皆殺し文学はやめだ

by mouthes
まっすぐな道を通っている時、すごく気分がいい。
ドキドキする。
先が見えているので進んでいるという実感が強いけど、永遠に届かないかもしれないと漠然と不安にもなる。
進むしかないのだけれど。

そして困難は大抵思いがけず降ってくる。
背後から襲われる時もある。
だから見通しのいいまっすぐな一本道にあっても、私はどこまでも無防備でいるしかないのだと自覚する。
そして改めてドキドキする。
やたらに走り出したくなる。
逃げるのではなく、駆り立てられて!





だいたいこういうことを考えたり忘れたりしてる。
あまりに取りとめも脈絡もなくて人に説明できない。



いまナンバーガール聴いてる。
みんなナンバーガールを待ってる。
言葉じゃ伝えられないような、傷つけ合うことしかできないようなエネルギーを、
危なげな光を放ってぶつけてくれるような、
そういうナンバーガールを待ってる。
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# by mouthes | 2014-01-18 18:37

光のなかに立っていてね

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まだ、手放しで喜べない。
変わってしまったことは明白だ。
15歳のときに貪るように聴いていた銀杏BOYZではないし、
わたしはもう15歳ではない。

銀杏BOYZは、死んでしまったのかしら。
もういっちょうだ、なのかしら。
もっと聴いたらわかるのかしら。



もう一週間も前になるのか。
ずっとじいちゃんが危篤だ。
家族も親戚もあわてていたが、だんだん落ち着いてきた。
いや、表面上は落ち着いているように見えてきた。
一応ね。

小学生の時は毎年のように何週間も帰っていたけど、
大きくなってからは帰ったり帰らなかったりで、
それでも年に一回は会ってたと思う。
そんなじいちゃん。

じいちゃんは苦労人だ。
農家の長男で、男手ひとつで7人の家族を養った。
4人の娘は全員高校以上の教育を受けさせて、独立してからも70まで働いた。
働き続けていた。
それだけでも立派なのに、まったく偉ぶったところのない人で、
他の人にいつも気を遣ってばかりいた。
誰かに何かを「してやってる」なんて態度をとるところなど見たことがない。

ずっと、じいちゃんのことを考えると涙が出る。
できればずっと死なないでほしい。
でもそれはできない。
今じゃなくても、いずれ人はみんな死ぬ。
私は受け止めることしかできない。
わかってる。
わかってるけど。
さみしい。
かなしい。
年だから仕方ないなんて、全然思えない。
じいちゃん。
じいちゃんが生きているだけでいいのに。

見舞いに行ったとき、私を見て喜んでくれた。
帰るときに、「じゃあ帰るね」っていったあと、なかなか離れられない私に、
「大丈夫だから」って言ってくれた。
「また実家で会おうね、じゃあね」って言ってピースをしたら、ピースを返してくれた。
じいちゃんのピースなんて初めて見たな。
もっかいみたいよ。

一回も京都に行ったことのないじいちゃんと、
京都に行けたらな。
またじいちゃんがご飯食べれるようになったらな。

自分でも不思議なくらいさみしくて悲しいんだよ。
もっと一緒にいたいとか、もっと何かすればよかったとか、
そういう気持ちとは何も関係ないんだよ。
人の死が、避けられない死が。
少ない思い出をかき集めて、死に立ち向かっていこうと思うんだけど、
全然ダメだ。
死が奪っていくものも、与えてくれたものも、
私が持っている何よりもはるかに大きくて、
私はさみしくて悲しくて泣くことしかできない。
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# by mouthes | 2014-01-16 02:41 | footmarks

夏が来た!そのあとに





歳をとるのがすごく楽しい。
そんな今年も終わる。

自分の心も体も持て余していたときのことを、思い出すことの多かった一年だったな。
教育実習行ったってこともある。
「若いっていいね」なんてよく言うけど、
わたしが16,17のときなんて、ろくなもんじゃなかったと思う。
顔色悪いし、いつも便秘だし、男にはモテないし、友だちはいないし。





何か足りないものを、何かできないことを、
ひとつずつぶつかってどうにかしようとしてきた。
当たり前のことができない自分を憎みながら、
何をしても傷つけたり傷ついたりしてしまうことに窮屈しながら、
何もかもうまくいく日を望んできた。


それがあまりにも傲慢な願いだって気付いたのは最近のこと。
私の思い通りにしたいと思ったとき、私は誰かを憎まずにはいられない。
あなたを、彼を、彼女を、そして私自身を。
違うよね。
そんなことしたくて頑張ってるんじゃないよね。
ときおり私を満たす、あのうれしい気持ちの正体ってなんだっけ。

ジュテーム?
ジュテームがしたいんだよ。





あのうれしい気持ちを手に入れるためにはさ、
自分の外に出る必要があるんだよ。
自分の思い通りにしようとしたり、誰かに何かされるのを待ったり、するんじゃなくて。
無くなってしまうものを恐れるんじゃなくて、いつもできることするために体動かせるように。

もう、子どもじゃないからね!





年とったから、いろんなことできるようになったよ。
これからもたくさん出会うハジメテを心で抱きしめるよ。
全部平らげてにっこり笑うよ!
笑うべきだとわかったときは、泣くべきじゃないんだぜ。
笑顔、笑顔。





あのとき縋っていたいろんな音楽の、いろんな言葉の、いろんな想いの、
意味が少しずつ分かりはじめる。
大人になったから。
アツアツに蒸かしたジャガイモを割って出る湯気のようにさ、
ほろっと砕けて、中からいのちがこぼれるような。
そんな体験もたくさんしたんだ。
自慢。いいでしょー。


私大切にされてることがもうよくわかったから、
今度はさ、
私よりも大切な物を、たくさん見つけられるといいな。





夜も秋も盗めないようなね!
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# by mouthes | 2013-12-31 16:30 | footmarks

ここには喜びがある

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「かぐや姫の物語」観てきた。
観る前は「おもひでぽろぽろ」で感じたぎゅーっとした感情をまた味わってしまう、
と思うと期待と緊張で胸が張り詰める事態でした。


しかし観終わってみると、全然しっくりこない・・・
好きなシーン、言葉、作画、たくさんあるけれど、
私の何かを変えてしまうようなあの感覚が、味わえない・・・

そしてありきたりの問いに至るのです。

「どうして今、『かぐや姫』なの?」



歳を考えれば遺作だろうし、
数十億を投資した大作だって聞いたし、
「風立ちぬ」みたいなわかりやすいメッセージが、このよくできた物語のどこにあるんだろう?



答えはここにありました。


雨宮まみ「戦場のガールズ・ライフ  『かぐや姫の物語』の、女の物語」



私には、わからなかったなあ。
わからないことで気付いた。
私は、「女として生きる外圧」を感じないまま24年間生きてきたんだ。
その外圧と苦しみを体験したことがないから、女なのにわからなかったんだ。


私の父や母は、末娘の私を「女」として育てることがなかった。
歳離れた二人の兄もそうだ。
傍にいてくれた友達も、恩師もそうだ。
私は「私」として、24年間豊かに育まれてきたんだ。


私にとって私が「人間であること」は当たり前のことだ。
男女なんてしゃらくさい言葉が邪魔できない、心の交わりが私にはある。
引け目も、意地もない。



それだって、惨めで苦しい思いはたくさんした。
「女」と見られぬことを理不尽だと思った。
そして「女」として満足に振舞うことのできないかたくなな自分が嫌だった。
外圧を加えようとする者を跳ね返せる、自分の強さが邪魔だった。

従順になれたらよかった。
みんなが良いと思うものを良いと思いたかった。
あの輪の中に、どうしても入りたかった。




だけど、できなかった。




「女になりたい」、と望んで、
「女」になり始めたのはつい最近のことだ。
私はきっかけと鍛錬でだんだん「女」になり始めた。
自分の頑なさが溶けていくのがうれしかった。
「子どもでないこと」は限りない喜びだった。
この体が気に入っている。




だから私には、「かぐや姫の苦しみ」がわからない。
当たり前のように女として見られる苦しみが、
人の期待に答え続けられる覚悟が、
私にはわからない。

女だったらわかるわけじゃないんだよ。
体験したことのある人だけが持てる実感が、この物語には確かにあるのだ。




「おもひでぽろぽろ」で私が感じた気持ちを、雨宮まみさんは「かぐや姫の物語」で感じたようだった。

「どうしてわかるの」「なぜ知ってるの」
そうだよ、高畑勲はそんな物語を描ける人だ。
山田太一やサム・メンデスと同じように。




私は、あの邪魔だった私の強さを、苦しみから逃げられない頑なさを、
心の底から嫌っていた。

私の望み通りでない、欲しいものが手に入らない自分が嫌いだった。

だけど、だけどね。

今は愛してるよ。
愛されているということが分かったから。
その強さが、頑なさが、私に喜びをもたらしてくれたから。



この愛はメッセージ。
祈り!光!続きをもっと聞かして!








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# by mouthes | 2013-12-20 11:57 | footmarks

ドラマチック執着

ドラマのような出来事と愛についての考察のいくつか。






月曜日、約束をすっぽかされた。
約束、であったかどうかが微妙なところだが、何の連絡もフォローもないところを見ると、
やはりすっぽかされたのだなあと思いながら店を出た。
「別れ」となるであろう、大切な日だった。

帰り道は、怒りやむなしさというよりも不可解のほうが強く、
「こんなことをされる謂れはないぞ」とその理由を探っていた。

方々で相談がてら愚痴をこぼしながら、面白おかしく顛末を話す。
やはり誰が見ても不自然な状況ですっぽかされたようで、
ますます理由がわからない。


約束したと思っていないのでは?
急に用事が出来たとか?
わざとこちらに不快な気持ちを持たせるために?


「すっぽかされた」という事実からあまりポジティブな理由は考えられないのだけれど、
「最悪の事態」を考えてみてもどうにもしっくりこない。
だって向こうにとっても損しかない。
私みたいな距離の遠い人間を雑に扱うなんて。
悪評とかたったらどうすんの?
それにその人の人格とも符合しない。
私は10年来の友達でもなければお母さんでもないのだから、甘えられているとも考えにくい。
拒絶されるほど近づいた覚えもない。
関係を断つにしてももっと禍根を残さない簡単な方法があるはずだ。
わざわざ、こんな風にするなんて、簡単には納得できない。




最後に相談したお姉さんが、「なんでもなーいメールでも打ってみたら?」というので、
「打ちませんよお~」などといいつつ、「そうしてみる?」なんていって、
「月曜に会えなかった、別れを言いそびれた云々」というメールを送ってみたところ、すぐに返信があった。

「月曜はいけませんでした。ではまた」程度の内容の!




なんだか明確に怒ってらっしゃるような気がして、
というかそれを伝えられているようにも感じ、
これもまた率直に聞いてみる。




「そうでなかったら考えすぎですが、何か怒っていますか?」

すると「考えすぎです(笑)」だってさ。



しかし怒っていたは怒っていたようで、やつあたりをしてしまったといって謝られた。
これはどこまで真に受けるものやら、と思いつつ、やはりよかった、とも思うところ。

まだ、微妙なのだ。
負の感情をまっすぐに伝えられるほど、関係が成熟していない。
それくらいわかってる。



いろいろなことを話して過ごした時間は、会った回数を考慮すればかなり長い。
でも私はこの人のことをまだあまり知らないし、この人に対する自分の感情を図りかねていた。




また、気持ちを押し付けて関係を壊してしまうのが怖かった。
私の思い通りにならないことに対して、癇癪を起こしてしまいそうな自分が嫌だった。
物として見られることのみじめさで、窒息しそうになるのはごめんだった。




だけど、こうした「関係に対する執着」が、なんとなく自分の中にドラマを形成して、
わたしはちゃんと今、「恋をしている」と言うことができる。
パッと見て好きになったんでもなければ、一緒にいたことの惰性で情が湧いたのでもなく、
きっかけと執着でひとつずつ関係を積み上げていくことを経験している。





朝起きて、私は新しい恋に浮かれていた。
オザケンなんか聴いて。









卒論のめども立ちつつあり、なんだか一歩踏み出すたびに自分が新しくなっているような気持になった。
空は晴れてる。
お気に入りの靴が履ける。
空気は冷たくてコートは暖かい。
世界がキラキラ輝いてどんどん自分の中に入り込んでくる。



そんな風に自転車を走らせて、踏切で止まった。
顔をあげて、何気なく向こう側を見る。











ほとんど一年ぶりに、見知った顔を見つける。

この一年、同じ地域に住んでいたのにまったく顔を合わせることはなかったのに。

この時間に踏み切りに来るのは大学が後期に入ってからほとんど変わらずにしていたことなのに。

顔を合わせてしまうのではとひやひやしていた時もあった。

とても平静を装えるとは思えなかったから。










でも、私は少し慌てたくらいで、それに押しつぶされることもなく、
踏切が開いたときに目を合わせないように通り過ぎた。



私に与えられた新しいもの、新しいからだ、新しい思考、
そうしたものが、その人に対する負の感情や、自分に対するみじめさを雪いでくれていた。

私は、あの時みじめで弱くて身勝手に壊すことしかできなかった私じゃない。
あの人のかわいそうなところを、憎むしかできなかった私じゃない。



「憎しみはなにも実らせない」、だからね。




卒論は、図らずも性愛について書いてる。
「キリスト教的な愛」について学ぶ中で、
それが「抽象概念」ではなく「体験に基づいた実感」であることを知る。

そして、私もそれを感じたことが、確かにある。

すべての行い、それは良いとされる行いも悪いとされる行いも、
愛を達成するためにある。

愛とは、「他者を生かす」ことだ。

他者を生かすことで、私は最大に生きる。

それは実感を伴った真実だ。パウロや、アウグスティヌスや、ルターや、カルヴァンは、ちゃんとそれを体験していた。
ある種普遍的な知恵のようなものだ。

私たちは、私たち自身のことだけを考えているうちは、死に向かっている。
そして、それは徹底したディスコミュニケーションであり、思考停止だ。
イメージとしては窒息に近いかもしれない。
ミスチルみたいな、自分らしさの檻とか、そんな生易しいもんじゃないよ?
密閉された狭い部屋で自分の吐いた息に押し殺されるような、切迫した状況。



他者を生かすために世界に働きかけるとき、私たちは私たち自身から抜け出ることができる。
それが「本来的な生」なんだって、おにいちゃんに何度言われても理解できなかったな。

自分から勉強したとき、やっとわかったよ。




だから、私はもうこのドラマには押しつぶされない。
私はもう、あの人を憎んでない。
いまだに絶望的に自閉しているあの人が、愛に触れて変えられますようにと、



祈ることだってできる。
難しいけど、できるんだよ。



愛し愛されて生きているからね!








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# by mouthes | 2013-12-12 18:59 | footmarks
友人の奥方に手相を見てもらって、そう言われて、すごくびっくりした。
「ですって!」って友人に言ったら、
「それは手相を見なくてもわかるよ」って言われた!

なにー!

こんなに大事だと思ってるどころか頭の中恋愛のことでいっぱいですよ?
って言ったところ、

「他の人はもっとだから!あなたが「こんなにいっぱいだ」って思っているのよりも、もっとだから!」

って!



私が他のいろんなことを5%区切りで考えていて、恋愛に20%割いてるから「すごいいっぱいだなー」って思ってても、
他の人はもう80%くらい恋愛に割いてるから恋愛できるんだって!

なにー!



知らなかった!
私もあなたと同じくらい恋愛のことたくさん考えてると思ってた!
これでも自分にヤレヤレって思ってたのに!

私がもっと恋愛のことばっかり考えてたらつけまつげも付けるしリップも輪郭はっきりさせてぷるぷるだし爪もぴかぴかのきゃりーぱみゅぱみゅだって!
そこまで言われてないけど!


はぁ~そうですかぁ~


「恋愛して、結婚して、出産・・・ないわね」

えっ・・・・・全部!?」

「ううん、全部じゃない、全部じゃないけど~・・・
 そういう”女の幸せ”みたいなことが、したい?」

「いや、やってみたいとは思ってます。すごく」

「やろうと思えばもちろんできるけど~、それは、そんなに重要じゃない!」

「はあ・・・」

「もっと、社会貢献で、大業を成し遂げる・・・、それが商売になるくらいの」

「へー!」

「でも本人が意識してないから、まだその相がうっすら出てるくらい。その方が大事!」



わからんもんですねえ・・・



「あなたがパッと好きになる人は、あなたの相手じゃないのよね・・・。
 この人?って思うような、なんとも思ってない人があなたのパートナー。」

「ほう」

「私もね、別に好きじゃないの。あの人。顔も好きじゃないし、背も低いし、話し方だって、好きじゃない。
 

 でも、ときどき好き!それくらいがいいわよー」




もうめっちゃかわいいんですけど、なんすか奥さま!


「誰でもいいから遊んでやろうと思ったのね。今日からあたしは遊びまくるわ!って。
 で、誰でもいい中から、最適な人を選んだら、結婚しちゃったの。なんだよ遊べないじゃん!みたいな」




もうめっちゃかわいいんですけど!!!





「だからね、昔は「誰でもいい」の幅が、こーんなに狭かったわけ。それをこーんなに広げて、
 その中から最適を選ぶの。その集中力!集中力が大事。私の人生にとっても、一番大事かも。集中力!」



「肩に力入りすぎ。もっとこう、力入れないでいて、そう。そうやって胸を開いていると、すがすがしい気持ちにもなるしね!」



この二つの言葉が、目からうろこで。
最適を選ぶ。
最高とも、理想とも違う、現実と内省と快さを求めるってことだよなあ。

なるほど!


来年の一曲、「夢先案内人」にしようかと思ってたんだけど、ちょっと変えようかなあ。





夢じゃなくて、現実を見ていこう。
私にとってもう恋愛は夢じゃないからなあ。



スピッツ「大宮サンセット」、いいよなあ。
岡村靖幸「だいすき」は、毎日聴くから今年の一曲じゃなくても。
ピンク・レディー「UFO」なんて、突拍子もなくて良い!
オザケン先生の「強い気持ち・強い愛」は鉄板!


一年じゃ無理だけどさ、心に触れるようなさ、恋愛がしたいんだよ。
私が愚かだからできないことがたくさんあるんだけど、ちゃんとしたいんだよ。



うーーーーーーーん。
来年の一曲は何にしよう。

ハンバートハンバートかー?
ランタンパレードかー?
別にJudee SillやJoni mitchellが入らないわけじゃないよ!
Marvin gaye & Tammi Terrell「If I could build my whole world around you」も素敵ね~
ブルーハーツ「歩く花」でもいいよね。「ナビゲーター」とかね。


内省と、外界と、現実と、夢想と、あれ?

「汚染水」じゃね?








このPV超かっこいいよね。
強さが、曽我部さんの強さが、才気と色気が、爆発してる!



今年は、「夏が来た!」みたいに、「不思議なこと」がたくさんあったなあ・・・
私はこの曲から、もっとうっとりするような、そういう情愛を思い描いてて、そういうのはなかったんだけど・・・

私バカなのかな!
課題が手つかずで3時間経過!
あっぶえねー!!!
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# by mouthes | 2013-12-09 00:05 | footmarks

狭い部屋にいた頃

中学高校のとき、わたしはどうしてあんなに苦しかったんだろう。
学校にいた時間のことをあまり思い出せない。
いじめられていたわけでなし、何かを強制されていたわけでなし。
でも毎日が締め付けられているかのように苦しかった。
爆発を押さえ込んでいるような、火照る体をずっと水風呂に浸からせているような、
そういう抑圧が全て学校への嫌悪に繋がっていたような、
そんな気がする。
行き帰りに聴く音楽だけが楽しみで学校へ行っていた。
何せ往復3時間だ。




話せる人はいた。
6年も同じ学校に通っているんだから、
1学年分くらい顔も名前も一致する。
人と形もなんとなく知ってる。
親しくはなくても身内だ。
朝8時から夕方16時まで一緒にいるんだから、述べ時間で言ったらきっとほとんどの人が家族よりも長い時間一緒にいる。
上辺だろうと本音だろうとそれは変わらない。
仕事で一緒にいるわけじゃないんだから、取り繕っているならそれがその人の本性だ。
だから学校は、結構怖いところだなあと思う。






「友達なんていない」と言い切っていた。
親友は学校を辞めてしまった。
面白い人はどんどんいなくなる。
自分は取り残される。
こんなにつまらない場所に。
窒息しそうなほどつまらないこの場所に。

楽しそうにしてる奴らも、ひとりも友達なんていない。
思ったことも言えずに、押し込められている場所でしかたなく一緒にいるだけだ。
私はそんなことはごめんだ。
自分で自分をつまらなくするようなことはしないんだ。
私は私の人生を楽しくするために生きている。
妨げるものは敵だ!



どうしてそんなに思いつめていたんだろう。
「息の仕方を知ってるなんて奇跡だぜ」と言わんばかりに。
思い通りにいかないことに一生懸命怒っていた。
今は、そんなことしないもんなあ。



人を閉め出した狭い部屋で、壁に向かって叫ぶような、そんなこと。



大きく息が吸いたいなら、外に出て深呼吸でしょ。

人の部屋に行っても、人を部屋に入れても、
その人の全てなんてわからない。
わからないまま分け合って、わからないまま受け入れるんだ。
快楽も痛みも愛情も憎悪も、わからなさの中で通り過ぎる。
感謝と羞恥だけが残る。
来てくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。
自分がバカで恥ずかしい。もっとうまくできたらなあ。

確かめようのない「ほんとう」や、形だけの「ただしさ」を、追い求めたり押し付けたりして何になるんだろう。
結局違いが浮き彫りになるだけだ。

私は肯定したいのに、そこからどんどん遠ざかる。

好意的に、とか、善意で、ていうのでなくて、
素直にすでにそこにあるものを受け入れたいのに、
それを真実やら正義やらという言葉にすると、
どんどん遠ざかる。



違うけど、良いんだ。
それは、非常に良いのだ。
私はもう、人を裁きたくない。
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# by mouthes | 2013-11-29 12:59

わかったこと

触れ合うことと好意は必ずしも同一でないこと。
自分の中の結論ではなく、第三者から見てどのような行いか、考える必要があるということ。
(なぜなら、対峙している相手こそが第三者だから)
自制心を持って行動することが、愛の達成に欠かせないということ。
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# by mouthes | 2013-11-25 17:19

はあとぶれいく




心のかけらがぶっ飛んだ!


新しい環境と新しい肉体と新しい精神。
状況も環境も絶えず新しくなっていくのに、苦しみは変わらない!
みじめさだけがみじめさのまま。ボーイズ・オン・ザ・ラン。

善良であるために賢くあらねばならぬ、とはフレッチャーの談。

ほんとに、ほんとに、知らなかったんです。
知らなかったから、状況に流されていれば、自分の望んだ場所にたどり着くのだと思っていたのです。
そんな都合のいい話、ってさ。
賢かったら気づけたんだよ。
でも私がばかだったから。

この気持ちが、なかったものになってしまうのは、とてもさみしいけれど、
あることそのものが恥の上塗りなんだから、
とってもつらい。
みじめで、まじめで、とってもつらい。

人と、その距離の縮め方と、好意の示し方は、ずっと難しい。
何度おんなじところで間違うんだろう。
人からどう見られるかなんて久しくどうでもよかったけど、
そういうの、気にしないとダメなんだなー。
それは、その人を、そして自分を愛するために必要な作業なんだなー。
恥ずかしくて、つらいのが、みじめってことだな。

純粋な感情と、伝えるための計算と、愛という目的が欲望よりも優先されることが、
私に求められている。
普通の人は感覚で動くだけですることができるのに、私が不器用だからできない。
何もできない。
苦しくてたまらない。
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# by mouthes | 2013-11-25 15:53 | footmarks

風立ちぬ

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誰にも、わからない。
だけど、しあわせ。


「見ているだけで楽しい」とか「共感できる」とかではない映画だったなあ。
でもそれも含めて、余すところなく「男子」だった。
私が日頃感じている男子のいいところも悪いところもほとんど描かれていた。

あの視野の狭さも、好きなものに夢中にはなって興味のないものは理解すらできないところも、女の子のことなんて全然理解してないところも、
思いっきり「男子」だった。
相互理解なんて親友とすらできていない、コミュ障甚だしいこの天才。
全く魅力的な主人公としては不出来な堀越次郎。
だけど、なかなかどうして彼に恋する気持ちだけはわかる。
だって王子様なんだもの。

菜穂子もたいがい夢見る少女だけど、
彼らがいいのは、
自分のしていることに一切言い訳をしないところ。
それは潔いよ。
昨今のナイーブ男子は言い訳ばっかしてるもんね。
繊細さを傘にきて隙あらば甘えようとするもんね。
その最たるものがミスチルであり浅野いにおですが、
やっぱり宮崎駿は年季が違うね。
自分が好きなものしか目に入らないことに腹くくってる。
あれで堀越次郎が少しでも「僕のことわかってくれるよね、許してね」なんて言おうもんならクソッタレだと思うけど、
最後までまったく言わなかった。
夢見る少年で終わらなかった。
夢を見終わった後も死ねない少年として生き続けるんだ。
そこに喜びがあるかは疑問だけど、
隙あらば「生きてる意味って本当はないよね?」ってわかりきったことを覚悟もなくおずおず聞いてくる甘ったれよりはよっぽどかっこいいです。
生きてる意味なんてなくても死ねませんから。
心に熱いもののないことすら人のせいにしてんじゃねー!

好きなものしか見えてないし、
正義っていうより傲慢で鈍感なだけだし、
好きなものを追いかけて妻も飛行機も財産も失った「男子」は、
それでも生きていく。
そうなんすね、駿先生。
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# by mouthes | 2013-10-12 03:42