03. 卒業
2012年 11月 26日
窓から差し込む四角い光が、ときどき黒い影にさえぎられる。
時折訪れる揺れは、聞いたところによると人をいちばん和ませるリズムだという。
僕は今日、この制服を着て学校へ向かう最後の電車に乗っている。
ほとんど人数のいない電車のなか、変わらない一面田んぼの景色。
まだまだ強めの暖房が、眠気に拍車をかける。
2両しかないこの電車の、僕のいない車両で、女の子たちがくすくすとおしゃべりをしている。
僕はマフラーに顔をうずめ、少し深く息を吸い込んだ。
止めてみる。
目を閉じて、あいつの顔を思い出す。
「私、卒業の日に、ここを出るわ」
僕の方など一切見ずに、横に並んだ彼女はつぶやいた。
「あなたと会えなくなること、寂しいけれど、耐えられないほどではないの」
あまり表情のない横顔が好きだった。見慣れた横顔が、意味を変えていく。
「だから、終わりにしましょう」
勝手なことを言いやがって。
僕に何の言葉が残されてるっていうんだ。
涙すら、追いすがる肩すら、切なくなれる余裕すら、残してはくれなかった。
「終わりにしましょう」なんて、同意を得るためだけに尋ねるような口ぶりで、突き付けただけじゃないか。
何しろ腹が立つのは、それを受け入れてしまった自分だ。
物わかりのよさそうな顔でうなずきやがって。
何も聞かずに彼女と別れて、別れた場所から少し歩いたところにある長い階段に、
座ったまま何時間も動けずにいた。
彼女との付き合いは、いつもそんな風だった。
彼女はいつもしたいことをして、僕は自分が何をしたいのかすらわからない。
そして立ち尽くす。
閉じていた目を開ける。
なあ、あの時僕が尋ねていたら答えたかい。
君にとって僕がなんだったのか。
その時ポケットにしまってある携帯が震えた。
彼女からの電話が鳴っている。
跳ね上がる心拍数と、震える手。直る姿勢。慌てている分の帳尻を合わすように、なるべくゆっくりした動作で電話に出る。
「もしもし」
「もしもし。・・・突然ごめんね」
「いや、いいけど」
「私、早い電車に乗ったから、もう空港に来てるの。卒業式には出ないんだ」
「うん」
「ここにはもう、帰ってこないつもり。最後に話したい相手はいないかって考えたら」
「うん」
「あなただった」
「うん」
「うなずいてばっかりだね」
聞きなれた苦い笑い声。
僕は、あれやこれやと語る彼女の夢のような話を、いつまでも聞いていた。
ここを出て、都会に暮らして、一人で生計を立てて、なりたかった自分を手に入れるんだ、と。
そんな風にはいかないよ、と思いながら、そうなったらいいね、と相槌を打って。
君が描いてる夢に僕はいるのかな、と思いながら。
彼女の話を、ずっと聞いていたかった。僕は何も言わなかった。
「この土地は嫌い。大っ嫌いだったけど」
「うん」
「あなたのことは好きだった」
僕も、と言いかけてやめた。
いや、声が出なかった。
彼女の言葉が、思い出を語っていたから。
失ってしまったものを、懐かしむような言葉だったから。
僕にとって彼女は、何だったんだろう。
「僕は」
「うん」
「今でも君が好きだよ」
行かないでくれ。一緒にいてくれ。僕がついていくから、連れて行ってくれ。今から会いに行くから、待ってくれよ。
そんな感情が渦になって、口から出そうになるのを、何かが必至で抑え込んでいる。
彼女の横顔ばかりが頭の中に蘇る。
「ありがとう」
「ねえ」
「でも、もう行かなくちゃ。最後に声が聞けてよかった。元気でね」
突然電話は切れた。
世界が一瞬で元に戻った。
電車はもうすぐ学校の最寄り駅に着く。
女の子たちは相変わらずささやくような声で笑っている。
僕は卒業式に出るだろう。
そこにいない人のことを想って泣くであろう自分を、先に笑っておいた。
時折訪れる揺れは、聞いたところによると人をいちばん和ませるリズムだという。
僕は今日、この制服を着て学校へ向かう最後の電車に乗っている。
ほとんど人数のいない電車のなか、変わらない一面田んぼの景色。
まだまだ強めの暖房が、眠気に拍車をかける。
2両しかないこの電車の、僕のいない車両で、女の子たちがくすくすとおしゃべりをしている。
僕はマフラーに顔をうずめ、少し深く息を吸い込んだ。
止めてみる。
目を閉じて、あいつの顔を思い出す。
「私、卒業の日に、ここを出るわ」
僕の方など一切見ずに、横に並んだ彼女はつぶやいた。
「あなたと会えなくなること、寂しいけれど、耐えられないほどではないの」
あまり表情のない横顔が好きだった。見慣れた横顔が、意味を変えていく。
「だから、終わりにしましょう」
勝手なことを言いやがって。
僕に何の言葉が残されてるっていうんだ。
涙すら、追いすがる肩すら、切なくなれる余裕すら、残してはくれなかった。
「終わりにしましょう」なんて、同意を得るためだけに尋ねるような口ぶりで、突き付けただけじゃないか。
何しろ腹が立つのは、それを受け入れてしまった自分だ。
物わかりのよさそうな顔でうなずきやがって。
何も聞かずに彼女と別れて、別れた場所から少し歩いたところにある長い階段に、
座ったまま何時間も動けずにいた。
彼女との付き合いは、いつもそんな風だった。
彼女はいつもしたいことをして、僕は自分が何をしたいのかすらわからない。
そして立ち尽くす。
閉じていた目を開ける。
なあ、あの時僕が尋ねていたら答えたかい。
君にとって僕がなんだったのか。
その時ポケットにしまってある携帯が震えた。
彼女からの電話が鳴っている。
跳ね上がる心拍数と、震える手。直る姿勢。慌てている分の帳尻を合わすように、なるべくゆっくりした動作で電話に出る。
「もしもし」
「もしもし。・・・突然ごめんね」
「いや、いいけど」
「私、早い電車に乗ったから、もう空港に来てるの。卒業式には出ないんだ」
「うん」
「ここにはもう、帰ってこないつもり。最後に話したい相手はいないかって考えたら」
「うん」
「あなただった」
「うん」
「うなずいてばっかりだね」
聞きなれた苦い笑い声。
僕は、あれやこれやと語る彼女の夢のような話を、いつまでも聞いていた。
ここを出て、都会に暮らして、一人で生計を立てて、なりたかった自分を手に入れるんだ、と。
そんな風にはいかないよ、と思いながら、そうなったらいいね、と相槌を打って。
君が描いてる夢に僕はいるのかな、と思いながら。
彼女の話を、ずっと聞いていたかった。僕は何も言わなかった。
「この土地は嫌い。大っ嫌いだったけど」
「うん」
「あなたのことは好きだった」
僕も、と言いかけてやめた。
いや、声が出なかった。
彼女の言葉が、思い出を語っていたから。
失ってしまったものを、懐かしむような言葉だったから。
僕にとって彼女は、何だったんだろう。
「僕は」
「うん」
「今でも君が好きだよ」
行かないでくれ。一緒にいてくれ。僕がついていくから、連れて行ってくれ。今から会いに行くから、待ってくれよ。
そんな感情が渦になって、口から出そうになるのを、何かが必至で抑え込んでいる。
彼女の横顔ばかりが頭の中に蘇る。
「ありがとう」
「ねえ」
「でも、もう行かなくちゃ。最後に声が聞けてよかった。元気でね」
突然電話は切れた。
世界が一瞬で元に戻った。
電車はもうすぐ学校の最寄り駅に着く。
女の子たちは相変わらずささやくような声で笑っている。
僕は卒業式に出るだろう。
そこにいない人のことを想って泣くであろう自分を、先に笑っておいた。
by mouthes
| 2012-11-26 07:01
| words