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皆殺し文学はやめだ

by mouthes

心と体は同じ形をしている

中高の友達、男女8人で集まっていろんな話をした。
年頃の若者が8人もあつまって全員恋人はおろか恋もしてないってどういうことだよ。
夏なのに。
揃いも揃ってどんだけモテねんだよ。
しかし、こういうことも、あたしたちを結びつける妙な連帯感のひとつ。
学校行ってた時期にそんなに仲が良かったわけでもないのに、
卒業後もちょくちょく会って騒ぐ集まり。
思い出すだに、居心地のよさにびっくりする。


時間なのか、相性なのか、距離感なのか、趣味嗜好なのか、
同じように一緒にいても、離れて行った人もいて、きっと誰でも良かったわけじゃない。
なんで一緒にいるのか、理由なんて知りたくないし、そんなことわかりようもない。


ただ、途方もなく幸せな時間だった。
なんだろう、なんだろう。帰り道すらまったく寂しくないんだよ。
しみったれた自己愛や、大きなイベントの後にある絶望的な閉塞感なんか広がる余地のない繋がり。
そもそもあの時の自己愛や閉塞感はなんだったんだろう。
ああ思い出して胸が重くなってきた。

スキー教室とか、教会のキャンプとか、
泊まりの行事の帰り道は、必ず鬱々と、平衡感覚もぐらぐらとして、どうしようもないほどの絶望感があった。
家に帰るともう部屋から出たくなくて、だれとも喋りたくないし、誰からも嫌われてる気がして、神様のことなんて思い出すこともなかった。

今思うと、あれは、疎外感だったんだろうな。

みんな良い人たちだったけど、なんていうか、あたし自身は、常に嘘をついているような気がしていた。
いや、違うな。
その場その場をやり過ごすのにすら勢いや気力が必要で、あたしが普段感じる疑問や興奮を、無視するほかなかったんだ。
「良い人たち」の前で、
あたしが絶えず感じている疑問や興奮は解決すべき問題で、排されるべき悪徳で、
いちいち取り沙汰して議論するようなものではなかったから。

人と一緒にいるときにひとりイヤホンで音楽を聴く、本当はそんなこと嫌だった。
だけど疑問や興奮を無視することはもっと嫌だった。
泣くほど嫌だった。

だけどそれは、誰のせいでもなく、偏に自分のせいだ。
他人は、自分を映し出す光として尊重すべき存在ではあっても、あたしの欲求をかなえる道具ではないのだから。
あたしはあの時、もっと注意深く、いろいろなことを精察するべきだった。


今なら、前より少しは、うまくやれる気がする。



ただ、今回の集まりは、そういうものとは全く無関係で、
わかりあえないことを知りながら、8人の心が溶け合うような瞬間が何度もあった。
この、「わかりあえないことの自覚」が、もしかすると妙な連帯感のひとつかもしれない。
囲炉裏で焼いたマシュマロを食べてる時、最後の打ち上げ花火が意外と派手だった時、8人の大富豪で渡辺が2連敗した時。
そうか。
それぞれの抱える日々の疑問が融解する、あの瞬間こそが希望なのだと、にわかに思う。


♪曽我部恵一BAND「ハピネス!」
by mouthes | 2009-08-11 10:45 | footmarks