皆殺し文学はやめだ

by mouthes

みんなのPTSD

2011年3月11日から、頭の片隅でずっと意識していること。
意識せざるを得ないこと。

原子力発電所のこと。

斜に構えることも許されない。
無視したってなくならない。

東京の女の子たちだってさ、どっかみんな不安だと思うよ。
自分が子どもを産めるのかどうか。
自分の子どもを、丈夫で、この先80年に耐えられる体に産んであげられるのかどうか。
それ以前にさ、自分が生きられるのかどうか、自分は生きていたいのかどうか、
それすら分かんなくなってるよ、バカみたいに苦しんでると思うよ。

原子力発電所を支持するやつはバカだし、
福島県の人は全員避難したほうがいいと思ってたよ。
その土地でどうにかするなんでもう無理だって思うから、
ボランティアも行かねえし、反原発運動だって傍観してた。
放射能は怖いよ。
何だかわからないものが怖いなんて当たり前のことでしょう。
誰も生きたことのない時代を今生きてるんだもん。
世界で初めて原子力発電所がこの規模で爆発して、
プルトニウムもストロンチウムも垂れ流してる国で生きてるの、私は。
ビビってたら技術の革新が起こらない?
明日死ぬかもしれないような技術なんていらねえよ。
今の生活を、自分から捨てることができる人は、いると思う。
でもできないと思う大勢の人が、今回も自民党を勝たせたんでしょう。
いや、福島の人はもうそんな理屈で動いてないよね。





「なぜ原発やめない」「今回は迷った」…福島の有権者

朝日新聞デジタル 7月22日(月)10時48分配信

 福島県内陸の会津若松市にある大熊町役場。投票所には、各地の避難先から続々と町民が訪れた。

 渡部重達さん(72)は、約100キロ離れた福島市から知人の車できた。「いつも以上に、今回は相当迷った」。決断は投票直前。「数が多くて強い政党のほうが復興を進めてくれるだろう」と、現政権に期待を込めた。

 原発事故の被害に苦しむ福島で、自民を選んだ人たちの心境は複雑だ。

 双葉町から福島市に避難している天野喜和子さん(57)は悩みながら選挙区で自民に入れた。原発をやめると言わない自民は「全く理解できない」。だが、民主への信頼も薄れた。

 自民が政権復帰して以降、復興政策には目に見える成果がない。「衆参のねじれで思い切った政策ができないなら、解消すれば進むのかな、という期待の一票」という。比例区は原発政策に慎重な公明を選び、自分を納得させたという。

 いわき市に避難中の楢葉町の菊田洋子さん(66)も同じ思いで、選挙区は自民、比例区で公明に投じた。「賠償を充実させ、復興を加速させてほしい」

 福島第一原発から約12キロの自宅は新築1カ月半で津波に流された。同居していた長男(41)は、工場の閉鎖で妻子を残し茨城県に単身赴任。将来の不安ばかりが募る。経済政策を強調する首相の視界からは被災地が消えている気がする。「でも、政権を持つ自民に頼るしかない。もう無駄に時間を過ごしたくない」




期待、なんて、言ってるけど、こんなもんは絶望とおんなじだよ。
誰に投票したって変わらない。
原発や復興すら、主権争い、政治の道具になってる。
目の前でばたばた人が倒れてる。
報道もボランティアもどんどん減っていく。
そういうもんに絶望して自民党に票を投じてる人もいるんだよ。
そういう人のことどう思ってんの、この国の代表はさ。

心理療法の先生が、
どこに住んでても、なにをしてても、この国の人たちはみんな今PTSDだっていう話をしてた。
あの時にみんなショックを受けて、どうしたらいいかわからない中で、
自分を保つために無関心を装ったり、自分を責めたりしてるって。

私も、今でも現実味のある話をするのが怖いよ。
復興を報道するドキュメンタリーも見たくないよ。
原発作業員の人の話も、怖くて聞きたくない。
自分のことだと思いたくない。
中に入ってきてほしくない。
自分の悲しみや苦しみで精いっぱいなのに、人のそんなもの、引き受けられるわけがない。

私は、用意するのに2年かかったよ。
自分の生活と、社会と、福島の現状を理解するためにこれだけの時間、かかった。
瞬発力がなくて申し訳ないよ。
ぼんやり生きてきたよ。

だから、今は言える。
原発には反対。
「おいしい思いがしたい」って利益を叫ぶのにも反対。
「弱い奴が競争に負けて搾取されるのは仕方ない」って暴力が正当化されるのも反対。
楽しくないからだよ。
おなかすかせてる人の横でたらふく食べるのも、
自分が苦しいからって同じ環境で過労死した人に鞭打つのも、
居心地悪いから、したくないでしょ、そんなこと誰も。
反原発も、TPP反対も、低所得者支援も、おんなじ理屈でしょう。
これが理想論だっていうなら現実っていったい何?
人間の嫌な部分ばっかり見て「所詮こんなもんだ」ってしたり顔で部屋に引きこもってるのが現実なの?
「みんな自分がかわいいから」っていじけた果てに開き直るのが現実なの?
不安を正当化しちゃだめだよ。
不安は自分のすべてじゃないよ。
私たちの現実は、「生きていくしかない」ってことだけだよ。
生きていくために、気持ちのいい環境を作るのが、私たちの現実なんじゃないかな。
そのための理想は、掲げるのが大人ってもんでしょう。

斜に構えるのも、わかりやすいその他大勢に流れるのも、
はみ出たやつを批判するのも、理想論を笑うのも、
全部子どものすることだよ。
大人は理想のために戦ってる。どこの世界のどの大人も。



同じ水槽の中で、エサはおろか上の魚が落とした糞すら食べないと生きていけないもんがいて、
今度は死んで上がってきたそいつらの死体食って永らえようっていうのが本当にみんながしたいことなのかな。
私にはそんな友達一人もいないよ。
みんなやさしくてまともだよ。
でも彼らだって自民党に入れてる。
「政党政治は自民に任せるしかない」って言ってる。
60年日本を守ってきた、民主にしたって変わらなかった、対立は政策の遅延を生むだけ。
そうとしか言いようがない現状もある。
でもあんたたちの知ってた自民党じゃないっていうのも現状だよ。
9条変えて戦争しようとしてる、
TPPに参加して農業をだめにしようとしてる、
企業をもうけさせて友達を過労で殺そうとしてる、
それが今の自民党じゃん。
私はあなたに死んでほしくないと思うから、自分の家族に生きていてほしいと思うから、
「なんでそんなことするのか」って言ってるんじゃん。


でも、権力と戦うために権利を叫ぶと、
権力の論理に落ちていく。
これは必定。
だから長いことジェンダーが苦手だった。
女性の権利、って、バーゲンで服とりあうおばちゃんみたいなのしか浮かばねえもん。
あんなもんの中にひとくくりにされるのはごめんだし、
権利を叫んで冷たくされるのは惨めなことだって思ってた。
人を押しのけて得られる権利なんか、しんどいだけだよ、いらねえよって思ってた。


友達の間に、権力なんてない。
他人と関わるときの基本だよ。
それがジェンダーでも、政治でも、基本なんだよ。
頭で物事考えてるやつが、したり顔で人間を分かったような気になっている人が、
傷つかないように動いて得してるように見える、かっこよく見える、
人間をあきらめてるやつらが、
権力と論理で感情をだめにするんだよ。

感情は、誰だって持ってる。
感情なら、分かち合うことができる。
感情のためなら、戦うことができる。

それが権利の基本。

いま、感情が噴き上げてる。
痛みが声をあげてる。

山本太郎が当選した。

がんばれって思う。
私は誰でもない、日本に住んでる23歳の女。
私のことばには正当性も説得力もないし、なくていい。
正しいから声をあげてるわけでも、誰かを説得したいわけでもない。

それでも声を上げることはできるんだよ。
私は生きて、これからも生きていくから。
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# by mouthes | 2013-07-22 15:47 | footmarks

SHAMEは弱さなの

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この映画は、私ではない人の弱さの物語。


ブランドンとシシーの関係は簡単じゃない。
なんでああなるのかなあ。
もっと違う方法で、大切にすることができるはずなのに。

人を愛そうとすると気が狂ってしまいそうになるなんて、
そんな悲しい病気はないでしょ。
死ぬことも生きることも怖いなんて、どうしてそんなに悲しいんだろう。

感情移入なんてしないし、同情もしない。
「このままでいいと思っているわけじゃない」「嫌悪してる、くだらないと思ってる」
だけどそこから一歩も出てこれないなら、それは自分から地獄を選んでるってことでしょう。
なんでそうなの。




見ながら、私は映画の何が好きで、こんなに映画を見ているのか考えた。
昔は、知らない物語にドキドキしていた。
映画は好奇心のすべてをぶつけいていいものだった。


映画を観なくなりはじめたのは、自分の生活が少しずつ色づき始めてからだ。
忙しくなって、
それ以上に楽しくなって、
映画を見るよりもドキドキする物語を過ごしていた。
当たり前だ。
3Dだってこの臨場感に敵うわけない。

映画でない世界にあった喜びや悲しみ。
苦しさやみじめさ。
それを上回る快楽。
そして答えられないような疑問。
救いようのない食い違い。

靴擦れの、マメの潰れた後の皮膚が固くなるように、
心にはかたい部分が増えたように思う。
そうでなければこの靴は二度と履けなくなる、それが怖くて、痛みを耐えた。



私は生きているだけだよ。
強いわけじゃない。
でもそれが誰かを打ちのめすなら、それもまた悲しいことだなあ。



映画には、
少なくともこの映画には、目の前に人がいるような苦しみがある。
いつか見たことのある感情が、ごろっと横たわってる。
気持ちのいい映画ではないけれど、強い感情が私に問いかけてくる。

目の前に現れた弱さに、私はまだ問いただすことしかできない。

なんでそうなの、どうして。
このままではまた同じことを繰り返しちゃうなあって、悲しくなった。
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# by mouthes | 2013-07-19 18:12 | Movies&Books

鉄人の靴ずれ

今日、母に「靴ずれをしてしまったので職場に靴を持ってきてほしい。つま先の隠れているものと、ふだん履きのサンダルと2足」とメールをもらい、
玄関に出すまではしたのだが、
持っていくのを忘れてしまった。
まったく別のことばかり考えていた。

距離的にも時間的にも引き返せないときになって気付いた。
さすがに申し訳なく、職場の最寄り駅に着くまで謝る練習をした。


「ごめん、本当にごめん。買いに行こう。見立てるから」


何を隠そう、母は形が悪くてすぐ靴ずれする靴ばかり買うのだ。
なんでそんなことになるのか全くわからない。
一目見ればわかるだろうに。


母と落ち合い、ひとしきり呆れられた後、靴を買いに通りへ出た。
要領の悪そうな、客にあまり関心のない店員さんに何度か見本のストックを出してもらい、靴を試す。
ほかに何足も持っているような、でもきっと足になじむであろう柔らかい革靴を買った。
黒だ。
このくそ暑いときに。
でも母は公演もあるので、まあ仕方ない。


ためし履きをしている時に見た母の足は、60年使いこまれた足だった。
甲は高く、外反母趾で、爪は乾いていて堅かった。
靴ずれの皮がむけた左足のガーゼとテーピングは痛々しく、本当に申し訳なかった。
でもそれも含めて、少しの痛みなど構わず歩き続けてきた気概と年季を改めて知った。
ずっと忙しかった母の人生は、ある意味で美容とは無縁だった。

世の中にはこういうお母さんがたくさんいるだろう。
でも増えているのはこまめに手入れをしたピカピカの足を持っているお母さんだろう。
私たちの世代は、気をつけてさえいれば、技術も知識もあるから、
ピカピカの足を手に入れることはそう難しくない。

でもピカピカの足を手に入れてしまったら、使い込まれた足を手に入れることはできない。
ぼろぼろで、それでも構わず走ってきたあの足を、手に入れることはできない。
私が憧れるのは、私が愛しているのは、
ぼろぼろになりながら私を、家族を育ててくれた母の足だ。

鉄のように強いを思っている母の靴ずれを見て、
母を愛しているなあと思った。

そんなことを思いながら母と別れて学校へ行った。
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# by mouthes | 2013-07-13 03:11 | footmarks




星野源の「化物」がだいすきだ。
すごく強い歌だと思う。
私の周りでは、星野源のファースがいちばん好きって言う人が多いけど、
私はサードが好き。

戦って、戦って、それを見せずに表舞台に立つこと。
負けて、負けて、それでも勝ちにいくこと。
そのことの喜びと快感がサードにはある。
根っこにあるみじめさと、湧き上がる喜び。

悲しみや、傷や、苦しさが、自分の体の一部になって、中から煌めくこと。
奈落の底から、次の僕が這い上がるぜ。


ファーストに通底する鈍い頭痛のような、起きぬけのけだるさのような、
答えの出ていない感じがいいのもわかる。
あのもやもやが答えだって思うのかもしれない。
否定しない態度も強さだ。
思えば、このアルバムが出る前から、星野源は強い人だった。

でも、サードにはそこをくぐり抜けて飛び出す、すごく積極的な強い意志があって、
それは欲しいものを取りに行く道行き。
どちらかを選ばなくてはいけないときがある。
避けようのない別れがある。
自分には理解できない悲しみがある。
抑えきれない欲望がある。

そのときに、どんなに痛くても「こっちだ」って言う、言えることが本当の強さだと思う。
ぐっとくる。
憧れる。





そうかー、

全部を分かってもらう必要なんてないんだな。

あたりまえだけど。

見せる場所や、見せる部分は、選んだって別に嘘じゃないんだな。
それが気遣いややさしさだとかっていうのじゃなくて、
伝えたいことをより伝えるための手段だもんな。
全部出したら、要素がばらばらで違いすぎて混乱するだけだもんな。
全部出せるっていうのはそれだけで甘えだし。
慎み深いっていうのは、見てくれだけの話じゃないですよね、神さま。

どの場面にも、持っていける自分がある。
言語化できないのが不安だけど。
今度は人から与えられた言葉じゃなくて、
自分で考えた自分で人と向き合おう。
自分で感じたものを人と分かち合おう。

そう思いながら、
望んだものが手に入らないことが、ずっと苦しい。
苦しくてみじめだ。
楽しいことをさがしあるいて、祈って、喜んでいるのに、
時折すごくみじめだ。
どうしてだろう。
こんなにいろんなものがあって、私は愛されていて、
足りないものなんてないはずなのに。
いつまで続くのかなあ。
こんな風に思うこと、久しぶりだなあ。
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# by mouthes | 2013-07-10 22:20 | footmarks

面白くもないこと

寝すぎて朝早く目が覚めた。
母もそのようだ。
私の母は起きていれば働いているので、今朝はすごい勢いで家事が進んだ。
9時過ぎに家事も佳境に入ったところで、布団も干してしまうかとベランダへ出ようとしたところ、
母が「そんなことまでできるなんて、やっぱり早起きは3文の得ねえ」といった。
わたしはうーんなんて気のない返事をして、
「父ならきっとこういうとき、「遅起きは4文の得かもしれないぞ」って言うよね」と答えた。
「言うかもねえ、面白くもないことをさ」と母は笑った。
父はマーク・ライデルの黄昏に出てくるノーマンにそっくりなのだ。
あの映画、本当にいい映画だよなあ。
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# by mouthes | 2013-07-07 13:34

目の細い美女

目の細い美女について小説を書こうかと思うくらい、
目の細い美女について考えてる。

いまのところ、目の細い美女として有力なのは木村多江さんと天海祐希さんだ。
次点として蒼井優さんと吉高由里子さんがあるが、彼女たちは顔自体が小さい。

欧米の美女は概して眼が大きく、眉もはっきりとしている。
浮世絵の美女に目の大きい人はいない。重要なのは鼻立ちと輪郭だ。

でもどんぐり眼、という形容詞があるように、
クリっとした大きな目が良いとされている背景もある。
しかし、それは色気とは全く違う方向性だ。
色っぽいとは、細面で、幽玄を身にまとったような女性のことを言ったのだろうと思う。

そっちがいいってことにならんかなあ。
いや、そっちもいいってことになってほしい。もう一回。

後学のために、目の細い美女を探している。
このところずっと。
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# by mouthes | 2013-07-03 01:54 | study

花咲くころ

浮かんでは消えて行くような
涙には小さな花が
きしんで弾けとんだら
あとにはさけ目がひとつ



目の前のことしか考えていない男の子をみて、
なんだか懐かしい気持ちになるのは、
きっと昔の自分を見ているような気持ちになるなのかな。

いや、多分違う。
こんな男の子に、私はなりたかったんだ。
目の前のことに命をかけられるような男の子に。





男の子は死ぬけど、女の子は死なないよなあ。
女の子は死ぬっていうより、消えるって感じ。
幻みたいな。
儚くて、やなんだ。

ただ居心地がいいだけじゃ、一緒にはいられないのかなあ。
本当に弱ったとき、そばにいてくれる人なら誰でもいい気がする。
固有性なんてそんなに大事か?アーレントに聞いてみたいよ。
そう思えるようになったのは、私が私を手にいれたからだろうなあ。
誰のものでもない私自身を。
どこまで行っても逃げられない私を、私が受け入れたから。

「日の出の日」だ!


じゃあさ、ちょっとだけ、土手に寝っ転んで、
僕等を追ってた夜も、呼び寄せ、


少女なんて、男の人の心の中にしかいないんじゃないかなあ。





居心地がいいってあんな感じなんだなあ。
あんな感じでいいんだなあ。

楽しいことは胸にしまって、前を見て。

どんどん、前に進もう。




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# by mouthes | 2013-06-23 14:51

季節は変わってく

風が気持ちいい。
でも窓を開けたままでないと寝苦しい。
こんなことをしていると夜に掴まってしまう。

布団を干して冬用の毛布をしまった。
すっきりしたベッドが気持ちいい。
こうして季節ごとの諸々を済ませていく。
全く新しい何かがくる。
そして過ぎて行って、季節を繰り返す。

こんなつらつらとしたことを書くよりも、一昨日のスチャダラパーの野音「23」がどれほどカッコよかったかを語るほうがなにがしか有益な気もするが、
ムダなことをするのがスチャダラノススメ。
悔しかったらライブに行けばいいんじゃない。

黄昏という映画を観ている。
何年か前、テレ東の午後のロードショーで流れていたのを偶然観て、
何かが心に残ったんだけど、
それが何かわからなかった。

わからないうちに最近出た雑誌で山田太一さんがこの映画を薦めているのを知って、
「やっぱりなー」と思った。

山田太一さんのドラマをみるたびに私の心には何かが残るんだけど、
それが何かはわからない。

「気持ちいいの原理」からいえば、
気持ちいいには違いないし、
「良さ」なんて言葉にしてしまうと、
途端に見当はずれな気がしてしまう。

激痛や、爆音や、強い光、
そういう直接的で瞬間的な刺激が、私の心に届くのだ。
それも、登場人物たちの何気無い所作、台詞、表情で。
不思議としか言いようがない。
どうしてこんなことができるんだろう。

こんなことは理論で説明できるものではないし、
魔法と言った方がいくらか的を得ている。
何の関係もない親子の仲直りの話で、私の胸が痛くなる理論なんてない。
戦争あがりのガードマンの話で、涙が止まらなくなることに一定のルールがあるなんて信じられない。

ああ、この映画のDVD欲しいなあ。
この刺激は私の心を柔くする。
柔らかい場所がすごく痛くなる。
ぴったり寄り添ってこすれ合うような。
無駄にエロいことを言って終わる。
スチャダラノススメ!
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# by mouthes | 2013-06-19 00:02
最近考えていること。
コミュニケーションの目的。



「共感なんてありえない」っていうあの人の言葉から考えたこと。
「だって何を考えてるかなんて本人に聞かないとわからないじゃないですか。
 ”こう考えてるかもしれない”なんてわかった気になって良い気持になるのは思い込みですよ」って。

でも”共感”は実感としてあるから、あれは何を感じているんだろう。

あれは快楽なんだよな。快感と言ってもいい。
誰かと話していて、”共感”していると思っているときは、”気持ちよさ”を共有しているんだよ。
相手が何考えているか理解してるとかではなくて、
話す気持ちよさと、聴く気持ちよさが、一致している状態が”共感”なんだよ。

だから言っていることなんてかみ合わなくていいし、内容なんか理解していなくっていいんだよ。
一緒にいて気持ち良くなることが目的なんだから。

そこが、あの人とは違うんだろうなあ。
あの人はきっと、論理の上で理解し合うことが目的なんだろうなあ。

私はそんなことをしてもあまり気持ちよくないから、ずっと噛み合わないんだろなあ。




そして、感覚的言語と論理的言語があって、
これも私の実感に感覚的な言葉をあてはめているだけだから、
具体的な説明は難しいんだけど、
イメージとしては論理的言語は新書、論文、
感覚的言語は南海キャンディーズの山ちゃんがすごくうまい。

お笑い全般が感覚的言語の遊戯のようにも思うし、
美術も音楽も感覚的言語だと思う。

感覚的言語は論理によって誘発・補完されることがあるし、
かといって論理的言語では感覚を呼び起こすことはできない。
感覚の仕組みを理解させることはできても。

感覚的言語が手品そのものだとしたら、論理的言語はそれのネタばらしと言ってもいい。

全ての感覚的言語は快楽のためにあるのだと思う。
論理的言語の中にも快楽はあると思うけど、論理的言語の目的は快楽ではないような気がする。




普遍性?



ちょっとしゃらくせえ気がする。




感覚的言語を論理的言語に落とし込んで理解しても何も意味がない。
感覚は、その感覚を覚えるしかないから。
死を言葉では理解できないように、生を言葉で理解することはできない。
感覚っていうのは生そのものだよ。

「気持ちいい」っていうことに理屈はないからなあ。感覚の方が先だからなあ。

快楽の感覚が広い人もいれば、
「ここ一点しか気持ちよくない」っていう人もいる。

快楽の感覚が広い人の中にも、その人なりの「道徳」がそれを制限していて、
その道徳からはみ出てしまうと気持ちよくないっていう人もいる。



感覚的言語は、生まれたころから使う。
論理的言語は、訓練によって獲得する。
しかしその二つは補完し合う関係にあるので、優劣はない。
感覚的言語は弱くもあやふやでもごまかしでもない、それでしか表せないもの・それでしか表すことのできない快楽だし、
論理的言語はその快楽を広範に利用するための仕組みを説明している。

感覚の中にも論理はある。
論理は感覚を伴わなければ机上の空論である。

そんな当たり前のことを、私は最近言葉にできる用意なった。



だから、

自分の理解できないことをしている人は、
それが「気持ちいい」からしているのだと思えば、
その気持ちよさを理解することはできなくても、
気持ちよさの仕組みを理解することはできる。

突飛な格好をしている人も、
真意をごまかし続けて生きている人も、
熱血先生も、
なんらかの常習犯も、

それは気持ちいいからそうしているのだ。
同じように「気持ちいい」と感じる必要はない。
わたしは、なんか気持ちよさを損しているような気分になるから感じたいと思うけど。
強欲ゆえ!


気持ちよさに理屈なんかないっすよねー
気持ちいいから気持ちいいんすよねー
超気持ちい!



「俺はこれが気持ちいい」に意地を張っている人たちを見に、
スチャダラの野音いってきまーす。







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# by mouthes | 2013-06-16 15:05 | footmarks

Talk & Hear




ずっと悩んできた。
自分の言葉を伝えるために。
相手の話を聞くために。
苦しくても、悲しくても、虚しくても、
やめられなかった。
どうしても知ってほしかった。
どうしてもわかりたかった。
自分のことも相手のこともわからない苦しさが、ずっと私を焦らせていた。


心理療法の授業の先生に聞いた。

「私の言っていることが響いているようには思えないんです。
 相手が自分の中から出てこないんです。
 そういうとき、わたしはどうすれば、その人の話を聞くことができますか?」

先生は言った。

「話すんだよ」

「ほうっておいたら、私は自分の話しばかりしてしまいます。」

「それでいいんだよ。話すんだよ。話して話して空っぽにして、相手の言葉聞くんだよ」

空っぽじゃなきゃ、相手の言葉なんて聞けない。
自分が吐き出せば、相手もこれくらい吐いていいんだって幅がわかる。出てこれるようになる。
聞くっていうのは相当難しいんだよ。簡単じゃない。




自分が間違っているんだと思っていた。
話してばっかりいることで相手を打ちのめしているんだと思っていた。
きっとそれも間違ってない。
でも、話すことは別に、悪じゃない。
だって、私が相手に求めていることだって、そういうことだもんな、そういえば。

何年か前、話して話して話して、それでも言葉が返ってこなくて、
それが悲しくて突き放してしまった人がいた。
でも、思えばその人は、離れた後に何度か私に近づいてきてくれていた。
私は自分の悲しみで手がいっぱいで、またその人を突き放してしまった。

あの時は、理解できなかったけれど、
彼はもしかしたら、初めて自分の中から出てきてくれていたのかもしれない。
その信頼を、私が傷つけてしまったのかもしれない。
あの時は、理解できなかったけれど。
ごめん、って思っても、今は届かない。
祈るくらいしかできない。
次があったら、もし次があったら、うまくできますように。
「わかるよ」って言う相手じゃなくて、「わからないけど、一緒にいるよ」って言える相手に、なれますように。



「ほかの人に吐き出して、その人に向かっていくっていうのでも、方法としては有効ですか?」

「有効だよ。でも、良い相手を選ばなきゃだめ!」





ばれてた!
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# by mouthes | 2013-06-13 14:30 | footmarks