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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

内田樹と橋本治

わたしは今23歳だけど、
この対談の定本が出た時は19歳だった。

この定本を貸したハセケンは今何をしているんだろう。
彼から借りた「ファシズムの大衆心理」はまだわたしの部屋にあるけれど。

最近出た文庫を買い直して、ちょっとずつ読んでいるので、ちょっとずつ自分のことを書きがてら感想を書く。



#1で「今の若者はストックした少ない言葉をハイスピードでやり取りするか、沈黙してしまうかの二派に分離してしまっている」という話があって、
果たしてそうだったかと考える。

少なくともわたしは、そしてわたしの友だちは、周りの大人は、
「伝える」という作業にとてもこだわりを持っていたと思う。
長いメールや、詩や、時には短い小説をやり取りしていたように思う。
質の如何はともかく。内容のありきたりなこともともかく。
苦しくてもどかしい時期、それはわかってもらえないことだと自覚するまで、
他者のこころなど理解できないと気付くまで、
ずっと言葉を交わしてくれた友だちがいる。
大人がいる。
特別なことかもしれないけど、それだって現在の一側面だ。

そこにいる人間ですべては変わる。
天才はどこにでもいる。

ただ、話を聞いていると私たちが共有していたコミュニケーションは昔より鮮明で露骨だ。
フィルムからデジカメになったように、アナログ放送からデジタル放送になったように、
技術の発達につれて、私たちのコミュニケーションは以前にもましてくっきりと色鮮やかになった。
それが文中では「雑」という言葉で表されているのかもしれない。
「今何をしているのか」と思いを馳せる時、メールがあればつながってしまう。
匿名の誹謗中傷が公のウェブサイトで行き交う。
それは、技術が発達する以前にはなかった類のコミュニケーションだ。

理由がわからない、ということが許されず、
悪意が隠されることがない。
それは、以前大切に扱われていた、気持ちの伝わらないもどかしさや、その人を守るための「不明瞭な部分」を雑に扱っている。
そう思うと、あらゆるものは以前よりも過剰で、露骨で、緊張を増している。
繊細なものも、刺激的なものも、複雑なものも、わかりにくいものも、
ぼんやりとわかりにくいことが許されず、いやにくっきりとしている。

それを息苦しいと憐れまれるのも仕方ないが、
それでも喜びはあるのだ。
誰かを信頼したり、助けられたり、
受け入れたり、受け入れられることの喜び。
出会ったことのないものに出会った興奮。
まだ誰もたどり着いたことのない場所にいけるのではないかという好奇心。
体が熱ければ、「こんな時代」でも楽しくてしかたないよ。
by mouthes | 2013-02-21 13:18 | Movies&Books