皆殺し文学はやめだ

by mouthes

地獄でなぜ悪い

f0112996_16524267.jpg




星野源の歌はどんどん強くなっていくなあ。
サビに向けて高まって、響き渡るファンファーレ感に泣いてしまうよ。
憧れるほどの強さとユーモアがそこにある。

最初に星野源を聞いた時の印象は、「うさんくさい」だった。
聴いていて、歌に人見知りされてるような疎外感があった。
だって、こんな若いのに、おじいちゃんみたいなことばっかり言うなんて変だもの。
意味が曖昧な単語ばっかり使って、けむに巻かれているようでいらいらするんだもの。

でも自分の好きな人たちはみんな星野源好きだから、「良さがわかりたいなぁ」という一心で聴き続けた。

そしたら好きになった。
しかも、いままで「うさんくさいなあ」と思っていたところはそのままに。
この人は、曖昧で自己愛の強い世界に生きている。
そして、作品の中でそれがちっとも薄まらない。
それが珍しい。
普通、人前に出たら薄まるよ。
人に話すことで自分の考え方がより具体的になったり、自己愛なんか表に出して笑われるだけで大ダメージだよ。
そうやって、自意識が薄まって、複眼を手にいれて、薄まりながらも深い共感の世界に踏み込んでいけるようになるのが、「普通」だと思う。
それがメインストリームで行われていることだろうと思う。

でも、この人は薄まらない。
正確には、薄まらずに出てきたのがファーストの「ばかのうた」だ。
自己愛と憧憬と苦しみのつまった、すごく繊細で図々しい歌たち。
曖昧な単語は曖昧な実感のせいだ。
それは嘘ではない。
曖昧なものを具体的に理解することはできない。
論理は感覚に先立たない。
曖昧にしか感じ得ないものをそのまま表に出す。
それがこの人の誠実さだということに気づくのに、すごく時間がかかった。

ソングライターズというNHKの番組で、
「よくあるうたい文句で、『君と僕はひとつだ』と言われると、『ウソつきっ』と思ってしまうけど、『君と僕はふたつだ』と言われると、『そうだよな』と思う」
と語っていた星野源の、
この自意識の強さ。

わかりにくくてめんどくさくて不親切、
それが自意識。
私たちの病。
薄まらない共感がここにある!

でも、枚数を重ねるごとに、星野源は自意識から這い出てきた。
どんどん人の中に入って行くようになった。
自意識の強さはそのままに、自分以外の物語を歌い始めた。
そんな「布団」や「化物」がだいすきだ。
それは紛れもない強さ。
「ふたつ」を超えていく作業。
自意識の地獄から逃れる活路だ。
自分の不実さや嘘やごまかしに過剰に傷つきながら、
そこに留まっていじけないことを宣誓する、
最高の開き直り。

「嘘で何が悪いか!」

この先の変化で、景色はどんどん変わるだろう。
それが楽しみだ。
[PR]
# by mouthes | 2013-10-02 15:44

戦う時と佇む時

ある時まで、全力を出せない相手など友でないと断じてきた。
私が死に瀕したとき、相手が死に瀕したとき、助けたいと思えなければ、
自分には必要のないものだと信じてきた。
裏切られても愛せるのでなければ、信頼とは呼ばない。

でもある時から、自分の力をすべて込めることが嫌になった。
いつの間にか爽快感も摩耗しており、そもそもが無益に思えた。
私の全力は、私も他者も傷つけるだけだった。
私のやり方では、欲しいものは絶対に手に入らない。

悲しかった。

でも、今は悲しみを肯定することができる。
そうではない世界が理解できる。
全力や死線を超える価値観が、物事を左右しない世界。
さみしくて壊れそうな人の心を優しく甘やかすための世界。
世界の端っこ。流されてたどり着く場所。
夢のあとを生きる人。
限りない善良さ。
嘘ではない。欺瞞でもない。
空虚を真実に変える物語。

しかしそれだけでもダメなんだ。
さみしいだけじゃダメ。
いるだけでもダメ。
自分も何かを与えなくちゃ。
自分を見せることでしか人は人と関わりを持てない。
そのために戦う覚悟がいるんだ。
お腹に力をいれよう。
久しぶりだ。
戦えるんだ。
嬉しいな。
[PR]
# by mouthes | 2013-09-21 18:44

私の 私の彼は・・・

兄の話をします。

長兄は、平たく言えばええかっこしいです。
見栄っ張りで、よくカッコつけたがる人です。

自分にとって何が大切か、いつでも説明できる人です。
兄は牧師です。

わがままで、鈍感で、野暮ったいところもありますが、
自分に都合よく事実を曲げたり、自分の非を認めずに相手を責めることのない人です。
向かってきた人間や、自身の持つ違和感や疑問をごまかすことなく、
誠実に物事を考えて応えることのできる人です。


次兄は、すごくシャイな人です。
自分が本当に心に思っていることや、自分が恥に感じることを、
なかなか他者に言うことができない人です。
たとえそれが家族であっても。

偏屈で、打たれ弱く、計画性に欠けるところもありますが、
自分を大きく見せようとしたり、自分を棚に上げて他者を笑うことは絶対にしない人です。
兄が好む物はどれも謙虚で、注意深く、責任感の強さを感じさせるものばかりです。
青臭くとも嘘はなく、空虚であっても温かみのある、
一時の夢にさえ真実を見せることのできる、
手品のような面白さがあります。

兄は手品に騙されて喜んでいるのではなく、
手品を考える人間のユーモアを愛しています。
それは、絶対に人を傷つけることを目的とせず、なおかつ人の心に心を届けることのできる試みだからです。




そんな二人の兄が、私はとても好きです。
彼らは嘘やごまかしに頼らなくとも生きていける強さを持っています。
それがたとえ証明されることがなくとも、私はそれを知っています。
[PR]
# by mouthes | 2013-09-20 07:50 | footmarks

岡村ちゃんが好き

f0112996_1438087.jpg



新曲のジャケットができました!



岡村ちゃんが好きだし岡村ちゃんになりたい。
この場合の岡村ちゃんは人格的な意味です。
私が岡村ちゃんになるために必要なものは何だろう。
独りよがりでナルシストで博識でくだらないことが大好きで照れ屋なスター。
この人は、才能って言葉がありふれたものに聞こえるくらい、この人にしかないものが詰まってる。
多くの人にとっては自分を惨めな気持ちにさせる、極端さ、やりすぎて空回り、持て余す感情が、
岡村ちゃんにかかると魔法みたいにきらきらする。
「だいすき」も「Peach Boy」も「パラシュート・ガール」も、「真夜中のサイクリング」も、
そういうもんでできてる。
希望があるから頑張るんじゃなくて、頑張ることそのものが煌めきで、きらきらした希望なんだって、
言葉じゃないのにわかるような、そんな体験!
あーはやく新曲聴きたい!!
[PR]
# by mouthes | 2013-09-10 14:51 | footmarks

大人の階段

何か考えてしゃべろうとすると、考えているうちにしゃべるのが面倒になっちゃうようなことがたくさんあって、
「ああ、大人がしてるのはこれかあ」なんて最近思う。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…ってほどでもない、
めんどくさいに簡単に負けてしまう欲望の積み重ね。
すり減って行くのは心か下駄か。

「会いたいなあ」って思っても、いろいろ考えているうちに面倒になって、「会いたいなあ」から一歩も外に出れない。
そういうのが、大人だって思うけど、
だとしたらそんなに楽しいことじゃないよなあって思う。

私が生きている、楽しいだけじゃない世界。
奥行きがあるといえばそうだ。
複雑で芸術的といえばそうだ。
でも忙しいわけでもないのに、遠くなっていくのはさびしいな。

それでも一番欲しいのは、ユーモア。
笑いながら泣けること。
泣きながら笑えること。
それは愛によってのみ達成される!
[PR]
# by mouthes | 2013-09-10 01:13

永遠も半ばを過ぎて

『Lie lie Lie』の余韻に引きずられて、『永遠も半ばを過ぎて』を読みはじめた。
映画が大部分を原作に拠って、忠実に作られたのだなあと思う。
姿かたちや言葉が少しくらい違っても、人格や空気が見事にトレースされてる。
だから展開も見どころもほとんど知っているけれど、それでも読める。
読まされる。
読んでいるうちに文章の調子や登場人物の者の考え方が自分の中にしみ込んでくる。
自分が本になっていくような感覚にとらわれる。
波打ち際に座って、じっとしているうちに潮が満ちて頭まで浸かってしまう感覚の方が近いかもしれない。
ぶっきらぼうだったり、平易だったり、気取っていないことで気安く見えるけれど、
文章が美しいのだ。
それに入り込むのが気持ちいい。


f0112996_15575669.jpg

[PR]
# by mouthes | 2013-09-09 15:59 | footmarks

Lie lie Lie

f0112996_5262446.jpg




中原俊監督の映画は、「気の弱い人がよくしゃべる映画」だなあと思った。
『12人の優しい日本人』も『桜の薗』も。
そこには「話を聞いてくれる人」の存在があって、
「なんかこいつの前ではとりつくろえないんだよな」っていう気の緩みがある。

どの映画も、
人間の本質が暴かれたり、
強烈な個性が見せつけられるわけではないけれど、
人間たちが関わりあった時の化学反応がかっこよく描かれてる。
謙虚で饒舌、緻密にして大胆。
ほんと、こういう映画をもっと観たいよなあ。

たとえばインテリとか、サブカルとか、
今のご時世に用いられるとちょっとキナ臭い言葉がある。
だけど『Lie lie Lie』が撮られたころには、
こういう言葉ってもうちょっと気取ったいい言葉だったんじゃないかな。
人をカテゴライズしてこき下ろすのもいいけどさ、
そういうことすると面白さがダメになっちゃうんだよ。
自意識と自己愛と、それにまつわる嫉妬と嘲笑に耐えられない言葉だったのはしかたないけど。
ほんとは特権意識も自尊心もないのにね。

そういう煩悶に、この映画ははっきり答えを出してる。

「一番臭うのは文学ってやつですよ、先生。
 臭くて仕方ない。生きるための言い訳をダラダラと・・・人間が臭うんですよ」

インテリでサブカルでアウトローな魅力がたっぷりつまった、
自意識にとらわれない物語。
中島らも原作と知って納得だったな。
人間が強くてかっこいい。
[PR]
# by mouthes | 2013-09-07 05:24 | Movies&Books

濱田岳くんの色気

f0112996_147944.jpg
作品名みなさん、さようなら
監督名中村義洋
面白かった!
一人で観ても、誰かと観てもいい。
友達と二人で観たけど、笑って、手に汗握って、でも「くっだらねー」なんて言いながら、
充実の2時間だった。


死ぬまで団地で生きて行くことを決めた濱田岳くん。
団地から出そうとする先生。
見守る母。
思わせぶりな隣の同級生。
憧れの可愛い女の子。

日本の片隅、世界の縮図。

笑えるようで笑えないのが、こんな風に半径2kmくらいが世界のすべてのように思っている人は結構いるように思うから。
というか、私たちが本気で理解したり把握したりしようと思ったら、2kmだって広すぎるくらいだ。

私は、「新規開拓」が苦手だ。
居心地のいい場所が一つあればそれでいいし、そこが無くならない限り、新しい場所を探す必然性がないとさえ思う。
お金も時間も元気も有限で、あんまりつまらない思いはしたくない。
要は、欲張りでものぐさなのだ。
私の場合に限るけど。

それでなくとも、傷つきたくなくて自分を守るために自分の中にこもる人は多い。
主人公にとっては、自分=団地だっただけ。
団地の中には自分を傷つける人間はいない。
いや、この場所の平和を乱すやつがいたら、おれがやっつけるんだ。
そのために強くなるんだ。
そういう典型的な「男子の倒錯あるある」が物語の原動力。

昔、兄に「男の子には、『君を守りたい』スイッチみたいなものがあるんだよ」と言われたことがある。
「守れもしないのに?」と言ったら、「そう、守れもしないのに。あれなんなんだろうね」と言っていた。


でも、もしかしたら、そうやって倒錯する中で、男の子は強くなって行くのかもしれない。
倒錯の中で、強くなるための「必然性」を手にいれるのかもしれない。
「誰かのために」って本気で思えるのは、何も見えていないからこそなのかもしれない。

主人公は、「団地に住むみんなのことが知りたい」と言いながら、
隣りに住む女の子、4年付き合った婚約者、果ては生まれた頃から一緒に暮らすお母さんのことさえ分からなかったわけだけど、
「ここぞ」ってときに大見得を切って強くなれたんだよね。
意地が張れたんだよね。

自分のことなんか一つもわかってくれないし、
極端なことばっか考えるし、
冗談のひとつもいえないつまんない男の子なんだけど、

こういうとこ見せられちゃうと、「かっこいいなあ」って思わざるを得ないんだよね。
そして、濱田岳くんにはそう思わせる色気と説得力がある。
不思議なことに。

良い映画でした。
あと女の子がみんなかわいい。


[PR]
# by mouthes | 2013-08-02 00:56

昔と違うメモ

だいぶ忘れっぽくなったと思う。
「ああ、このことを書こう」と思ってパソコンの前に座った矢先に忘れてる。
記録するほどのことではないと言ってしまえばそれまでだ。
記録するべきことなんて私の手元にはない。

でも、もう一年近くたつのに覚えていることもある。
一年前のことで覚えていることってあるかな。
あんなこと、って思っていても、忘れられないこと。
もう遡るのも遠いけど。

なるべく怒る回数を減らして笑う回数を増やそうと思って過ごしている。

洗濯物を干している時、食器を洗っている時、拭き掃除をしている時、
ふと美しい気分になるときがある。
何かを美しいな、と思っている感じではなくて、美しいものの一部になった感じ。
スポーツとかしてる感覚に近いかもしれない。
いつも起こることではないけれど、ごくたまに。

ごくたまに起こることが、不自然なことで、嘘だとは思わない。
常に行っていることを人間の本質のように言う人がいるけど、
もしかしたら常に起こっていることは過剰な防衛反応かもしれない。
つまり、本質を隠すための、嘘というか、ハッタリというか。
だからこそ真面目な人がちょっと手を抜くとそちらが本質のように思われたり、
不良の優しさにほだされたりする。

ただ、どちらか、ということが言いたいわけじゃない。
普段していることも、たまに出るボロも、本質を見るならどちらも必要だ。
その二つを行き来するエネルギーに本質がある。
本質、ていうか、実体。

まあその程度のギャップは娯楽として楽しむくらいにしておいて、
本質を問うような場所に引っ張り出すのは間違ってる。

私の友だちにも情に厚いけど戦争には肯定的ってやつもいるし。
こだわりは強いけど自分に甘いっていう人もいる。
どちらもあるのが、その人の実体。

ラーメンズ「STUDY」のいろいろマンが好きな色の話をしようとするくだりで疑問に思ったこと。
好きな色は?って定型文のような質問があるけど、そんなに強烈に好きな色ってあるかなあ。
水色と緑はあると落ち着くけど、そんな色の服ばかり着ないし。
たいていのことは、好きよりも、嫌いの方がはっきりしている。
強さの問題で。
[PR]
# by mouthes | 2013-07-28 14:17 | footmarks

時計じかけのオレンジ

f0112996_0462729.jpg




マルコム・マグダウェル!

かっこいいー!

いやもう名作が過ぎてかっこいいなんて言うと寒いけどね!

でもかっこいい!

「Singing in the rain」を歌うシーンは即興だってね。
本当に魔法みたいだよなあ。
仕組まれてるとしか思えない。

ちょっと調べたら、原題の「A Clockwork Orange」の、
”A”はアレックス、”Clockwork”は無機的なもの、”Orange”は有機的なものなんだって。
向きで無慈悲な計算と、底からにじみ出るような有機的な色気が絡み合う。
なんでこんなことできるんだろう。


”悪いこと”が”悪ふざけ”で、
”暴力”は”超暴力”で、
深い意味はないのにすべてが伏線!

こんなことができる人間がいるんだよねえ。
見たことないけど、作品があるってことはいるんだよねえ。

ラーメンズや山田太一作品とはまた全然違う味わい。
積み重ねるっていう作業は同じなのに、どうしてみんな違うんだろう。
何かを積み重ねるってことはこんなにもセクシーなことなのかね。


ふぞろいの林檎たち見てて思うのは、
みんな、「関係が壊れない」前提のもとに、ぶつかったり、くっついたりしてるってこと。
人間の弱さは変わらないのに、私たちの世代には、関係が壊れない前提なんてないんじゃないかな。
みんな、壊さないように、それこそ薄氷を踏むように、なるだけ体重をかけないようにしてる。
それはさ、やっぱりつまんないことだよね。
わかったような気にもなるし。
ぐっと重たい、そういう面白さだってあるよ。
でも、薄氷も踏めるようになりたいな。
うん、つまんねえけど。
[PR]
# by mouthes | 2013-07-28 01:34 | Movies&Books