皆殺し文学はやめだ

by mouthes

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いかんせん少し年上なので、1年生の集まりをまとめることが多くなって、
ゆっても一年生はとても仕事が多いので、
その中で全体のことも考えるとなると結構大変で手も回らないことが多いのです。
だけど、その場で出来ることをやらないと、
場が煮詰まってしまうので動かざるを得ないこともあって、
頼られたり信頼されたりすることは結構嬉しいから調子づいてやってたんだけど、

自分が生来そういう人間でないことはわかりきったことで、
足りないところは手の空いている人に埋めてもらおうくらいに思っていたんだけども、
そういう考えが招いたパスポートの更新手続きにまつわる不手際で、父親とひと悶着。

父親の言っていることは正しいし、自分の甘えが全ての原因なんだけど、
「なんだよ甘えちゃダメだっていうわけ!?」と逆ギレする気持ちを振り切れない。
「自分で出来ることまで人任せにしてる子は心配でイスラエルになんかやれないって話になるでしょう」「そうやって自分の望んだことを正しいと思いこんで助けてくれると思ってる所に、あんたの甘えがあるでしょ」「優先順位を考えなさい、物事に対する真剣味が足りない」「自分でやれることも人に任せておおいていっぱいいっぱいだなんて、言いわけにしか聞こえない」と、あまねく言葉は悉く正論で、
「わかった」と項垂れるほかないんだけど、




社会生活って言い始めたら自分の時間なんか犠牲にしたって団体の保持に尽くしてるじゃんあたしは!!!!!!!



という気持ちもある。
一つの団体を保つのにあたしが怠けてるって言いたいわけ!?目の前のことしか考えられなかったの精一杯だったの!!!!!!
考えること行動することを怠けるったってそんな時間はなったの!!!!!!!!!!!
なんでわかんないの!?
心配くらいすりゃあいーじゃん勝手に!!!!

それに加えて涙が出るのは、
あたしがどんなに全力や最善を尽くしたって、本当に望んだ形にはならないってこと。
認めてほしいと思う人に認められたり、甘えさせてほしいと思う人に甘えることができたりしないこと。
「頑張ってる」と思ったところで、結局自分自身を認めたり、愛したりすることもできないこと。

結局あたしが全体のためにやってきたと思っていたことは、自分のためにやってきたことと変わりはないってことだ。

しかしこんなくそ甘ったるい、子供染みたことを書くのは、今日が最後だといい。
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by mouthes | 2010-05-25 00:50 | footmarks
少林寺拳法部に入りました!

楽しいです、少林寺拳法。
生まれて初めて部活動を楽しいと思うようになりました。
文化系のノリで体育会をやる感じ。
すごく良い運動です。あと部員全員良いやつです。
準備体操まで楽しいなんて、どうにかしてるくらい楽しいんです、いま!
なにせ主将がカッコいいからね。
まあそんなことはさておき。



なんか、今は、自分の短所に悩んだりへこんだりするような時期を過ぎて、
自分のできること、できないことも仕方ないなあって思いながら、精一杯やるんだぜ!って思える。
自分に思えるってことは、人にも多少思えるってことで。
高校生の時、自分に対しても他人に対してもいらいらしてばっかりで、
もっと寛容になれないもんだろうかと思っていた気持ちが、
ちょっとばかし報われた感じ。
こういうのを充足感と言うんだな。

ただあのいらいらってのは、無くてもいいわけじゃないんだよな。
批判精神は旺盛にあった方がいいんだよな。
そういうのがなくなるのって、興味が薄れるってことと紙一重だもん。

でもね、つまんない嫉妬とか、自分を守りたい・傷つきたくないという思いでこじれる関係とか、
すごく嫌でしょ。
どうでもいいでしょ。
そういうことに関わらないでいられるというか、自分からは生まれてこないというか、
そーいうのがめっちゃ嬉しくて、今は!



しかし課題はたくさんある。今までよりも巨大で嫌な感じで手強いやつ。
人の話を聞く気のない人っている!
自分もたまにそうなる。
そういう時に厄介なのはさ、自分じゃ気付かないんだよ、そのことに。
だから、自分を守ろうとするんじゃなくて、相手の言うことをちゃんと聞こうと思うんだけど、
その聞くってのがまた難しい。
賛成するってことじゃないんだよ。
自分の意見と向かい合わせてすり合わせるってことなんだよ。
そのすり合わせるってことがまた難しい。
だって自分は一切そいつに影響されたくないと思ったりするじゃん。
もうどう頑張っても愛せない!!!!!!って拒絶したくなるじゃん。
でもそれだとさー、物事は平行線で、何も動かないんだよ。

そうはいっても、針だらけの壁にぶつかっていく気はしないんだよ。
だってそんなことをしなければいけないなんて、誰も言わないし、自分でだって思わない。

ただもっと、うまいやり方があるはずなんだよな。
壁にぶつかっていくんじゃなくて、ノックしたり、発破をかけたり、壁の前でにぎやかに歌ったりだとかして、
なんとかその向こう側のやつを引っ張り出す、うまいやり方。

長い間、そういう「うまいやり方」がわかるにはセンスと閃きがいるんだと思ってたけど、
研究と努力で何とかなったりするから、
あたしはもっと頑張りたい。
わかるようになりたい。


自分が勝てるフィールドでしか戦わないような臆病者に、なりたくない!

そういう意地が戦いづらくしてるのか?
自分のフィールドを殺してるのか?

また悶々としてきたぞ。



♪中村一義「ジュビリー」
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by mouthes | 2010-05-16 22:25 | footmarks

新しい体幹

大学に入ってからDJとかクラブ文化的な何か(実際よく分ってない)が、
以前よりもずっと身近になって、
クラブミュージックというものに身を任せていると、
好きとか嫌いとか確かにはあるけど、重要なのはとりあえず体が動くか動かないかで、
ハッとさせられる。

音楽を聴くときに、
作られた年代とか、作者の気持ちとか、わだかまりが少しだけほどけ合う実感みたいなものを重視してばかりいたけれど、
本当の「音楽」はもっともっと大きく深い力を持ってるんだよなー。

自分の理解できないものが、好みとか思考とか一切合切を飛び越してダイレクトに入り込んでくるのが本当の音楽の力なんだもの!!


ていうか、それが本質なんだよな。
それが文学と音楽のはっきりとした違いだよな。


だからマンガなんかすごいよな。
文・絵・音の総合格闘技だもんな、そもそもが。
なんでも描けるってのはそこだよな。

水面に浮かぶ波紋、その揺らぎ、広がっていく輪に感じる些細な違和感、
それが湖のほとりで、主人公が感じているのは「静けさ」だとする。

それを強く追体験できるのは、小説でも音楽でもなくマンガなんだとあたしは思うんだよ。

なんでもないことを、なんでもなく描くことが出来る。

映画だって強い力を持ってるけど、どうしてもなんでもない風景に作者の意図とか、計算されつくされた構図とか、そういうものをかんじてしまうし、
もともとの発想がポップス的な「大衆娯楽」であるマンガには勝てないんだよな。
ある人のブログで読んだけど、ポップスの目的は「可能な限り多くの感情を動員すること」で、
所謂芸術と呼ばれるような、歴史ある美の探究?的なもの?(実際よく分ってない)が目的にする、
真理!なんてもんは二の次三の次なんだと。


映画や絵画や文学は、素朴なものを素朴なままに描くにはあまりに高尚、というか、回りくどいんだよな。


それに比べてマンガは、その端緒に、学のない人、感受性の鈍い人、他者を理解する気のない人、そういう人が読んでも「面白い」と思うものである必要を持ってるんだから、
素朴さやナンセンスギャグを描くことに関しちゃ、右に出るものはないだろうな!


あ、これマンガの話じゃなかったわ。
クラブミュージックの話だわ。

だから、一人で聴く音楽とみんなで楽しむ音楽ってのは確実に別物だけど、
どちらでもすげー気持ちいい思いが出来るってことは確かなんだよ!

で、あたしは「みんなで楽しむ音楽」ってものを知らなさすぎるので、
これから一生懸命勉強したいなーって話。
そして今まで買いっぱなしになってあんまり聞かなかったArctic MonckeysとかCSSとかを引っ張り出して聞いてるって話。

今週末スチャダラパー参戦!


♪CSS 「Meeting Paris Hilton」

ビッチが YEAH YEAH 言ってるぜ!


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by mouthes | 2010-05-08 11:29 | footmarks

若さと疲労

最近、久しぶりにすごく理不尽に傷つけられたことがあって。

そういうことは今までに何度も会ったし、これからもあるものかと思うんだけど、
年を取るごとに、傷ついた理由がわかって、そうすると自分を守る術も身につくでしょう?
そういうこと、つまり理不尽な言葉で傷つくことって、少なくなると思ってたし、深ーく傷つくこともないだろうと高をくくってたんですよ。
でも、甘かった、私が。

まったく言われのない中傷ではないし、お互い疲れと焦りがあることもわかってるけど、
「そんな言い方する?」って言う部分で、どうしても許せなくて。
それまでに築いてきた関係とか、自分の努力とかそういうもの全てを否定されたような気がして、
今まで張っていた気の、緊張の糸がぷつんと切れてしまって。

抜けない疲労や、どうしても頑張れないことや、その子を許せない狭量な自分なんかが、
さらに苦しくて。
「自分が傷ついた・傷つけられた」ってことばっかりが気になって、
相手のこととか現状を正しく見ることができていないって、自分でも思う。

そんで、昔傷つけてしまったあの子も、私に対してそう思っていたんだろうなということも、自覚して、さらに落ち込んで。
あたしあの時、ちゃんと謝れなかった。何が悪いのかさっぱりわかってなかったから。


でも愛せない。
かつてそうだった自分を悔いているのに。「悪い」と思うのなら良くしようとすればいいだけなのに。
あたしにあんなことを言ったその子を心から尊重したり、理解しようとしたりすることが、できない。
そんな自分が泣けるほど嫌だ。


神様どうすればいいかな。


自分を闇雲に非難した、その子が許せない。
あの子を無暗に傷つけた、自分が許せない。
泣いても泣いても許せない。

どうしたらいいんだろう。
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by mouthes | 2010-05-04 01:06 | footmarks