宙舞【ふわり】
2007年 08月 22日
「そういうわけなのよ」
「なるほどね、まあ仕方ないさ」
作業場のソファに猫のように丸まったルーは未だに拗ねている様子で、
腕の隙間から盗み見るように天井を見ている。
ソファの前においてあるテーブルで、僕は作業を進める。
ちょうど猫を描く仕事が入っていて良かった。
テーブルの上にはすでに描き上げたルーのような子猫が、何枚も並んでいる。
あと6匹というところだが、どれもいまいちだ。
「あの日食器を洗ったのは気まぐれよ。だって考え事があっただけだもの。
考え事はね、食器を洗いながらするのが一番よ」
「まあね、するしないはルーの自由だしね、いつでも」
「そう、そうおもうでしょう。でもママッたら、昨日も今日もいやみったらしく聞いてくるわけ。
『あら、ふわり、今日は考え事がないの?』って。うんざりするわ、あの言い方」
「それがいやならルーも家事の手伝いくらいすれば良いじゃないか」
「いやあよ。したくなったらするし、したくないときはしない。みんなもそうすればいいの」
「ルーはそういうけど・・・まあ、説教したいわけじゃないし、やめとくよ。
ママさんはさ、嬉しかったんじゃないの。ルーが普段しない手伝いをしてくれたことが」
「それとこれとは話が別。
どうして気まぐれでしたことは、認めてくれないのかしら。
ママたちが褒めるのは、いやいややっていることだけ。
あたしがしたくてするようなことは、物の数にも入らない」
僕は残り4枚になった猫の絵を描く手をいったん止めて、ルーの方を見た。
ルーはさっきとほとんど変わらぬ姿勢で天井を見ている。
表情もさほど変化は無い。
それなのに、さっきよりもひどく悲しそうだ。
「大人は気まぐれが困るのさ」
「どうして?」
「気まぐればかりだったら、明日のことも考えられないだろ」
「明日のことは明日のやつが考えればいいでしょ」
「明日のことを考えたくなるのが、今日の大人ってやつだよ」
すん、と鼻を持ち上げて鳴らす仕草が、いかにも猫らしく、ルーらしい。
つまらない、と、そう言っているようだ。
これ以上ルーが拗ねると、困る。
僕は話を逸らした。
「気まぐれが許されることもあるさ」
「なんだろ」
「芸術だよ」
「ん、ああ」
「芸術なんてのはね、大体が抑うつと気まぐれでできてるんだ」
「そう。でもそれ、違うと思うわ」
「え?」
「芸術って言うのはね、神様のことよ。
それで神様ってね、愛情深くて、忍耐強くて、気まぐれなの。
だから、愛情深くて、忍耐強くて、気まぐれなのが、最高の芸術ってこと。
ピカソみたいなのはね、たぶんそうゆうこと」
「ものすごいこというね」
ルーはたまにこういうことを言う。
そういう時はたいてい、大きく開かれたぼんやりとした瞳で、次のことを考えているような顔をしている。
まるで何かを予知してるみたいに。
気付けば描いている猫は最後の一匹になっていた。
今描いていたどの猫よりもルーらしく、猫らしい。
紙の端に小さく「宙舞」と記す。
「だからワタルの言ったことも、半分は合ってるわね」
「何が?」
「気まぐれと抑うつって」
「ああ、うん」
「なによ」
「いや、ええっと、神様が気まぐれかあ、と思ってね」
ルーは顔を上げて、僕の目をじいっと覗き込んで、途端にくすくす笑い出した。
顔をなめる子猫みたいに、押し殺した笑い方だ。
「そんなこと、今頃気付いたのね。芸術家のハシクレのくせに、だめね。
あたしとワタルとママの違いなんて、気まぐれみたいなものでしょう」
「いろいろ言葉を覚えるようになったね。嫌な気分だよ」
「それよりワタル、ハシクレってどういう意味?」
「いちばんはじっこ、要らない部分」
その後しばらく、作業場がいっぱいになるくらいずっと、ルーのくすくす笑いは続いた。
僕の嫌な気分もすぐ、ルーの笑い声できれいに満たされた。
「なるほどね、まあ仕方ないさ」
作業場のソファに猫のように丸まったルーは未だに拗ねている様子で、
腕の隙間から盗み見るように天井を見ている。
ソファの前においてあるテーブルで、僕は作業を進める。
ちょうど猫を描く仕事が入っていて良かった。
テーブルの上にはすでに描き上げたルーのような子猫が、何枚も並んでいる。
あと6匹というところだが、どれもいまいちだ。
「あの日食器を洗ったのは気まぐれよ。だって考え事があっただけだもの。
考え事はね、食器を洗いながらするのが一番よ」
「まあね、するしないはルーの自由だしね、いつでも」
「そう、そうおもうでしょう。でもママッたら、昨日も今日もいやみったらしく聞いてくるわけ。
『あら、ふわり、今日は考え事がないの?』って。うんざりするわ、あの言い方」
「それがいやならルーも家事の手伝いくらいすれば良いじゃないか」
「いやあよ。したくなったらするし、したくないときはしない。みんなもそうすればいいの」
「ルーはそういうけど・・・まあ、説教したいわけじゃないし、やめとくよ。
ママさんはさ、嬉しかったんじゃないの。ルーが普段しない手伝いをしてくれたことが」
「それとこれとは話が別。
どうして気まぐれでしたことは、認めてくれないのかしら。
ママたちが褒めるのは、いやいややっていることだけ。
あたしがしたくてするようなことは、物の数にも入らない」
僕は残り4枚になった猫の絵を描く手をいったん止めて、ルーの方を見た。
ルーはさっきとほとんど変わらぬ姿勢で天井を見ている。
表情もさほど変化は無い。
それなのに、さっきよりもひどく悲しそうだ。
「大人は気まぐれが困るのさ」
「どうして?」
「気まぐればかりだったら、明日のことも考えられないだろ」
「明日のことは明日のやつが考えればいいでしょ」
「明日のことを考えたくなるのが、今日の大人ってやつだよ」
すん、と鼻を持ち上げて鳴らす仕草が、いかにも猫らしく、ルーらしい。
つまらない、と、そう言っているようだ。
これ以上ルーが拗ねると、困る。
僕は話を逸らした。
「気まぐれが許されることもあるさ」
「なんだろ」
「芸術だよ」
「ん、ああ」
「芸術なんてのはね、大体が抑うつと気まぐれでできてるんだ」
「そう。でもそれ、違うと思うわ」
「え?」
「芸術って言うのはね、神様のことよ。
それで神様ってね、愛情深くて、忍耐強くて、気まぐれなの。
だから、愛情深くて、忍耐強くて、気まぐれなのが、最高の芸術ってこと。
ピカソみたいなのはね、たぶんそうゆうこと」
「ものすごいこというね」
ルーはたまにこういうことを言う。
そういう時はたいてい、大きく開かれたぼんやりとした瞳で、次のことを考えているような顔をしている。
まるで何かを予知してるみたいに。
気付けば描いている猫は最後の一匹になっていた。
今描いていたどの猫よりもルーらしく、猫らしい。
紙の端に小さく「宙舞」と記す。
「だからワタルの言ったことも、半分は合ってるわね」
「何が?」
「気まぐれと抑うつって」
「ああ、うん」
「なによ」
「いや、ええっと、神様が気まぐれかあ、と思ってね」
ルーは顔を上げて、僕の目をじいっと覗き込んで、途端にくすくす笑い出した。
顔をなめる子猫みたいに、押し殺した笑い方だ。
「そんなこと、今頃気付いたのね。芸術家のハシクレのくせに、だめね。
あたしとワタルとママの違いなんて、気まぐれみたいなものでしょう」
「いろいろ言葉を覚えるようになったね。嫌な気分だよ」
「それよりワタル、ハシクレってどういう意味?」
「いちばんはじっこ、要らない部分」
その後しばらく、作業場がいっぱいになるくらいずっと、ルーのくすくす笑いは続いた。
僕の嫌な気分もすぐ、ルーの笑い声できれいに満たされた。
by mouthes
| 2007-08-22 19:34
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