皆殺し文学はやめだ

by mouthes

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花咲くころ

浮かんでは消えて行くような
涙には小さな花が
きしんで弾けとんだら
あとにはさけ目がひとつ



目の前のことしか考えていない男の子をみて、
なんだか懐かしい気持ちになるのは、
きっと昔の自分を見ているような気持ちになるなのかな。

いや、多分違う。
こんな男の子に、私はなりたかったんだ。
目の前のことに命をかけられるような男の子に。





男の子は死ぬけど、女の子は死なないよなあ。
女の子は死ぬっていうより、消えるって感じ。
幻みたいな。
儚くて、やなんだ。

ただ居心地がいいだけじゃ、一緒にはいられないのかなあ。
本当に弱ったとき、そばにいてくれる人なら誰でもいい気がする。
固有性なんてそんなに大事か?アーレントに聞いてみたいよ。
そう思えるようになったのは、私が私を手にいれたからだろうなあ。
誰のものでもない私自身を。
どこまで行っても逃げられない私を、私が受け入れたから。

「日の出の日」だ!


じゃあさ、ちょっとだけ、土手に寝っ転んで、
僕等を追ってた夜も、呼び寄せ、


少女なんて、男の人の心の中にしかいないんじゃないかなあ。





居心地がいいってあんな感じなんだなあ。
あんな感じでいいんだなあ。

楽しいことは胸にしまって、前を見て。

どんどん、前に進もう。




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by mouthes | 2013-06-23 14:51

季節は変わってく

風が気持ちいい。
でも窓を開けたままでないと寝苦しい。
こんなことをしていると夜に掴まってしまう。

布団を干して冬用の毛布をしまった。
すっきりしたベッドが気持ちいい。
こうして季節ごとの諸々を済ませていく。
全く新しい何かがくる。
そして過ぎて行って、季節を繰り返す。

こんなつらつらとしたことを書くよりも、一昨日のスチャダラパーの野音「23」がどれほどカッコよかったかを語るほうがなにがしか有益な気もするが、
ムダなことをするのがスチャダラノススメ。
悔しかったらライブに行けばいいんじゃない。

黄昏という映画を観ている。
何年か前、テレ東の午後のロードショーで流れていたのを偶然観て、
何かが心に残ったんだけど、
それが何かわからなかった。

わからないうちに最近出た雑誌で山田太一さんがこの映画を薦めているのを知って、
「やっぱりなー」と思った。

山田太一さんのドラマをみるたびに私の心には何かが残るんだけど、
それが何かはわからない。

「気持ちいいの原理」からいえば、
気持ちいいには違いないし、
「良さ」なんて言葉にしてしまうと、
途端に見当はずれな気がしてしまう。

激痛や、爆音や、強い光、
そういう直接的で瞬間的な刺激が、私の心に届くのだ。
それも、登場人物たちの何気無い所作、台詞、表情で。
不思議としか言いようがない。
どうしてこんなことができるんだろう。

こんなことは理論で説明できるものではないし、
魔法と言った方がいくらか的を得ている。
何の関係もない親子の仲直りの話で、私の胸が痛くなる理論なんてない。
戦争あがりのガードマンの話で、涙が止まらなくなることに一定のルールがあるなんて信じられない。

ああ、この映画のDVD欲しいなあ。
この刺激は私の心を柔くする。
柔らかい場所がすごく痛くなる。
ぴったり寄り添ってこすれ合うような。
無駄にエロいことを言って終わる。
スチャダラノススメ!
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by mouthes | 2013-06-19 00:02
最近考えていること。
コミュニケーションの目的。



「共感なんてありえない」っていうあの人の言葉から考えたこと。
「だって何を考えてるかなんて本人に聞かないとわからないじゃないですか。
 ”こう考えてるかもしれない”なんてわかった気になって良い気持になるのは思い込みですよ」って。

でも”共感”は実感としてあるから、あれは何を感じているんだろう。

あれは快楽なんだよな。快感と言ってもいい。
誰かと話していて、”共感”していると思っているときは、”気持ちよさ”を共有しているんだよ。
相手が何考えているか理解してるとかではなくて、
話す気持ちよさと、聴く気持ちよさが、一致している状態が”共感”なんだよ。

だから言っていることなんてかみ合わなくていいし、内容なんか理解していなくっていいんだよ。
一緒にいて気持ち良くなることが目的なんだから。

そこが、あの人とは違うんだろうなあ。
あの人はきっと、論理の上で理解し合うことが目的なんだろうなあ。

私はそんなことをしてもあまり気持ちよくないから、ずっと噛み合わないんだろなあ。




そして、感覚的言語と論理的言語があって、
これも私の実感に感覚的な言葉をあてはめているだけだから、
具体的な説明は難しいんだけど、
イメージとしては論理的言語は新書、論文、
感覚的言語は南海キャンディーズの山ちゃんがすごくうまい。

お笑い全般が感覚的言語の遊戯のようにも思うし、
美術も音楽も感覚的言語だと思う。

感覚的言語は論理によって誘発・補完されることがあるし、
かといって論理的言語では感覚を呼び起こすことはできない。
感覚の仕組みを理解させることはできても。

感覚的言語が手品そのものだとしたら、論理的言語はそれのネタばらしと言ってもいい。

全ての感覚的言語は快楽のためにあるのだと思う。
論理的言語の中にも快楽はあると思うけど、論理的言語の目的は快楽ではないような気がする。




普遍性?



ちょっとしゃらくせえ気がする。




感覚的言語を論理的言語に落とし込んで理解しても何も意味がない。
感覚は、その感覚を覚えるしかないから。
死を言葉では理解できないように、生を言葉で理解することはできない。
感覚っていうのは生そのものだよ。

「気持ちいい」っていうことに理屈はないからなあ。感覚の方が先だからなあ。

快楽の感覚が広い人もいれば、
「ここ一点しか気持ちよくない」っていう人もいる。

快楽の感覚が広い人の中にも、その人なりの「道徳」がそれを制限していて、
その道徳からはみ出てしまうと気持ちよくないっていう人もいる。



感覚的言語は、生まれたころから使う。
論理的言語は、訓練によって獲得する。
しかしその二つは補完し合う関係にあるので、優劣はない。
感覚的言語は弱くもあやふやでもごまかしでもない、それでしか表せないもの・それでしか表すことのできない快楽だし、
論理的言語はその快楽を広範に利用するための仕組みを説明している。

感覚の中にも論理はある。
論理は感覚を伴わなければ机上の空論である。

そんな当たり前のことを、私は最近言葉にできる用意なった。



だから、

自分の理解できないことをしている人は、
それが「気持ちいい」からしているのだと思えば、
その気持ちよさを理解することはできなくても、
気持ちよさの仕組みを理解することはできる。

突飛な格好をしている人も、
真意をごまかし続けて生きている人も、
熱血先生も、
なんらかの常習犯も、

それは気持ちいいからそうしているのだ。
同じように「気持ちいい」と感じる必要はない。
わたしは、なんか気持ちよさを損しているような気分になるから感じたいと思うけど。
強欲ゆえ!


気持ちよさに理屈なんかないっすよねー
気持ちいいから気持ちいいんすよねー
超気持ちい!



「俺はこれが気持ちいい」に意地を張っている人たちを見に、
スチャダラの野音いってきまーす。







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by mouthes | 2013-06-16 15:05 | footmarks

Talk & Hear




ずっと悩んできた。
自分の言葉を伝えるために。
相手の話を聞くために。
苦しくても、悲しくても、虚しくても、
やめられなかった。
どうしても知ってほしかった。
どうしてもわかりたかった。
自分のことも相手のこともわからない苦しさが、ずっと私を焦らせていた。


心理療法の授業の先生に聞いた。

「私の言っていることが響いているようには思えないんです。
 相手が自分の中から出てこないんです。
 そういうとき、わたしはどうすれば、その人の話を聞くことができますか?」

先生は言った。

「話すんだよ」

「ほうっておいたら、私は自分の話しばかりしてしまいます。」

「それでいいんだよ。話すんだよ。話して話して空っぽにして、相手の言葉聞くんだよ」

空っぽじゃなきゃ、相手の言葉なんて聞けない。
自分が吐き出せば、相手もこれくらい吐いていいんだって幅がわかる。出てこれるようになる。
聞くっていうのは相当難しいんだよ。簡単じゃない。




自分が間違っているんだと思っていた。
話してばっかりいることで相手を打ちのめしているんだと思っていた。
きっとそれも間違ってない。
でも、話すことは別に、悪じゃない。
だって、私が相手に求めていることだって、そういうことだもんな、そういえば。

何年か前、話して話して話して、それでも言葉が返ってこなくて、
それが悲しくて突き放してしまった人がいた。
でも、思えばその人は、離れた後に何度か私に近づいてきてくれていた。
私は自分の悲しみで手がいっぱいで、またその人を突き放してしまった。

あの時は、理解できなかったけれど、
彼はもしかしたら、初めて自分の中から出てきてくれていたのかもしれない。
その信頼を、私が傷つけてしまったのかもしれない。
あの時は、理解できなかったけれど。
ごめん、って思っても、今は届かない。
祈るくらいしかできない。
次があったら、もし次があったら、うまくできますように。
「わかるよ」って言う相手じゃなくて、「わからないけど、一緒にいるよ」って言える相手に、なれますように。



「ほかの人に吐き出して、その人に向かっていくっていうのでも、方法としては有効ですか?」

「有効だよ。でも、良い相手を選ばなきゃだめ!」





ばれてた!
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by mouthes | 2013-06-13 14:30 | footmarks

強さ





強いってことが、何よりもかっこいいと思う。
強さは、こびない。
ビッチも、不良も、オタクもさ、
強いと思うよ。
自分の好きなものを好きって言って、自分を迫害する大きなものに対して、こびないし。
弱さがむき出しだけど本人はそれから逃げないから、強いし、かっこいいなって思うよ。
強さがきらめく瞬間て、弱い人間が強がる時だもん。

とはいえ、強さと向き合うのも、大変なことだけど。







強さについて回るのは孤独だもんね。
孤独に打ち勝つのは愛しかないもんね。






こういうことじゃないけど。
この歌は嫌いじゃないけど。
どっちかっていうとこっち。







「どんな状況でも生き抜けると思えば、ビッチは強くてすごいなぁと思う」と言ったら、
あの人は、「生きていればいいってもんじゃない」なんて言ってたけど、
生きることこそが命題だと思ってしまうのだが。文字通り。

逃げるためでも、得するためでも、言い訳するためでもなく、
生きるためだけに、生きる。

また極端で視野が狭いといわれるのだろうけど。

どんだけ視野が広がっても、選べるのは一つだけだよ。
うだうだ考えていたら乗り遅れちまうのよ。
乗りてえ風に乗り遅れたやつは、まぬけってんだぜ!



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by mouthes | 2013-06-12 11:51 | footmarks
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最近友だちに言われた言葉。
その人がいなかったら、私は教育実習までたどり着けなかったなぁ、と思う人。
かといって居心地がいいわけでもなく、スムーズに話せるわけでもなく、
かといって居心地が悪いわけでもなく、時折とても話したくなることすら、
とても不思議な人だ。

聞き上手というよりも、甘えさせるのが上手いんだろうなー。
のべつ幕なしだものな。
聞き上手の人を見ていると、
話したがりの人が滔々とする話を聞くことで、
すごく楽しかったりするんだろうなあと思うところがあるけど、
その人はそういうわけじゃないものな。

ひとつ理屈を言ったらすごく細かく詰めてくるし、
わたしにとってはどうしてそこが気になるのだろうと思うところばかり聞いてきて、
その人に言わせれば「極端に考えすぎだ」とされるばかりで。
(私に言わせれば、「そういう考え方もある」って距離の取り方がその人には全然ないような気がするんだけど。そんな、「考えつめている自分の言っていることの方が道理で真理」なんて態度、取らなくてもよくない?こっちは主観の話してんのにって思うけど、そんなことは言えたためしがない。)

「もっと一つ好きなものがあったら、それはなんで好きなのか、そう思うのはなんでなのかって一つずつさかのぼるように考える時間が少なすぎるんじゃないですか?」

「一つの見方を見つけてそれだけが真実だと思うのは危険ですよ」

そういわれると普段の、他の友だち会話の距離感も見えてきて。

ポッと出た感情や自分と世界の距離感を言葉にするだけでは、その人は満足していなくて、
自意識をどこまでもさかのぼっていくことをしてきたんだろうなあ。

でも、私が今まで接してきた人の多くは、湧いてくる感情を言葉にすることでまずもがいていたし、
わたし自身もそうだった。
この感情って、なんて言うんだろうねえ、っていう相談を、ずっとしてきたと思う。






その人、奥田民生を聴いて感動したことなんてないって言ってたな、そういえば。
スピッツも、曽我部恵一も、グッときたことなんてないって。

小沢健二とゆらゆら帝国は好きだけど。

私は、いま言ったのは全部好きだけど。

「共感なんて、不可能だ」って言ってたなあ。
そんなことないと思うけど。
「感情が言葉よりも音で伝わるなんてありえない」って言ってたなあ。
そんなことないと思うけど。
主観や思い込みが普遍性を持つことなんてないって思ってるんだろうなあ。
そんなことないと思うけど。


私が、どうして「そんなことない」って思うかって、
その人に説明できるようになるのは、
これからまだまだ先のことなんだろうなあ。
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by mouthes | 2013-06-10 09:28 | footmarks



この曲の一番好きなフレーズは、

「こんな不思議な出来事が、あっていいものかと思うくらい 幸せな雲が風に踊るよ」

というところ。
私は「いつかこんな風に思う夏を迎えたい」とこの曲を初めて聴いたときから思ってる。
このフレーズの中にある、幸せに満たされている実感、それに対する畏れ、見上げた空の青さ、流れる雲と吹く風のさわやかさ!
この曲を聴けば、このフレーズを歌えば、
心が風と共にどこかへ飛んでゆけそうになる。

実際は飛んで行かずにふるふると揺れている。

そしてこの曲には、アイドル歌謡の魔法がかかってる。
個人的なつぶやきでも、ちょっとした心の動きでも、
口ずさめばその人を主人公に仕立て上げてしまうアイドルの魔法!

普段、日陰に隠れていても、グループの中心に気おくれしていても、
今だけは自分の人生の中で、真ん中を歩いてる、自分の中の王道を歩いていると思える瞬間が、
やっぱり誰にでもあるはずだと思う。
そんな瞬間を、この歌は見事にとらえてる。
ああ、この夏だけは、真ん中を通りたい。
ちゃんと日焼けしたい。
だから、今年の最初にこの歌を聴いたのよ。
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by mouthes | 2013-06-08 11:06 | study

白い道を通った
白い家の前を通った
歩幅は、合わない
追い抜いたり、抜かれたり

君の、なにか考えるときの癖に
最近、気づいた
指先がせわしなく
唇の周り、行ったり来たり

哀しみが、和らぐような朝日
喜びを、ささやくような宵闇

僕らは、似たような話を
場所を変えて
時間を越えて

心が、そこにあると
確かめて、別れる
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by mouthes | 2013-06-08 10:45 | words
海に行くような格好で夜の渋谷を歩き、
確実に浮いていたなかでUPLINKに辿り着く。

ただ、会場に着くとたいして違和感もなく、開演を待つ。

そかべさんがかっこいい。
豊田さんは初めて見た。
実は音楽も聴いたことない。
ただ方々で絶讃の声だけは聴く。

トークはイマイチ弾けなかった。
とにかく笑ったところもたくさんあった。
それはふたりの呼吸というか、会話の隙間の雰囲気がすごくおかしかったというのが大きい。
きっとそかべさんと豊田さんが二人でダラダラ話してるのを盗み聞いた方が楽しんだろうなあと思う。
いよいよ豊田さんのライブ。ドキドキ。



なんだか、とても怖かった。
怖い人だなぁと思った。
男の人だ、と思った。

たぶん男の人がCoccoを聴いて「女の人怖いなぁ」と感じるのと同じような感じで、
「男の人、怖いなぁ」と感じた。
この人を男の人が絶賛してるのも怖かった。
そこに脳内ニューヨークを見ているというか。
私は女だし、こういう男の人のどうしようもなさがごろっと横たわっている姿を見せられると、ただただ怖い。
自分にはなす術がない、と思う。
あと、この人は私なんか見ていない、とも思う。

そんな感想を兄と話したら、兄の言葉で怖さの謎が解けた。

「目の前のことを、見えたまんま歌える感じがカッコよく見えるんだよね、男には。
それも楽器や歌の上手い下手じゃなくて、カッコつけでもなくて。」

私が怖かったのは、その距離感だ。
ゼロ距離で私自身を見られること、そこに救い難い断絶があるってこと、
そこをまっすぐに見て歌にされるなんて、
私には耐えられない。

兄は「ダニエル・ジョンストンみたいなこと」と言っていたけど、
英語なら私は距離が保てるけど、
日本語で正面切ってこられると物怖じしてしまう。

Lantern Paradeなら怖くないのに、なんで豊田さんだと怖いんだろう。
風体かなぁ。
免疫かなぁ。
メロディのあるなしかなぁ。
いや、きっとランタンさんと世界の間に距離があるからだろうなあ。
あまりにもひどい惨状のさなかには、ランタンさんはいない感じだろうなあ。
精確に、しかし遠くから目を注いでる。
豊田さんはとにかく近い。
豊田さんの歌は、怖いくらい当事者だ。
誰にも関係のない日常の当事者。
それは、すごくさみしいことだ。
なぜこの人に自分は関係ないのだろう。


そかべさんの歌は、ありのままの中でそかべさんの感情がファンタジーになって息づいている。
自分と世界の間に隙間がある。
新聞記事のようにありのままが記されていても、そこに感情や生活を感じさせてくれる。
そこにはどんな歌でも感情移入させる魔法がはたらいていると思う。
オザケンの系譜だなぁと思う。



ロバート・アルトマンとロブ・ライナーの違いか!


謎が解けたのでくらった恐怖を家に持って帰らないで済んだ。
よかった。
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by mouthes | 2013-06-07 22:20

君と一緒にいたいから

ちょっと書くことに手を抜いていた。
相手に伝わるように書かなきゃ。

最近の授業で、感情の簡易行列化(単一行列化?)という話が出て、
つまり欲求や願望が行動に乗って発散される瞬間が人間は一番気持ちがいいという話で、
それは私が高校生の時から自覚的に行っていたことだなあと思った。

色んなものがほしくなると、結局混乱して身動きが取れなくなるし、
大事なものを一つ決めて、それ以外は捨て置けば、
大事なものが手に入ると信じていた。

つまり、胸のドキドキが!





でもほとんどの人が、マクロのものの見方をして、
自分の利害や経済的理由や他の人の目や、色んなものが視野に入ってしまって、
欲求や願望が行動に乗っかるのを邪魔にする、ということだった。

私は、そういう人たちは、本当に欲が薄いのだかバカなのだかただ優しいだけなのかつまるところ一番強欲なのだかわからないのだけど、
そういう心のつくりになっているらしいので仕方ない。
わたしがまっすぐに自分の欲を満たそうとするのが仕方ないように。


また、自己形成に立ち戻ろう。

やべっ、遅刻する。
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by mouthes | 2013-06-07 17:55 | footmarks