫌いなことや自分の失敗はやたら鮮明だし、夢もよくみる。
マラソン大会で私を肘で押しのけて入賞した女が生徒会長になったこと、その女と6年間スキー教室の班が同じだったこと、好きな人が学年で一番可愛い女の子と付き合ったこと、人を集めすぎて急につまらなくなった花見、馴染めなかった教会のキャンプ、
案外自尊心が強いのだろう。自覚はある。
もちろん1人で観た映画やライブ、友達と忍び込んだオールナイトイベント、親友との二人旅、好きな人と交わしたメール、家族が祝ってくれた誕生日、憧れの人とした握手、
楽しい記憶も数限りない。
でもどれも嫌な記憶に比べて画質が荒い。
靄がかかっている。
思い出す回数が少ないので補正が利いていないのだと思う。

別の友達からもらった手紙にも、昔自分が話した言葉なども書かれていて、
それがなかなか実感がこもったいい言葉なのだが、
やはり忘れていた。
立派なことをいうものだと他人事に感心してしまった。
そういうことはよくある。
人の悩みも自分の悩みも、あれだけ時間をかけて色々な言葉を交わした割に何も思い出せない。
メモさえあれば多少なり思い出せるような気がするが、すべては後追いだ。

過去の集積が自分を作るというのはもっともだが、
覚えている自分と覚えられている自分というのは愕然とするぐらい違うのだろう。
「恥の多い人生」と思ってはいるが、それは都合のいい恥のみを編集してよく思い出しているにすぎないのかもしれない。
記憶の空白や靄の方が、見たくないものを孕んでいることもある。
自分は案外いいやつだ、と自惚れて足元をすくわれたことも多い。
上手くはない記憶だが、ちょうどいいのかもしれない。

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# by mouthes | 2018-05-02 10:25 | footmarks

うれしい日記

今日は、夫が「今日もなるべく早く帰るよ」と言ってくれ、うれしかった。
天気が良くてうれしい。
仕事の前に掃除が終わってうれしい。
古い本を読み返すと面白くてうれしい。
姪のこっちゃんが小学校最後の運動会のためにソーラン節を練習している写真を見てうれしい。

昨日うまくいかなかった仕事の後味、もううまく思い出せないけど、失敗の方だけ修正しよう。

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# by mouthes | 2018-04-20 16:19 | footmarks

映画「ダンケルク」

映画「ダンケルク」の好きだったところ

・カタルシスがなかったところ
・登場人物の名前がほぼ出なかったところ
・夢に見たくない映画ナンバーワン
・砲弾や砲撃がとにかく怖い
・緊張が絶え間なく続く
・放置された病人の担架を担いで知らない兵士と救助船へダッシュするところ
・その救助船から追い出された直後、救助船が砲撃され沈んでいく時の、運び込んだ病人のカット
・生き抜こうとして何度も失敗して元いた場所に戻されるところ
・一緒に死線を抜けてきたギブソンを最後に助けられなかったところ
・体験したことのない痛みや恐怖に、映画を通して引きずりこまれる感じ(肉体感覚の強さ)
・時間軸がバラバラであることに最後まで気づかなかった
・飛行機の戦闘シーン(人を殺しているという感覚のなさ)
・助かった人間たちにある「見殺しにした意識」に比重が置かれてたところ
・死の悲愴さが安全地帯からみる感傷だと冷たく突き放す感じ
・人が死ぬ描写に傷つくことができたのは序盤の5分くらいだった
・ろうそくの火が消えるようにあっけなくパタパタ人が死んでいく様子
・徹底して無慈悲だった




映画「ダンケルク」嫌いなところ

・物語の要所で出てくるボルトン海軍中佐のカッコつけ方
・説明がないからついていくのに必死
・事故や戦闘ではない場所でも生き残るために人を殺そうとする人間の醜さ
・ジョージの死
・最後の明るく晴れ晴れとした音楽


圧倒された。
脳みそが押しつぶされた。
切実さに欠けた映画を観たあとだということもあるのか、度肝を抜かれた。
どんな切実さがあればこうも力がみなぎる作品が作れるのか、しかも戦争映画で!
この映画の素晴らしさは「観るものにカタルシスを与えないこと」に尽きると思う。
勇敢な戦闘も、奇跡の救出劇も、出来合いの友情も、「ああよかった!」と思わせない無慈悲な作りになってる。
そぎ落とされたセリフと轟音だけで戦争の緊張が観客のものになる。
何度も何度も生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされて、故郷へ帰ることにこだわって帰ってきたのに、「我々は戦い抜く」と新聞に言わされる。
すげえー、どうやればこんな映画作れるのかわかんねえー、すげえなあー!
すごい映画を観てしまったので語彙力を奪われてしまいました。
クリストファー・ノーランすごい。
すごすぎて意味わかんない。

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# by mouthes | 2018-02-23 00:08 | Movies&Books
映画「リバーズ・エッジ」で好きだったところ

・るみちんと観音崎くんの90年代感、幼さ、短絡的なところが表情を通して伝わって来たところ
・特に観音崎くんの顔つき
・るみちんのムチムチしてエネルギーが溢れる体とそこから繰り出されるサスペンスのなまなましさ
・二階堂ふみちゃんの裸と喋り方
・吉沢亮くんの実写とは思えないくらい美しい横顔
・釣りをしていた2人組の片一方がアメカジ具合といい喋り方といいさまぁ〜ずの三村さんにそっくりで、なんならもう一方にも大竹さんを意識してほしかったところ
・こずえちゃんの赤い口紅と赤くてダブダブのニット
・猫のかわいさ
・るみちんのデブのお姉ちゃんの演技(お姉ちゃんが登場した時の映画館の失笑がお姉ちゃんの惨めさとリンクしてしまってひどく残酷だった)
・エンディングとともに流れる小沢健二の「アルペジオ」(確実にあれから20年後の音楽として、リバーズ・エッジの汚れた川にとっての再生の海として響き渡っていた)
・「この頃は目が見えないから、手を握って友よやさしく」と50近い小沢健二が歌うところ




映画「リバーズ・エッジ 」の嫌だったところ
・「リバーズ・エッジ 」のフォントがダサすぎる
・劇中に挟まれる、登場人物たちに対する謎インタビューの質問の、あまりの陳腐さ(「あなたにとって愛ってなんですか」「生きていきたいと思いますか」などなど聞くに堪えない)
・「愛」だの「生きる」だのを安全地帯に生きているおじさんがキリキリした若者に聞いているという構図
・それに応える「生きていきたい」というセリフ
・おじさんが若い子になにかを言わせたがってる感
・ホテルに行ったあとハルナが観音崎くんに「観音崎くんていいよね、悩みとかなさそうで」というセリフ
・それが言えちゃうハルナだったらさっさと観音崎くんと別れられるだろ
・田島カンナが燃えた死体を見た時の、山田くんの笑み
・そこで笑うのが吉川こずえならわかる(山田くんは無感動を貫くべきでは)
・田島カンナが泣きわめくシーンがなかったこと
・所々では印象的で美しい場面に心奪われたけど、つなぎの流れていく描写の圧倒的VTR感(再現ドラマ感)
・パンフに載っていた監督インタビューの見出し(誰もがみんな、River‘s Edgeに立っている)(は?)
・役者自体に90年代感はあまりなかった(顔の造形も表情もあまりに洗練されていた)


嫌いなところが嫌いすぎて良い印象ではない映画ですが、
役者たちの演技や肉体は言語に絶するほど美しく、
監督や脚本の年齢が如実に現れてしまったことが悔やまれる、というのが感想です。
どうしても10代の子供達には見えなかった。
それは10代を思い出せない人たち、10代が美しい思い出になっている人たちが作ったからだと思う。
幼さ、危うさ、脆さではなく、予定調和が優っていました。
だからこそ「アルペジオ」は美しく響いた。
あれはかつて若者だった人の、老いを知った人の鮮やかさ、美しさ、現実離れした現実として見事に調和していたと思います。
こう書くと褒めすぎにも見えるけど、インタビューなどからこの主題歌は小沢健二がラッシュを観た後に作られたものだと知って、
正しく、と腑に落ちたのです。
この曲が生まれるために映画があった、そういう必然性を感じる美しさだったのでした。

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# by mouthes | 2018-02-22 15:47 | Movies&Books

共に暮らす日々

何度も書こうと思って書けなかったブログをこうして更新する。

数日前、久しぶりに友達に手紙を書こうと思い立ち、
「いろいろとあわただしかったのですが、やっと手紙を書けるような心持になりました」と書いてはたと気づく。
もう11月も終わり。
今年は本当にあわただしかったのだ。

思いついたことをそのまま書こうと思っても、なかなか文章にならない。
つぶやきに慣れているせいだと思う。
でも、長い文章を書くことが私を支えてくれていたことを思い出すと、
あの感覚が懐かしくてたまらなくなる。
先に進むためにも、もう一度あの感覚がほしい。

誰かに伝えなければはちきれてしまいそうな気持ちは、もうない。
私は私のことが好きになったし、目に見えている人間の後ろにある時間が想像できる。
人を憎むことが減った。
家族は仲が良く、病気もしておらず、たまにする会話で日々を分かち合いながら生活している。
そしてそれぞれの連れ合いのもとへ帰っていく。
こんな幸せはないと思う。
こんなに都合の良い現実はほかにないと思う。
このまま時間が止まってほしいと、心から思う。


今日は午後14時によろよろと起き出して、食器を洗い、夫のワイシャツにアイロンをかけた。
新潟から送られてきたリンゴで作ったジャムをトーストにつけて食す。
シナモンを入れて大正解だった。
本当においしい。
マトリックスを観ながら仕事を進めようと思うも、案外見たいシーンばかりで全然進まない。
そうこうしてるうちに16時半となり出かける準備。
今日はバオーンの夕べがあるのだ。いざ調布へ。

思っていたより早く着きそうなので駅前で夫と買い物。
カルディに向かいながら待ち合わせしてる友人へ連絡。
陳列棚を見るともなしにうろうろしていると夫を見失う。
そして見つけた時には、少しお高めのぶどうジュースを買っていた。
二人で飲もうと思ってくれているのだ。そういうことを、口には出さないけれど。
この人はいつも私を喜ばせようと、素朴に考えてくれている。
彼の喜びそうなものを考えて、たいして思いつかない自分が後ろめたい。
かろうじて手にした生ハムに自信が持てず、「生ハム好きだっけ?」と聞いてしまう。
「生ハム好きだよ」と答えてもらって安心して買う。
レジ近くにあったチャイの粉を買おうとして手を伸ばすと、「抹茶ラテのほうが好きだよ」というので、抹茶ラテの粉を買う。
譲ることがうれしい自分にすこし安心する。
この人のことが好きだな。

電車を間違えつつバオーンの夕べへ。
待ち合わせしたMr.Rに平謝り。
スタンプラリーの台紙や景品をいただき、狂喜!
毛糸の汚れ落としも渡せて一安心。開会。
初めて目にする京極堂。次女の悦子さん。生前に水木先生をよく知る人々。
先週水木先生の実兄がお亡くなりになられたことで、しばしの黙とう。神に祈る。
水木しげる大全集の話をたくさん聞けて楽しかった。
日常の中の水木先生の話も最高で、
普通に歩いていても横断歩道を渡るとなると急に走り出すところや、
散歩中に催して速足で家へ向かう中、「門が開く…!」とこぼしていたことなど、
完全に水木漫画の日常だった。ありがとうございました。

Mr.Rと調布銀座の台北料理屋で夕食をとり、
仕事の話や趣味の話をぽつぽつとする。
Mr.Rは褒めはじめるとのべつ幕なしに褒めてくれるので面映ゆくて仕方ない。
ゆかりの地を回りながら駅へ。

帰りに下北沢の兄のもとへ。
どうぶつの森pocket campの話や、最近読んだ本の話など。
昨日義姉と行ったディズニーランドは楽しかったらしい。
よかったね。

終電で帰宅。
帰宅すると夫はコーヒーを入れてお出迎え。やさしいなあ。
二人でゲームセンターCXを見ながら雑務をこなす。
お風呂に入り、ごみを出してもらい、
リンゴジャムのトーストが食べたいというので用意する。
『凪のお暇』面白い。
『家族最後の日々』を大事に読み進める。

明日は起きたら家の掃除をする。
本当は洗濯もしたいけど、雨が降るようなので無理かな。
金曜日に雨に降られるとこれだから困る。
セゾンカードの締め日が急に翌月10日になったことは許しがたい。

幸せに寝ます。おやすみなさい。

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# by mouthes | 2017-12-01 04:42 | footmarks

一年前の今ごろ

一年前の今ごろ、今と同じようなことを思っていたのだな、と思いながら新しい日記を書く。
日記を書くのは好きな作業の一つだけど、好きなことがいつもできるとは限らない。
そして、今年は手書きの日記を購入したのでこちらに書くことはほとんどなくなってしまった。

ブログ自体は、わたしは中学生の時から続けていて、何度かページを変えつつ、
このページは高校1年生の頃に始めたからもう10年以上になる。
感慨があるようなないような。
ブログを始めた時のようなむきだしでみずみずしい文章はもう書けないし、
映画や音楽の感想だってここに吐き出さなくてもいいくらい、
家族や友達との関係も作ることができた。

思い返せば、あのころから思えば、本当に夢のような今がある。
このブログを続ける意味は、もう無いのかもしれない。





だけど続ける。
なぜなら、もうすぐ私の家族は実家を手放すから。
両親は地元に帰省し、私も含めて兄弟全員が所帯を持って独立し、
もう住む人のいなくなったあの家を、私たちは手放す。






大事なものを一つ手放すとき、何を失って何が残るのか、
ここに書いておきたい。
いうなれば、実家整理日記だ。
そして、実家を手放したあと続いていく私の生活がこれまでと地続きであることを、
ここに書くことで改めて覚えておきたい。
このブログは、過去と私をつないでくれるものの一つだから。

実家がなくなることは、私にとってすごく大きな出来事で、
失う前から喪失感が強烈にあるのです。
これまでと今までが切り離されてしまような強い痛みが。
寝て食べて、ケガして喧嘩して、笑って泣いて、
家族と過ごしてきた長い時間が存在する場所で、
あの場所があるから家族が家族でいることができるような感覚があるせいだと思う。
それは錯覚だし、幸い家族仲もいいし、みんなすぐ会えるし、よく電話もする。
だけど、だけど。
あの床のくぼみまで覚えてる。
あの壁の穴はお兄ちゃんが起こって殴ったせいで、
みんなで考えた壁紙、リフォームした食器棚、
お母さんの肝いりだけど、お兄さんがぶつくさ言ってた和室のクローゼット、
はじめての自分の部屋だと思った押入れ、
風通しのいい大きな窓、
リビングでホラー映画見てた時、隣の和室から聞こえるお父さんの寝言にびびってふりむいたこと。
子どもの頃は全然勉強しなかったのに、
大人になってから、一人が勉強し始めるとだんだんと兄弟が集まった長いテーブル。
そういうこと、ずっと覚えていられるのは、場所があるからこそのような気がして。
今でも全員、あそこの住所をそらで書けるはず。
やたら長い住所。
あーあ。
悲しい。
すごく。
悲しみを漏らすわたしに、わかってたことを次兄が言う。





「場所がなくなったからって、家族でなくなるわけじゃないし、みんな失くすことは悲しいんだよ。
 でもさ、みんなが同じような喪失感を共有するっていうのもさ、きっと大事なことなんだよ。
 素敵なことでもあるよ。
 悲しいだけじゃなくて、前向きに決めたことだから。
 あの部屋は、405号室はいい部屋だった、素敵な部屋だった。それで十分でしょう」




そうだよね。
わかってる。
今はすごく悲しいけど、どうしようもく寂しいけど。
これ書きながらやっぱり泣いてるけど。

あの家の最終回のその日まで、たっぷり悲しむことによう。



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# by mouthes | 2017-08-26 20:09 | footmarks

成長

家を片付けていて、ふと思うことは、「あと何回この家で片づけをするのだろう」ということ。
この食器を使い、この箸をつかい、本を棚に戻し、ほこりを払い、床を拭き、掃除機のごみをだし、洗濯機を回し、トイレを磨き、風呂釜を洗い
そういうことを、あと何回するのだろう。

母は、「あなたが結婚したら、もうこの家にも来なくなるのかしらね」と言って、
その言葉には家に対するいとおしさがにじんでいた。
変化は仕方ない。
母はこの家を出て、故郷に帰った。
母の生活は、都会に残った私たちよりも、亡くなった祖父や、ほとんど覚えていないであろう母の生母のほうに、ずっと近い。
それは仕方ない。
みんながそれぞれ、きっと、いずれ。

9か月、長くも短くもそれくらいの間、会えなかった友達が、
きのう思い立って連絡したところ、すでに結婚していて来月子供を産むという。
ひどく驚く。
彼女の環境にもおそらく急激な変化があって、
そのあいだいろんなことを考えたろうし、気忙しかったことだろう。
一言言ってくれれば、と思う反面、私も連絡をしなかったのだ。
ニ、三質問をしてみるものの、返事も単調で、
おそらく今の生活に私が入る余地はないのだろうな、と思いながら連絡は途絶えた。
彼女との関係が遠くなってしまったことのきっかけも穏やかならぬものだったし、これも仕方ないのかもしれない。
「結婚」「子ども」という出来事を境に、きゅうっと丸くなって閉じていく彼女を想像する。
大きな大きな卵のようになっていく彼女のことを想像する。
たしかに「結婚」には、そういう側面がある。
それまでのことと現在が切り離されてまた新しく開いていくような。
そう教えてくれたのは義姉さんだったなあ。

思い出す彼女の一人暮らしの部屋と、彼女の手料理と、だらだらした時間。
センスが良く、頑固で、美人だった彼女のこと。
何を話していたのかは全然思い出せないけど、楽しかったこと。
不用意な言葉で彼女を傷つけてしまったかもしれない。
でも彼女が私を責めたことはなかった。
ああいう時間が訪れることは二度とない。
私も彼女も変わっていく体と存在を抱えながら、ほんの少しだけ道が交わったに過ぎない。




あのままでいたかった。
このままでいたい。
生まれたころから過ごしたこの家で、知ったものに囲まれて、
築いたものが崩れない世界で、包まれるように暮らしたい。
でもそれはできない。



このままでいたいなんて、思ったことはこれまであったかな。
このままでいられないことが苦しいと思ったことは、あっただろうか。
成長するってこと。老いていくということ。
目の前にあるものを蓄えていくということ。蓄えたものが少しずつなくなっていくということ。
初めて仕事が苦しいと思う今。
今まであったものが取り去られていくことと重なる。
祈ることしかできないのに、それすら十分にできない。
成長は苦しい。
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# by mouthes | 2016-10-25 13:17 | footmarks
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日常に戻っても何度も反芻してしまう映画、というのがたまにあって、『シング・ストリート』がまさにそれだ。
1週間のうちに何度も劇場に足を運んだ友人もいる。
映画をほめるとき、「ストーリーがいい」「役者がいい」「音楽がいい」「美術がいい」などいろいろな切り口があると思うけれど、
『シング・ストリート』をほめたいときは、そんなほめ言葉ではとても足りない。
人生で最も美しい瞬間を切り取ったような映画なのだ。
ある部分だけが良いわけではないし、足りない部分も含めて強い強い光を放つ映画だった。
「青春」という言葉が持つ、もう届かないきらめき、みずみずしい青臭さや、恥ずかしさ、幼さ、傷つきやすい柔さ、その柔い優しさ、そういうものが物語に丁寧に織り込まれていて、たまらないほど胸が痛かった。

どこが良かったという話をしようと思えばもういくらでもできるし、1回しか観ていないけどほんとにどのシーンも忘れられない。
話自体はかなりシンプルで、鬱屈とした世界から外に飛び出す、そのきっかけが女の子でありバンドだっていうある意味では「ありきたり」な話で。
でもありきたりだからこそ!この物語は!全世界で多くの人の心をかきむしるんだよ!


なにしろ私がたまらなかったのは細かい言葉のやり取り。
好きな者同士が些細な言葉で傷つけあってしまう瞬間を描く場面が、本当に素晴らしい。
コナーとブレンダンがぶつかる場面とか、ラスト近いコナーとラフィーナの公園でのやり取りとか。
今まで心が通じてたと思っていたけど、本当はお互いにまだ見せてない深さや浅さがあって、
「悪」や「悪意」は存在していないのに、相手を傷つけてしまう、すれ違ってしまうという。
よくあることなんだけど、本当に切ない。
それに、外の世界に出るときには、避けて通れない苦しさでもある。
それが反対に作用する場合ももちろんあって、
コナーとエイモンのやり取りはどれをとっても泣けるほどほほえましい。
「どうした?」「レコード聴こう」とか、「やりたい」「やろう」とか、「何してたの?」「うさぎにエサやってた」とか、
日常会話以下のやり取りでたしかに心が通じてる瞬間が詰まっている。
恋人同士が惹かれ合うように、ただの知り合いじゃなくて友達になっていく過程がとてもなめらかで自然で、これもこの映画の素晴らしさの一つ。
「特別な友達」も間違いなく運命の人だし、バンドやってたら尚更だよな。


コナーがやってるバンド自体もさ、別に「分かり合ってる」集団じゃなくて、
「一緒にいると何となく楽しい」とか、「利害の一致」とかその程度のかかわりなんだよね。
でもみんなで「バンドやっている瞬間」に味わった高揚とか、その時間を宝物のように思う気持ちは本当なんだよ。
この映画を絶賛する音楽家たちには、「言葉が詩になって、詩が歌として立ち上がる瞬間をとらえている」という言葉がみられるけれど、
音楽やってる人でなくても、その瞬間の感動とかときめきを感じることができる。
「相手がどういう人間か」とか、「何を考えているか」とか、そんなこと全然わからないけど、
同じものを大切にできることの貴さ、相手を大事にしたいと思う気持ちの清さが、あるんだよ。
その貴さにコナー自身のむき出しといってもいいほどの幼さが交じり合って、
・・・なんだろうなもう。狂おしい。
人生で初めて、一人の人間として手に入れる友達、勇気、恋心、そして向き合える家族。
それらに全身でぶつかって、正面から傷つくひたむきさは、自分の過去で、現在で、身近な子供たちの未来だ。
そして人生の挫折ときらめきの瞬間に鳴る音楽の素晴らしさ。

もーこの映画の良さと比べたら、私の賛辞など本当に空虚なものだよ。
もっと内容的なことが知りたい人は歌多丸さんの絶賛批評を読んでください。
もう一回観たいな。観た人と映画の良さについて話したいな。

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# by mouthes | 2016-09-21 15:32 | Movies&Books

言語

私はきっと、「言語」だから映画が好きなのだ。
彼はきっと、「冒険」だから映画が好きなのだ。
だから邦画は見ないのだろう。

私はどの芸術に対してもそれを「言語」として扱う、そういう節がある。
みんなが好んでいるものは、言語としてひろく流通しているからその価値が高い。
音楽も、絵画も、映画も、本も。
好む人が少ないものは、新しい「言語」としてのイマジネーションに富んでいる。
そしてそれを知っている者同士の秘密めいたものをはらんでいる。
だから広く、どこまでも広く、知りたい。

そんな風に思うと、わたしはその物自体に感動するということが少ないのではないか、
と思う。
芸術を体験して、なにか心を震わせたり、自分自身がすっかり変わってしまったりすることがないのではないか、
と思う。

そんな高尚なもんか?
とりあえず今年はたくさん映画を見てライブに行っています。
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# by mouthes | 2016-08-05 10:44 | footmarks

土曜日のタマネギ

1年半ぶりくらいに会う友だち、緊張するときに瞬きが増えるクセが変わってない。
「結婚するよ」って言ったらものすごく驚いて、笑ってくれた。
彼女はすごくモテて、この1年半に彼氏でもなんでもない人たちに2回プロポーズされたけど、
結婚しなかったって。
彼氏は優柔不断で、結婚はどうかな。
子どもは産みたいよね。
でもイギリスのEU離脱って、仕事って、暮らしって、老後って、
でも生きていくのは楽しいし、どうしたもんかね、
そんな話。今度あのバンドのライブで会おうねって別れた。

くだらない話でいつまでも時間が過ぎていく大学時代のあの感じ。
でも歳はとる。
もう素足で膝丈のスカートはきついね。
血色悪いし。

斉藤和義の歌って、なんかちょっと照れくさいんだよね。
固有名詞がたくさん出てくるからかな。
わたしが「会いたい」とか言われるの苦手なせいかな。
体調によっては嫌いにもなる。
この人の魅力が教養とか文化とか関係ない部分にあるからだろうな。
会いたいときに会いたい人に会える人の歌を聴くのは苦しいときもある。
でもたまにすごく聴きたくなる。
斉藤由貴の歌はいつだって好きだな。
夢の中でも触れるのをためらうような純潔。
あんな風に拗ねてみたい。

電車に乗っていとこのところへ行く。


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# by mouthes | 2016-06-25 17:22