皆殺し文学はやめだ

by mouthes

日常とシング・ストリート

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日常に戻っても何度も反芻してしまう映画、というのがたまにあって、『シング・ストリート』がまさにそれだ。
1週間のうちに何度も劇場に足を運んだ友人もいる。
映画をほめるとき、「ストーリーがいい」「役者がいい」「音楽がいい」「美術がいい」などいろいろな切り口があると思うけれど、
『シング・ストリート』をほめたいときは、そんなほめ言葉ではとても足りない。
人生で最も美しい瞬間を切り取ったような映画なのだ。
ある部分だけが良いわけではないし、足りない部分も含めて強い強い光を放つ映画だった。
「青春」という言葉が持つ、もう届かないきらめき、みずみずしい青臭さや、恥ずかしさ、幼さ、傷つきやすい柔さ、その柔い優しさ、そういうものが物語に丁寧に織り込まれていて、たまらないほど胸が痛かった。

どこが良かったという話をしようと思えばもういくらでもできるし、1回しか観ていないけどほんとにどのシーンも忘れられない。
話自体はかなりシンプルで、鬱屈とした世界から外に飛び出す、そのきっかけが女の子でありバンドだっていうある意味では「ありきたり」な話で。
でもありきたりだからこそ!この物語は!全世界で多くの人の心をかきむしるんだよ!


なにしろ私がたまらなかったのは細かい言葉のやり取り。
好きな者同士が些細な言葉で傷つけあってしまう瞬間を描く場面が、本当に素晴らしい。
コナーとブレンダンがぶつかる場面とか、ラスト近いコナーとラフィーナの公園でのやり取りとか。
今まで心が通じてたと思っていたけど、本当はお互いにまだ見せてない深さや浅さがあって、
「悪」や「悪意」は存在していないのに、相手を傷つけてしまう、すれ違ってしまうという。
よくあることなんだけど、本当に切ない。
それに、外の世界に出るときには、避けて通れない苦しさでもある。
それが反対に作用する場合ももちろんあって、
コナーとエイモンのやり取りはどれをとっても泣けるほどほほえましい。
「どうした?」「レコード聴こう」とか、「やりたい」「やろう」とか、「何してたの?」「うさぎにエサやってた」とか、
日常会話以下のやり取りでたしかに心が通じてる瞬間が詰まっている。
恋人同士が惹かれ合うように、ただの知り合いじゃなくて友達になっていく過程がとてもなめらかで自然で、これもこの映画の素晴らしさの一つ。
「特別な友達」も間違いなく運命の人だし、バンドやってたら尚更だよな。


コナーがやってるバンド自体もさ、別に「分かり合ってる」集団じゃなくて、
「一緒にいると何となく楽しい」とか、「利害の一致」とかその程度のかかわりなんだよね。
でもみんなで「バンドやっている瞬間」に味わった高揚とか、その時間を宝物のように思う気持ちは本当なんだよ。
この映画を絶賛する音楽家たちには、「言葉が詩になって、詩が歌として立ち上がる瞬間をとらえている」という言葉がみられるけれど、
音楽やってる人でなくても、その瞬間の感動とかときめきを感じることができる。
「相手がどういう人間か」とか、「何を考えているか」とか、そんなこと全然わからないけど、
同じものを大切にできることの貴さ、相手を大事にしたいと思う気持ちの清さが、あるんだよ。
その貴さにコナー自身のむき出しといってもいいほどの幼さが交じり合って、
・・・なんだろうなもう。狂おしい。
人生で初めて、一人の人間として手に入れる友達、勇気、恋心、そして向き合える家族。
それらに全身でぶつかって、正面から傷つくひたむきさは、自分の過去で、現在で、身近な子供たちの未来だ。
そして人生の挫折ときらめきの瞬間に鳴る音楽の素晴らしさ。

もーこの映画の良さと比べたら、私の賛辞など本当に空虚なものだよ。
もっと内容的なことが知りたい人は歌多丸さんの絶賛批評を読んでください。
もう一回観たいな。観た人と映画の良さについて話したいな。

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by mouthes | 2016-09-21 15:32 | Movies&Books