皆殺し文学はやめだ

by mouthes

強い色

君が喫茶店で、何を頼もうか迷う
手のしぐさが好きだった
目を伏せるから
眉を寄せるから
唇を触るから
低い吐息を漏らすから

いつも一瞬
そう一瞬
決めたときに君の眼は強い色を宿すだろ

決めることは怖い

奪われる心配がないから
全てを与えるつもりで
君が奪ったものをすべて
施しに回そうよ
それが君のものじゃないって
みんな知ってるよ

いつも一瞬
そう一瞬
すべて手放したときに君の眼は強い色を宿すだろ

決めることは怖い
覚悟が足りないから
見る前に飛びたいから
でも見なくても飛べるよ

夜が明ける前に窓越しで見た赤
日が沈む前の閃光のような赤
ふと顔をあげたときにだけ見える赤
あの色だけを知ってる
あの色だけを知ってる
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# by mouthes | 2014-04-13 21:13 | words

池上さんを呼んできて

ニュースだけじゃない。
世の中に私が知らないことで多くの人が了解済みのことが多すぎる。
わかりやすく説明してくれ。
この世界のあれやこれやを!!!!!!



でも自分で考えるしかないんだよね。

よくしゃべるから、自分で考えなさいって、あんまり言われなかったんだよ。
考えなくてもしゃべれるもん。
勉強もできないわけじゃないしね。
反射なんだよな、反射じゃダメなんだよな。

これから作ろう。ここから考えよう。
自分なりのやり方。
自分の見る世界。
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# by mouthes | 2014-04-13 19:10 | footmarks
「しゃべる」という動作がとにかく億劫で苦痛だという人がいるらしい。
頭を使い、口を動かし、相手の言っていることを理解するために聞く、
そういう動作に快楽のない人というのがいるらしい。

私には思いもよらないことだった!

他に例をあげるとすれば、「セックスが気持ち良くない」とかそういう話。

そんな人いるんだ!!!!



おもしれー!

しゃべるという行為だけで気持ちよくて楽しくて、これ以外は何もしたくないとすら思う私がいる一方で、

言語化されない感覚に価値はなく、議論にならない会話を無益な物と切り捨てられる、

そういう人がいるんだ!!!



おもしれー!




私は、自分の意見や立場なんてものはあまり価値がないと思っています。
何かを正しいと言い募ることには何の快楽も喜びもありません。
そんなことよりも、私は一分一秒でも長く気持ちよいことをしたいし、この世につまらないと思うことをひとつでも減らしてより多くの物を楽しみたいのです。

そのためには、強い感受性とタフな肉体以外に必要な物はありません。
イデオロギーやプライドなど燃えないゴミの日に捨てればいいのです。

それが唯一の立場といえば立場です。しかし有名無実なのは言わずもがな。
ニュートラルというのでもないし、
私は、ただただ強欲なのです。


そしてこの立場の一番の敵が、差別と偏見です。
差別と偏見は自分の視座を狭め、貶め、すべての人から楽しみを奪います。
そして「こいつよりは上だ」「こいつとは違う」という本当にちっぽけな見栄を守るためだけに人を排除したりしようとするのです。
くそったれが!


そこに楽しみや喜びがなければ誰に従う義務があるのだ?と問いたいね。


ただ、私のこの快楽というものが刹那的であることは否めないのです。
決して社会的でもなければ建設的でもありません。
そして世の中には殺人の快楽や禁忌を犯すという快楽も根強くあるので、
それに対して拒絶できない私の倫理はやはり破綻しているのです。

だからこれは倫理ではなく我欲で、声高に叫べるものではないなあと思うのです。
否定できない強い欲求ではあるけれど。




「論理的な会話」や「建設的な議論」を会話の重要な目的だと考えている人たちに対する質問がいくつかある。

・論理的でない感覚やそれを言語化できない人間は切り捨てる(排除する)ことになるが、それは「損」だとは思わないのか?

・たとえば知的障害があったり精神疾患がある場合そういうことは困難になる場合があるが、その人たちの持つ感覚や言語、たち振る舞いはまったく「意味がない」または「存在しない」ことになるのか?

・自分が認識できるもの以外に価値を見い出さないというのはあまりにも傲慢な態度ではないか?

・私はそれこそ「人をなめた態度」だと思うが、どうか?

・感覚を広げていくことに関しては興味関心はないのか?そこに快楽はないのか?

・というか刹那的な快楽は価値として認められないのか?



私はまったく誇り高いわけでもなければ自分に自信があるわけでもありません。
人並みに評価されたいとは思うけれどどうすれば評価されるかということまで頭も回りません。
自分が計画を立ててそれに沿って行動し自分が狙った通りの評価を得たときに、
「やっぱりね」以外の感想がなくとてもつまらないからです。
私の脳はつまらないと思うことに対しては本当に動きが鈍くていけません。

自分が面白いと思うことを心のままに表現できる人間が一人でも増えればいいと思って教師になろうとしています。
自分とは全く考えの違う人間や、思いもよらない発想をする人間、
そういう人が増えれば増えるだけ世界が強く新しく楽しくなるからです。
そう、世界が!

ただ、これは野望であって、教員の基本的な業務とはやっぱり異なるのだと思います。
私は論理に批判されない技量や納得してもらえる知識量を持つ必要があるのだということも痛感しています。



でも、それだけじゃないよね。



楽しいっていうのは、楽しいっていう感覚でしか理解できないはずだもん。



そういうことを、今度引っさげて言ってみよう。
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# by mouthes | 2014-03-22 03:19 | footmarks
じいちゃんが、死ぬ前の時間を、長く共有したうちのひとりだろうと思う。
入院してからすぐと、入院してしばらく。
入院する前とは少し変わってしまったじいちゃんと、家に帰りたいというじいちゃんを見ていた。
痩せた体。力のない眼。
どれほど年をとっても、腰が曲がっても、
家にいるときは、ゆるぎないじいちゃんからは感じたことのない不安と悲しみ。

そういうものを、できるだけみないようにして、
自分は元気でいようと思った。
自分を守ることがまず先に立って、次に支える方が疲れちゃいけないと言い訳してた。

じいちゃん。
すぐ泣く私の涙なんかに深い意味はないけど。
ええかっこしいで見栄っ張りのお調子者だって、きっとばれてるけど。

もう増えることのないじいちゃんの日記が、
いつも寝る場所に置いてある使われない枕が、
なるみの誕生日を祝うのにじいちゃんがいないことが、
さみしいよ。
じいちゃん。

死に顔を触ったのも、骨をもらったのも、
それくらい死が遠かったからだ。

近づいて、また遠ざかるんだろうな。





最近気付いたことのひとつに、

誰もが納得できるただ一つの真理なんてないんじゃないかって思った。
真理っていうのは、きっとたくさんあるのだ。
みんながそれぞれの方法で、自分だけの真理にしかたどり着けないのだ。

それにはいくつか、もしかしたら共通点があるのかもしれないんだけど、
その共通点をさがしたり分類してさらに細分化したりすることにまったく意味はないと思った。

「共通する何か」が真理なのではなくて、

「違う」ってことが真理なのだと思う。

整理や分類っていうのは、その末に何かがわかるのではなくて、
違うってことを認識するための前提条件に違いない。

だから寝ているときによく見る夢のように、
混沌としていること自体が真理で、存在があるってことなんだともう。
混沌としていることを編集して混沌でなくしてしまうことは、真理でもなければ本当でもないと思う。
納得のできる嘘でしかないのではないかと、思う。

恋をしているとき、そしてとくに失恋したとき、
世界で重要な問題はそれしかないような感覚に陥る。
この感覚は過ぎ去ってしまえばばかばかしいことこの上ないんだけど、
「ある」という一点でやはり真理なんだと思う。

じいちゃんが死んだときすぐ涙にならなかった感情が、
時に笑いになって、怒りになって、悲しみになるんだけど、
矛盾する状態が同時にあるってことが、やっぱり本当なんだと思う。


松岡正剛さんのしている「編集工学」は、
つまり混沌を編集する方法自体をひも解くことで、編集される前の混沌に触れようとしているのではないかと思う。

死ぬ前のじいちゃんは、混沌としていて、
昨日のことを覚えている半面何十年も前の鳶だったころの記憶で怒ることもあった。
私の知っているじいちゃんは、自分のことはほとんど話さない人だったし、
感情をあらわにすることも少なかった。
死ぬ前には、そういう寡黙なじいちゃんと、不安なじいちゃんと、ダダをこねるじいちゃんが混在していて、
みんな「どれくらい意識があるんだろう」といぶかっていたくらいだけど、
人としてあれほど本来的な状態もないのだろうな、と思う。

混沌を、なるべく編集せずに実感し出力することはできないだろうか。
それは、「美しい」ってことなんじゃないかと、古い問いに答えを見い出す。


曽我部さんが『まぶしい』で歌っているように。
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# by mouthes | 2014-03-14 14:56 | footmarks

どこにいるの?





だいすきなじいちゃんと別れ、
横浜に帰って来た。
じいちゃんの骨を持って帰って来た。
これからの一生を、また違った形で続く関係を、持って帰って来た。

ようやく、卒業と教員免許の取得が決定した!
ほっとした―。
ほんと、トンマだから、どっかで仕損じるんじゃないかと誰よりも心配だったのはこの私さ!
言われるまでもないよ、超心配だった。
けど決まったから!
あーよかったー。

卒論も、十分すぎるお褒めの言葉をいただいたし、
惚れた腫れたも過ぎ去った。
空気は冷たいけど日差しは暖かな春の予感。
こんなにも喜ばしい気持ちで春を迎えたことがあったろうか!

私の心や、力が、少しずつ私のものになってきている。
なにこの、充実感!力!たぶん、心と体の痛み!

じいちゃんの看病、通夜などと前後して、
福満しげゆきさんの『僕の小規模な生活』にがっつりハマってしまい、
6巻などは声をあげて笑いながら読んだ。
私はなんだかんだいってすぐにキャパがいっぱいになってパニックになってしまうので、
看病や通夜などで、すごく強い感情が直接心に流れ込みそうになるのを、
自分とはまったく違う自意識に逃げこんで回避します。

だからこの時期に読んだ、
小島政二郎『円朝』や山田太一『冬の蜃気楼』、
福満しげゆき『僕の小規模な生活』には、
大変助けられたし、何より影響を受けています。
こんな遠回しな言い方をしても仕方ないな。
もう、大好きです、この方々。たまらないです。

自意識が強いことはさることながら、そこがまったく安住できる場所ではなく、
絶えずそこからはみ出したり突っ走ったりしながら、
自分ではない人間、他者の心に触れて、
喜んだり痛んだりする。

これを当たり前だって思ってる人、いるでしょう。
普通のことだしみんなやってると思ってるでしょう。

案外やってないんですよ、みなさん。

けっこうたくさんの人が、傷つくのが怖くてある程度他人に対して無関心決め込んでるんですよ。
それか本当に興味がないんですよ、自分以外の人間に。
びっくりするくらい。
子どものころ、何にもわけわからんから虫とか平気で触ってたけど、
物ごころついて知恵が回り始めると触れなくなるでしょ。
それと一緒で、ずんずん人に踏み込んだり人が踏み込んできたりすることをゆるしていたのが、
そういうこと自体をしなくなっていくんですよ、だんだん。
私は大人になるのが結構遅かったので、そのあたりかなり自覚的です。

理由は様々ありますが、一番はエネルギー不足。
仕事もたくさんあるし、夏休みはないし、時間もお金も有限なのが大人の世界。
「見たことのないもの」「しらないこと」もだんだんと減っていき、
刺激に対する耐性があるようでなくなっていくんです。
新たな刺激が怖いんです。
今まで培ってきたよりどころを、大きな力でひっくり返されることを嫌うんですよ。
それが怖いために、自分の今考えていることが正しいと思いこもうとする悪循環。
大人になればなるほど心を新しくする機会が減って、どんどん腐っていくわけです。

心が腐る、というのは比喩ではないと私は思っています。
心が腐ってしまうと、新しくなる機能が衰えて、
自分自身の情動や外界からの刺激にすごく鈍感になってしまうのです。
しかも、世界はこくこくと変化しているので、どんどん世界と齟齬が生まれていく。
挙句の果てに「世の中は何もわかってない」とか中学生みたいなことを言い出す始末。
目も当てられない!

そういうことをさせない為に、
芸術は闘っているのだと思います。
自分の外に世界があるということを教えるために、
芸術があるのだと思います。
宗教もそうです。
「自分がいちばん正しい」なんていってくれる宗教は、この世にありません。
自分よりも大切な物を知るために、宗教があるのだと思います。
自分の外に出るための方法を教えてくれるのが、宗教だと思います。

自分のことしか考えられない私が、自分をちゃんと愛するために、
他者のことを生かすことができるように。



自分を愛するということは、他者を生かすということなのです!
だから愛だなんだとのたまって他者を支配しようとするのはおやめなさい。
それ、愛じゃないから。
むやみに自分を犠牲にしようとするのもおやめなさい。
それも、愛じゃないから。
他者を生かすことによって、自分を愛するのですよ。
それが心にとって一番いいことなのです。
さみしさに抗うただ一つの方法なのです!


散文!!!
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# by mouthes | 2014-03-10 15:50 | footmarks

「まぶしい」の地平で

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曽我部恵一「まぶしい」を聴いてる。
何度も何度も。
アルバムに先駆けて2/28に渋谷クアトロのライブに行ったことも強く影響している。



2/28の曽我部さんの放つ緊張感といったら、みたことがないほどすさまじかった。



事前情報にあったとおりの曽我部さんマイクのみ、尾崎友直さんギター、ソカバンでおなじみオータコージさんドラムという、
アメリカ西海岸を思わせるような(よく知らないけどそういうイメージ)不思議な編成は、
ライブハウスで目の当たりにしてもやっぱり不思議だった。
この編成を聞いて色めきだってワクワクした人もいれば、二の足を踏んだ人も多いだろう。
多作であり、七変化のように様々な表情を見せる曽我部さんの音楽だからこそ、
「またあのわかんないやつかな?」って思った人もいるだろう。
朗読とかラップを見せ続けられるやつなら今回は見送ろう、弾き語りかソカバンじゃないならやめておこう、
そんな風に行くのをためらった人もいるんじゃないかな。

結論から言うと、



あーあかわいそうにこのマヌケ!



って感じです!!!!



あの日見たものを適切に言葉にできる力が、今の私にはありません。
だって、今までのこととこれからのことが、
一気に体に流れ込んできて今の自分の中でひとつになったんだもん。
そんな体験は、本当に久しぶりだった。
5年前の受験勉強をしていた5月の昼下がり、
なぜか突然私の命は太古まで遡ることができるという事実を実感したあの瞬間とか、
生まれて初めて好きな人とセックスをして自分の痛みよりも他人の快楽を望めた時とか、
そういう時に味わった「これまでとは決定的に自分が変わってしまう瞬間」が、
あのライブにはあった。



何が変わってしまったか、わかるまでには時間がかかる。
だけど変わったことだけははっきりとわかる。
私が頑なにこだわっていたことの全てが、本当にくだらないことだとはっきりわかった。
名前や、契約や、経験による裏付け。
人の感情をつなぎとめる技術。
自分を卑下すること。
私を満足させるために必要だと思っていたことの全て。



なんて儚くてつまらないあれやこれ。
それをかき集めることに必死になって見落としてしまったものが、
そのライブには確かにあった。

それはわたしの感情。
好きな人に働きかける気持ち。
うれしいことをうれしいっておもうこと。
いじけたり諦めたりすることよりももっともっと強い求心力で私を巻き込む、
人の心に触れたいというあの強い欲望。



できることが増えて、選ぶことができるようになった時に忘れてしまったことが、
こんな形で自分に返ってくるなんて。

曽我部さんはFacebookに「自分の歌の上に重なっている色々なものを、ひとつずつゆっくりとかきわけていくような、払い落としてゆくような」ライブをしたというようなことを言っていたけど、
削ぎ落とせば削ぎ落とすほど、ライブハウスに曽我部さんが充満して行くあの感じは一体なんだったんだろう。
景色やメッセージが単純であればあるほど、見たこともないように感じるのは一体なんだったんだろう。
飽きるほど聞いたことのある歌が、思い出も感情も引き摺り出して体の中で爆発したのはいったいどういうわけだったんだろう。



聞き流すことのできない歌による嵐が、
私をずぶ濡れにして心の奥まで染み込んでしまって未だに乾かない。
私が今まで何を持っていたというのだろう。
手に入らなくて泣いて歯ぎしりをしていたものはなんだったのか。
はじめから、そんなものはなかったのに。

いままでデコボコの獣道だと思ってあくせくしていたものは、
それは自分が背伸びしたり這いつくばったりしてるだけのただの平らな地平だったって、言ったら信じる?



私が持っているものも、欲しいものも、たったひとつだけだった。
自分だ。
私は自分であって、自分になりたかった。

何度も聞いたことのある台詞。
聞いたことのある歌。
見たことのある景色。
その意味がやっとわかったのは、一瞬だけ自分になれたからだと信じたい。

「まぶしい」が歌っているように。
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# by mouthes | 2014-03-03 20:31

自分がわからないの刑

自分がわかりかたくてしかたなくてそれに心をかけてきたんだけど、
結局いま、自分がわからないの刑に処されています。

まさか自分がこんな状況に陥るとは思わなんだというか、
すげー、マンガかよ!って思ってるよ。

ずっと欲しかったものが手に入ったはずなんだけど、
なんか、その時は楽しいんだけど、疲労感が強いというか、
無理してるっていうのともちょっと違うんだが、すごく楽しいのに心に何も残らないっていうか・・・

この切れ味の悪さだけでわたしがいかに「自分がわからない」かが伝わると思います。

欲しかったんだよなあ、ずっと。ずーっと。








選ぶとか選ばないとか、切るとか切らないとか、
途中で「え?そんな話でした?」って何度思ったろう。
誠実さってなんだっけ?
みんながカードを隠してするゲームなんだもん、いいところだけ見せ合うような。
欲しいものが欲しいだけでこんな弊害があるなんて。
自分がずっとやってきたやり方が、思わぬ形でこじれていく。
ガンガン踏み込んでガンガンふりまわして思いっきり好かれて思いっきり嫌われて、
喜びも傷も胸いっぱいだった。
なけなしの自尊心も恥ずかしさも胸いっぱいだった。
そのやり方で人も自分も失望させてから、やり方を変えて頑張った結果がこれなんだけど、
なんか間違ったかな?









何をおいても疲れちゃって楽しくないのは大問題だ。
誠実さがないと心に何も残らないんだ。
ふられてばっかりでずっとみじめな気持ちだったときの方が、
よっぽど心にしまうべきものがあった。
周りの人に甘えて、恥も外聞もなくて、いいところなんて一つもないくらいみじめだったけど、
外に出ようともがく心が私をどんどん開いてくれた。
私はそういう風に生きてきたんだなあ。
そういうやり方しかできないことを悩んでいたけど、
得ていたものが確かにあったんだ。




ここで、中村一義の「そこへゆけ」をどうぞ。
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# by mouthes | 2014-02-23 03:57 | footmarks

有頂天

君の心の扉をたたくのは、いつも僕さって考えてる!






いろんなことがあって、最終的には浮かれている。
ひとつずついろんなことが片付いて、この春大学を卒業する。

3年前あんなに好きだったあの人と、
大好きだったけど物別れになってずっと後悔していたあの人と、
最近仲直りした。

久しぶりに話した。
変わらないんだよね、話すことも、話し方も。
変わったところはあるけど、すごく些細なことも覚えてるから、時間が経ったことが分からないんだよ。
一緒に観た映画も、飼ってる犬の名前も、きっと言った場所も、話したことも覚えてる。
何を話してもすぐわかる。
お互いに。

懐かしかったなあ。




でも、なんてタイミングが悪いんだろう。
この人とは相性がいいのに、いつもタイミングが悪いなあ。

浮かれるほど好きな人がいるんだ、今。
好きな物も感じ方も全然違うけど、好きな人がいる。
その人に会えると思うと、楽しみでしかたないんだ。
他の誰より。




あんなに好きだったのに。
あんなに苦しかったのに。
時間が止まったようだったのに、なあ。




この気持ちを音楽に閉じ込める。
大切なものにしよう。
大事にしまっておこう。







”Center of Universe”

1. ドアをノックするのは誰だ?/小沢健二

2. 8823/スピッツ

3. Sunday People/スーパーカー

4. モーニングコーヒー/モーニング娘。

5. 日の出の日/中村一義

6. やわらかな日/斉藤和義

7. バンザイ~好きでよかった~/ウルフルズ

8. BABY BABY/銀杏BOYZ

9. キラーチューン/東京事変

10. 1/2/川本真琴

11. CIDERが止まらない/かせきさいだぁ

12. ハレンチ/岡村靖幸

13. 相合傘/はっぴいえんど

14. また逢う日まで/SOUL FLOWER UNION

15. そして最後にはいつもの夜が来て/曽我部恵一BAND
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# by mouthes | 2014-01-29 15:22 | So Fun
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圧巻のトニー・ケイ。
「私に思想はない」という言葉がどれほど真実かはわからないけど、
この人の人間を見る目は、やさしい。

トニー・ケイの作品は、ほかに「アメリカン・ヒストリーX」という映画しか観たことがない。
あの映画もすごかった。



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”ネオナチのカリスマ”だった兄をもつ少年が、黒人の校長にある課題を出される。
それは自分の兄についてのレポートを書くこと。
タイトルは「アメリカン・ヒストリーX」。
人を殺して入った刑務所から出所した兄の変化を読み取ることで、
アメリカにある差別と暴力が見えてくる。


当たり前のようにある差別、搾取と排除。
自分の目線で相手を理解することの難しさ。
一人で生きているつもりが周囲に守られていて、守りたかったものを守れない苦しさ。

こんなに人の心をえぐるのに、この映画は誰にも感情移入していない。
すれ違うことや、傷つけてしまうことに理由はない。
みんなわけもわからず生きて、わけもわからず死んでいく。
もっと良くなりたいと、それだけを願って。



「デタッチメント」の深度は、「アメリカン・ヒストリーX」のさらに上を行く。
もっと良くなりたいと願っているのは、どんな生い立ちのどんな年齢の人でも変わらない。

主人公、ヘンリー(エイドリアン・ブロディ)は倒れかけた学校を再生するための臨時職員として雇われる。
彼が持つのは英語の授業だ。
生徒たちとぶつかるのではなく、なだめすかし、言い諭しながら、自分自身と向き合わせる。
爆発しそうな感情は、誰かにぶつけて解消するべきじゃない。
自分と向き合うことで、「今よりももっと良くなれる」、そう信じてる。

同僚とも、家族とも、生徒とも、深入りはしない。
深入りすれば傷つくし、傷つけられる。
何かを期待すれば、裏切られたときに相手を呪ってしまう。
愛そうとすれば憎んでしまう。
「今よりもっと良くなる」ためには、深入りせずにできることだけをすればいい。
期待も失望もしないやり方が、継続には必要だと信じている。

ヘンリーは、自分の感情を語らない、語ることができない。
彼がかろうじて語ることができるのは、仕事のことだけ。
そして仕事について語ることで、彼は自分自身の心の奥を見つめることになる。



この映画といい、「BIUTIFUL」といい、
言いたいことが言えないということは、なんて悲しいんだろう。
人を愛したいのに愛せないということは、なんてさびしいんだろう。
そんな中で心が触れ合うということは、こんなに暖かく輝いているんだろう。
血と、痛みと、悲しみが、やさしさを指し示す。







今日も、がんばれよって、言ってるよ。
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# by mouthes | 2014-01-26 17:12 | Movies&Books
まっすぐな道を通っている時、すごく気分がいい。
ドキドキする。
先が見えているので進んでいるという実感が強いけど、永遠に届かないかもしれないと漠然と不安にもなる。
進むしかないのだけれど。

そして困難は大抵思いがけず降ってくる。
背後から襲われる時もある。
だから見通しのいいまっすぐな一本道にあっても、私はどこまでも無防備でいるしかないのだと自覚する。
そして改めてドキドキする。
やたらに走り出したくなる。
逃げるのではなく、駆り立てられて!





だいたいこういうことを考えたり忘れたりしてる。
あまりに取りとめも脈絡もなくて人に説明できない。



いまナンバーガール聴いてる。
みんなナンバーガールを待ってる。
言葉じゃ伝えられないような、傷つけ合うことしかできないようなエネルギーを、
危なげな光を放ってぶつけてくれるような、
そういうナンバーガールを待ってる。
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# by mouthes | 2014-01-18 18:37