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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

御霊なう

キリスト教を考えるの巻。

聖書研究会というのを教会の青年たちで毎月やっているんだけれども、
「『父・子・精霊』っていう時の『精霊』って、『御霊(みたま)』ってなに?」という問いがあって、
「御霊っていうのは、…神ですよね」みたいなやりとりがありつつ、
友達の一人がこんな説明をしてくれた。

「キリストがいない今、精霊がひとりひとりの中に宿ってみんなを導いている、と考えるから、
 英語の聖書には精霊の説明に“now”ってついてるんだよ」



……御霊なう?



だから祝福があったと思った時は、「御霊なう」って言っていこうという話になりました。

そんで、甥が生まれました!!!!御霊なう!!!!!!!!



御霊なう_f0112996_2214372.jpg



めでたいわー!めでたい!






村上春樹の「ノルウェイの森」を読んで、
鈴茂さんの「サンクチュアリ」という短編を読んで、
なんでこうも村上春樹が口の端に上がるのかってことがなんとなくわかった気がする。
そして私にとっては何が問題で、何に憬れているのかということが。

私にとっては、私を突き動かすこの「感情」って、「欲望」ってなんなんですか!?っていうのがいつも問題で、
本を読むのも音楽を聴くのも映画を見るのも絵を見るのも歴史を知るのも、
全部その問いの答えが知りたいがためなんだと思う。
「欲望」が「心地いいを求める心」なら、「心地いい」っていったいなんだ、どういうことだ心地いいって。
まあとにかく今のところ私にとって一番の「心地いい」は「人に受け入れてもらうこと・人を受け入れることだ」と思うので、
どうやったら受け入れてもらえるのか、どうやったら受け入れられるのか、とそういうことを考えることになる。
もしかしたら芸術ってそういうことが原動力になっていて、
芸術とそれに関わる人との間には、そういうことが行われているんじゃないかと思う。
そして人に受け入れてもらったり、人を受け入れたりする行為が「愛」なんじゃないかと思う。
人に行動を起こさせるのは感情や欲望だ。
だけどこれらはもうすごく複雑で膨大な働きがあって、人間が誕生して一万年くらい経つのにいまだに全てを知り尽くしている人はいない。
だから、問題に突き当たって考えていると、結局いつも「感情って、欲望ってなんだ!どうしてこんな動きをするんだ!」ということを考える羽目になる。



ただ、鈴茂さんや村上春樹が描いているのは、感情や欲望の動きだけじゃない。
その外にある何かを、いつも描いてる気がする。
「もののはずみ」とか、「ふとした拍子」とか、そうやって表現される何か。
それが人間の中に一つの機能としてあるんだと、物語の中で教えている気がする。
なんで物がそんなはずみ方をするのかとか、どうしてそんな拍子が生まれたのかとか、
そういうことはわからないけど、とにかくあるんだ、何かの法則である時に働くんだ、とお洒落に言っている気がする。
私もそういうことがあるのはわかるし経験もしているけど、
そんなに大切なことだと思ったことがない。
ていうかいつも気づいたらはずんでしまっていて、我に返るとやらかしてしまったあとで、
失敗したのかもと途方に暮れるばっかり。
なに、そんなに大切なの?この、「何か」。

村上春樹が好きになれないのは、欲望や感情の強い動きに対してあまりにも淡泊で、春樹世界の中では強い動きなんてないものみたいに扱われているのがあたしはヤなんだと思う。
鈴茂さんが好きなのは、道徳とか理性では抗えない欲望や感情がいつもあるんだけど、この違和感とか疎外感はそれだけじゃないんだと、おずおずとしかしはっきりと言ってくれるのが良いんだな、あたしには。
それに人間の在り方と経済的即物的な問題は切り離せないんだと言ってくれるところも信頼できる。

村上春樹の物語は慎重で、物静かで、登場人物はいつも自分が傷つかないように、誰も傷つけないように気を配っている。
でも、私の知っている人間は、そうじゃない。
どれだけ慎重に行動しても、乱暴な感情に振り回される時があって、
理由も説明できない間抜けを背負っていて、
そういうのはだいたい強くて根が深い欲望のせいだ。
それをどうするかが、いつも問題なんだ。



しかし、欲望の外にある「何か」って、いったいなんなんだろう?
by mouthes | 2011-01-10 23:17 | footmarks