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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

そんなような話【伝えたい】

僕はずっと考えていた。彼女に伝えたい話があるのだと。
本当は無いかもしれないけど、伝えたい気持ちがあるのだから、それだけでも、と。
だから僕はずっと考えていた。どうすれば彼女に最も伝わるだろうか、と。
それは絵本の中のシーンのような、
秋の枯葉に囲まれた煉瓦造りの家。
朝もやの静けさと同化して、いるはずの人の気配もしない。
鳥が鳴く。空耳のようにぴちちと。
別の鳥が応えて鳴く。朝日のようにぴちちと。
窓に強い光が差し込むころ、煙突からは煙がもくもくと上がって、窓際のキッチンでは水がシンクを打つ。
ダダダダダダ、ズダダダ。
おいしそうな煙がもくもくと上がる。
朝がきた。おはよう。あいさつを交わす。ふたりだけの家で、愛が交される。
そう、そんな話だ。彼女に伝えたいのは、そんなような話。
都会の喧騒に憧れて、少し離れた下町に引っ越す。
休みの日にはいつも敬遠しがちの、ごみごみした大通りを歩く。
離れないでと手を差し出したいけど、
人波に揉まれている彼女の強張った様子を見てあきらめる。
さ、目が合う。
彼女は笑う。唇と、喉と、胸の前の手と、胸を見て、節目がちの僕も笑う。
流れていった雲の端から、だんだんと太陽がのぞく。
僕と彼女のいる辺りがやわらかく、暖かくなる。
ポケットから手を出して、寒いね、と言う。
彼女は何も言わないけれど、僕と彼女は運命的に手をつなぐ。
向かいの通りでは、誰かが偶然出逢ったようだ。
そう、そんな話だ。彼女に伝えたいのは、そんなような話。
夜、ベッドで横になる。
スプリングの軋みに耳を澄ませ、何度も寝返りを打つ。
枯葉の落ちた音さえ聞こえそうな夜。
意識だけがこの辺りを飛び回る。
最後に見た彼女の笑顔が鮮明に思い出される。
そして僕は迷う。
彼女の笑顔、それが僕の理想で歪んでしまっていることに。
彼女の言葉、それを守りきれないでいる僕に。
僕の思いはほとんどが幽霊のようで、彼女を掴み止めようとしても気付かれないイメージ。
だんだんと眠くなっている自分に気付く。
付け焼刃だって?
後悔後に立たず?
何の役にも立てず?
むなしいものさと言う?
いくつもの疑問が羊になって柵を超えていくイメージ。
羊とは思えないほどやせていて、羊とは思えないほど大きな角を持った、
もうむしろヤギのような羊が、僕をじっと見ている。
真っ赤な目、白目の無い、ぐりッとした宝玉のような目。
何故だか恐怖も感じないし、不気味とも思わない。
物言いたげな羊は、まるで知性の象徴のように僕を見る。
ふと彼女を思い出して、羊はどんどん彼女のように見えてくる。
気のせいさ、気のせいさ、そう思いながら聞こえてくる鳥の声に耳を傾ける。
ぴちち。まるで朝日のような声。
夜は明けてしまった。
寝ぼけ眼でキッチンまでべたべた歩きながら、やかんを火にかける。
隣においてあった煙草を無造作に取り出して火をつける。
燃えた朝の空気を、煙と一緒に吸い込む。
似たように寝ぼけ眼でテーブルにつく彼女のほうを見る。
さ、目が合う。
おはよう。挨拶を交す。愛を交す。
ふたりの朝。
そう、彼女に伝えたいのは、そんなような話。
by mouthes | 2007-12-08 23:10 | words