皆殺し文学はやめだ

by mouthes

共に暮らす日々

何度も書こうと思って書けなかったブログをこうして更新する。

数日前、久しぶりに友達に手紙を書こうと思い立ち、
「いろいろとあわただしかったのですが、やっと手紙を書けるような心持になりました」と書いてはたと気づく。
もう11月も終わり。
今年は本当にあわただしかったのだ。

思いついたことをそのまま書こうと思っても、なかなか文章にならない。
つぶやきに慣れているせいだと思う。
でも、長い文章を書くことが私を支えてくれていたことを思い出すと、
あの感覚が懐かしくてたまらなくなる。
先に進むためにも、もう一度あの感覚がほしい。

誰かに伝えなければはちきれてしまいそうな気持ちは、もうない。
私は私のことが好きになったし、目に見えている人間の後ろにある時間が想像できる。
人を憎むことが減った。
家族は仲が良く、病気もしておらず、たまにする会話で日々を分かち合いながら生活している。
そしてそれぞれの連れ合いのもとへ帰っていく。
こんな幸せはないと思う。
こんなに都合の良い現実はほかにないと思う。
このまま時間が止まってほしいと、心から思う。


今日は午後14時によろよろと起き出して、食器を洗い、夫のワイシャツにアイロンをかけた。
新潟から送られてきたリンゴで作ったジャムをトーストにつけて食す。
シナモンを入れて大正解だった。
本当においしい。
マトリックスを観ながら仕事を進めようと思うも、案外見たいシーンばかりで全然進まない。
そうこうしてるうちに16時半となり出かける準備。
今日はバオーンの夕べがあるのだ。いざ調布へ。

思っていたより早く着きそうなので駅前で夫と買い物。
カルディに向かいながら待ち合わせしてる友人へ連絡。
陳列棚を見るともなしにうろうろしていると夫を見失う。
そして見つけた時には、少しお高めのぶどうジュースを買っていた。
二人で飲もうと思ってくれているのだ。そういうことを、口には出さないけれど。
この人はいつも私を喜ばせようと、素朴に考えてくれている。
彼の喜びそうなものを考えて、たいして思いつかない自分が後ろめたい。
かろうじて手にした生ハムに自信が持てず、「生ハム好きだっけ?」と聞いてしまう。
「生ハム好きだよ」と答えてもらって安心して買う。
レジ近くにあったチャイの粉を買おうとして手を伸ばすと、「抹茶ラテのほうが好きだよ」というので、抹茶ラテの粉を買う。
譲ることがうれしい自分にすこし安心する。
この人のことが好きだな。

電車を間違えつつバオーンの夕べへ。
待ち合わせしたMr.Rに平謝り。
スタンプラリーの台紙や景品をいただき、狂喜!
毛糸の汚れ落としも渡せて一安心。開会。
初めて目にする京極堂。次女の悦子さん。生前に水木先生をよく知る人々。
先週水木先生の実兄がお亡くなりになられたことで、しばしの黙とう。神に祈る。
水木しげる大全集の話をたくさん聞けて楽しかった。
日常の中の水木先生の話も最高で、
普通に歩いていても横断歩道を渡るとなると急に走り出すところや、
散歩中に催して速足で家へ向かう中、「門が開く…!」とこぼしていたことなど、
完全に水木漫画の日常だった。ありがとうございました。

Mr.Rと調布銀座の台北料理屋で夕食をとり、
仕事の話や趣味の話をぽつぽつとする。
Mr.Rは褒めはじめるとのべつ幕なしに褒めてくれるので面映ゆくて仕方ない。
ゆかりの地を回りながら駅へ。

帰りに下北沢の兄のもとへ。
どうぶつの森pocket campの話や、最近読んだ本の話など。
昨日義姉と行ったディズニーランドは楽しかったらしい。
よかったね。

終電で帰宅。
帰宅すると夫はコーヒーを入れてお出迎え。やさしいなあ。
二人でゲームセンターCXを見ながら雑務をこなす。
お風呂に入り、ごみを出してもらい、
リンゴジャムのトーストが食べたいというので用意する。
『凪のお暇』面白い。
『家族最後の日々』を大事に読み進める。

明日は起きたら家の掃除をする。
本当は洗濯もしたいけど、雨が降るようなので無理かな。
金曜日に雨に降られるとこれだから困る。
セゾンカードの締め日が急に翌月10日になったことは許しがたい。

幸せに寝ます。おやすみなさい。

[PR]
# by mouthes | 2017-12-01 04:42 | footmarks

一年前の今ごろ

一年前の今ごろ、今と同じようなことを思っていたのだな、と思いながら新しい日記を書く。
日記を書くのは好きな作業の一つだけど、好きなことがいつもできるとは限らない。
そして、今年は手書きの日記を購入したのでこちらに書くことはほとんどなくなってしまった。

ブログ自体は、わたしは中学生の時から続けていて、何度かページを変えつつ、
このページは高校1年生の頃に始めたからもう10年以上になる。
感慨があるようなないような。
ブログを始めた時のようなむきだしでみずみずしい文章はもう書けないし、
映画や音楽の感想だってここに吐き出さなくてもいいくらい、
家族や友達との関係も作ることができた。

思い返せば、あのころから思えば、本当に夢のような今がある。
このブログを続ける意味は、もう無いのかもしれない。





だけど続ける。
なぜなら、もうすぐ私の家族は実家を手放すから。
両親は地元に帰省し、私も含めて兄弟全員が所帯を持って独立し、
もう住む人のいなくなったあの家を、私たちは手放す。






大事なものを一つ手放すとき、何を失って何が残るのか、
ここに書いておきたい。
いうなれば、実家整理日記だ。
そして、実家を手放したあと続いていく私の生活がこれまでと地続きであることを、
ここに書くことで改めて覚えておきたい。
このブログは、過去と私をつないでくれるものの一つだから。

実家がなくなることは、私にとってすごく大きな出来事で、
失う前から喪失感が強烈にあるのです。
これまでと今までが切り離されてしまような強い痛みが。
寝て食べて、ケガして喧嘩して、笑って泣いて、
家族と過ごしてきた長い時間が存在する場所で、
あの場所があるから家族が家族でいることができるような感覚があるせいだと思う。
それは錯覚だし、幸い家族仲もいいし、みんなすぐ会えるし、よく電話もする。
だけど、だけど。
あの床のくぼみまで覚えてる。
あの壁の穴はお兄ちゃんが起こって殴ったせいで、
みんなで考えた壁紙、リフォームした食器棚、
お母さんの肝いりだけど、お兄さんがぶつくさ言ってた和室のクローゼット、
はじめての自分の部屋だと思った押入れ、
風通しのいい大きな窓、
リビングでホラー映画見てた時、隣の和室から聞こえるお父さんの寝言にびびってふりむいたこと。
子どもの頃は全然勉強しなかったのに、
大人になってから、一人が勉強し始めるとだんだんと兄弟が集まった長いテーブル。
そういうこと、ずっと覚えていられるのは、場所があるからこそのような気がして。
今でも全員、あそこの住所をそらで書けるはず。
やたら長い住所。
あーあ。
悲しい。
すごく。
悲しみを漏らすわたしに、わかってたことを次兄が言う。





「場所がなくなったからって、家族でなくなるわけじゃないし、みんな失くすことは悲しいんだよ。
 でもさ、みんなが同じような喪失感を共有するっていうのもさ、きっと大事なことなんだよ。
 素敵なことでもあるよ。
 悲しいだけじゃなくて、前向きに決めたことだから。
 あの部屋は、405号室はいい部屋だった、素敵な部屋だった。それで十分でしょう」




そうだよね。
わかってる。
今はすごく悲しいけど、どうしようもく寂しいけど。
これ書きながらやっぱり泣いてるけど。

あの家の最終回のその日まで、たっぷり悲しむことによう。



[PR]
# by mouthes | 2017-08-26 20:09 | footmarks

成長

家を片付けていて、ふと思うことは、「あと何回この家で片づけをするのだろう」ということ。
この食器を使い、この箸をつかい、本を棚に戻し、ほこりを払い、床を拭き、掃除機のごみをだし、洗濯機を回し、トイレを磨き、風呂釜を洗い
そういうことを、あと何回するのだろう。

母は、「あなたが結婚したら、もうこの家にも来なくなるのかしらね」と言って、
その言葉には家に対するいとおしさがにじんでいた。
変化は仕方ない。
母はこの家を出て、故郷に帰った。
母の生活は、都会に残った私たちよりも、亡くなった祖父や、ほとんど覚えていないであろう母の生母のほうに、ずっと近い。
それは仕方ない。
みんながそれぞれ、きっと、いずれ。

9か月、長くも短くもそれくらいの間、会えなかった友達が、
きのう思い立って連絡したところ、すでに結婚していて来月子供を産むという。
ひどく驚く。
彼女の環境にもおそらく急激な変化があって、
そのあいだいろんなことを考えたろうし、気忙しかったことだろう。
一言言ってくれれば、と思う反面、私も連絡をしなかったのだ。
ニ、三質問をしてみるものの、返事も単調で、
おそらく今の生活に私が入る余地はないのだろうな、と思いながら連絡は途絶えた。
彼女との関係が遠くなってしまったことのきっかけも穏やかならぬものだったし、これも仕方ないのかもしれない。
「結婚」「子ども」という出来事を境に、きゅうっと丸くなって閉じていく彼女を想像する。
大きな大きな卵のようになっていく彼女のことを想像する。
たしかに「結婚」には、そういう側面がある。
それまでのことと現在が切り離されてまた新しく開いていくような。
そう教えてくれたのは義姉さんだったなあ。

思い出す彼女の一人暮らしの部屋と、彼女の手料理と、だらだらした時間。
センスが良く、頑固で、美人だった彼女のこと。
何を話していたのかは全然思い出せないけど、楽しかったこと。
不用意な言葉で彼女を傷つけてしまったかもしれない。
でも彼女が私を責めたことはなかった。
ああいう時間が訪れることは二度とない。
私も彼女も変わっていく体と存在を抱えながら、ほんの少しだけ道が交わったに過ぎない。




あのままでいたかった。
このままでいたい。
生まれたころから過ごしたこの家で、知ったものに囲まれて、
築いたものが崩れない世界で、包まれるように暮らしたい。
でもそれはできない。



このままでいたいなんて、思ったことはこれまであったかな。
このままでいられないことが苦しいと思ったことは、あっただろうか。
成長するってこと。老いていくということ。
目の前にあるものを蓄えていくということ。蓄えたものが少しずつなくなっていくということ。
初めて仕事が苦しいと思う今。
今まであったものが取り去られていくことと重なる。
祈ることしかできないのに、それすら十分にできない。
成長は苦しい。
[PR]
# by mouthes | 2016-10-25 13:17 | footmarks
f0112996_15362453.jpg



日常に戻っても何度も反芻してしまう映画、というのがたまにあって、『シング・ストリート』がまさにそれだ。
1週間のうちに何度も劇場に足を運んだ友人もいる。
映画をほめるとき、「ストーリーがいい」「役者がいい」「音楽がいい」「美術がいい」などいろいろな切り口があると思うけれど、
『シング・ストリート』をほめたいときは、そんなほめ言葉ではとても足りない。
人生で最も美しい瞬間を切り取ったような映画なのだ。
ある部分だけが良いわけではないし、足りない部分も含めて強い強い光を放つ映画だった。
「青春」という言葉が持つ、もう届かないきらめき、みずみずしい青臭さや、恥ずかしさ、幼さ、傷つきやすい柔さ、その柔い優しさ、そういうものが物語に丁寧に織り込まれていて、たまらないほど胸が痛かった。

どこが良かったという話をしようと思えばもういくらでもできるし、1回しか観ていないけどほんとにどのシーンも忘れられない。
話自体はかなりシンプルで、鬱屈とした世界から外に飛び出す、そのきっかけが女の子でありバンドだっていうある意味では「ありきたり」な話で。
でもありきたりだからこそ!この物語は!全世界で多くの人の心をかきむしるんだよ!


なにしろ私がたまらなかったのは細かい言葉のやり取り。
好きな者同士が些細な言葉で傷つけあってしまう瞬間を描く場面が、本当に素晴らしい。
コナーとブレンダンがぶつかる場面とか、ラスト近いコナーとラフィーナの公園でのやり取りとか。
今まで心が通じてたと思っていたけど、本当はお互いにまだ見せてない深さや浅さがあって、
「悪」や「悪意」は存在していないのに、相手を傷つけてしまう、すれ違ってしまうという。
よくあることなんだけど、本当に切ない。
それに、外の世界に出るときには、避けて通れない苦しさでもある。
それが反対に作用する場合ももちろんあって、
コナーとエイモンのやり取りはどれをとっても泣けるほどほほえましい。
「どうした?」「レコード聴こう」とか、「やりたい」「やろう」とか、「何してたの?」「うさぎにエサやってた」とか、
日常会話以下のやり取りでたしかに心が通じてる瞬間が詰まっている。
恋人同士が惹かれ合うように、ただの知り合いじゃなくて友達になっていく過程がとてもなめらかで自然で、これもこの映画の素晴らしさの一つ。
「特別な友達」も間違いなく運命の人だし、バンドやってたら尚更だよな。


コナーがやってるバンド自体もさ、別に「分かり合ってる」集団じゃなくて、
「一緒にいると何となく楽しい」とか、「利害の一致」とかその程度のかかわりなんだよね。
でもみんなで「バンドやっている瞬間」に味わった高揚とか、その時間を宝物のように思う気持ちは本当なんだよ。
この映画を絶賛する音楽家たちには、「言葉が詩になって、詩が歌として立ち上がる瞬間をとらえている」という言葉がみられるけれど、
音楽やってる人でなくても、その瞬間の感動とかときめきを感じることができる。
「相手がどういう人間か」とか、「何を考えているか」とか、そんなこと全然わからないけど、
同じものを大切にできることの貴さ、相手を大事にしたいと思う気持ちの清さが、あるんだよ。
その貴さにコナー自身のむき出しといってもいいほどの幼さが交じり合って、
・・・なんだろうなもう。狂おしい。
人生で初めて、一人の人間として手に入れる友達、勇気、恋心、そして向き合える家族。
それらに全身でぶつかって、正面から傷つくひたむきさは、自分の過去で、現在で、身近な子供たちの未来だ。
そして人生の挫折ときらめきの瞬間に鳴る音楽の素晴らしさ。

もーこの映画の良さと比べたら、私の賛辞など本当に空虚なものだよ。
もっと内容的なことが知りたい人は歌多丸さんの絶賛批評を読んでください。
もう一回観たいな。観た人と映画の良さについて話したいな。

f0112996_15393038.jpg

[PR]
# by mouthes | 2016-09-21 15:32 | Movies&Books

言語

私はきっと、「言語」だから映画が好きなのだ。
彼はきっと、「冒険」だから映画が好きなのだ。
だから邦画は見ないのだろう。

私はどの芸術に対してもそれを「言語」として扱う、そういう節がある。
みんなが好んでいるものは、言語としてひろく流通しているからその価値が高い。
音楽も、絵画も、映画も、本も。
好む人が少ないものは、新しい「言語」としてのイマジネーションに富んでいる。
そしてそれを知っている者同士の秘密めいたものをはらんでいる。
だから広く、どこまでも広く、知りたい。

そんな風に思うと、わたしはその物自体に感動するということが少ないのではないか、
と思う。
芸術を体験して、なにか心を震わせたり、自分自身がすっかり変わってしまったりすることがないのではないか、
と思う。

そんな高尚なもんか?
とりあえず今年はたくさん映画を見てライブに行っています。
[PR]
# by mouthes | 2016-08-05 10:44 | footmarks

土曜日のタマネギ

1年半ぶりくらいに会う友だち、緊張するときに瞬きが増えるクセが変わってない。
「結婚するよ」って言ったらものすごく驚いて、笑ってくれた。
彼女はすごくモテて、この1年半に彼氏でもなんでもない人たちに2回プロポーズされたけど、
結婚しなかったって。
彼氏は優柔不断で、結婚はどうかな。
子どもは産みたいよね。
でもイギリスのEU離脱って、仕事って、暮らしって、老後って、
でも生きていくのは楽しいし、どうしたもんかね、
そんな話。今度あのバンドのライブで会おうねって別れた。

くだらない話でいつまでも時間が過ぎていく大学時代のあの感じ。
でも歳はとる。
もう素足で膝丈のスカートはきついね。
血色悪いし。

斉藤和義の歌って、なんかちょっと照れくさいんだよね。
固有名詞がたくさん出てくるからかな。
わたしが「会いたい」とか言われるの苦手なせいかな。
体調によっては嫌いにもなる。
この人の魅力が教養とか文化とか関係ない部分にあるからだろうな。
会いたいときに会いたい人に会える人の歌を聴くのは苦しいときもある。
でもたまにすごく聴きたくなる。
斉藤由貴の歌はいつだって好きだな。
夢の中でも触れるのをためらうような純潔。
あんな風に拗ねてみたい。

電車に乗っていとこのところへ行く。


[PR]
# by mouthes | 2016-06-25 17:22

春の公園

春の代々木公園を、手をつないで歩く。
日差しが強いくせに夜はつれない寒さ。
力が入って固い手のひら。
肉厚で温かい。


渋谷駅からセンター街を通った。
「美術を愛する友人たちが、日本のギラギラしたネオン街を嫌っている」という話をした。

「でも私は好きなの。看板がずらっと立ち並んだネオンて、自分の知らないものが潜んでる感じがして、わくわくする」

「うん、その感じ、なんかわかる気がする」って言ってくれたことが、うれしかった。


夜の代々木公園を、手をつないで歩く。
終電に間に合わなくて走る。
荷物がはねて背中をどんどん叩く。
耳を付けて聞いた心臓の音を思い出す。
同じ速さで高鳴る。
胸が高鳴る。




[PR]
# by mouthes | 2015-04-14 12:44 | footmarks
この日のサニーデイ・サービスは、とても美しかった。
瑞々しく、若く、しかし柔らかく豊穣だった。
それはロックバンドを長く続けた者だけが持つ豊かさだ。
詩の中の瑞々しい恋心と、年月に育てられた深い3人の関係が、
相対照を成すように、歩んできた道のりを示すように、強く光っていた。
この大げさな言い方がとまらないよ!!!
本当に美しかったんだよ。



1. babyblue
2. 恋におちたら
3. 花さくころ
4. あじさい
5. 雨の土曜日
6. スロウライダー
7. 虹の午後に
8. おせんべい
9. アビーロードごっこ
10 .恋人の部屋
11. 夜のメロディ
12. シルバースター
13. NOW!
14. 星を見たかい?
15. 24時のブルース
16. ふたつのハート
17. 成長するってこと
18. 胸いっぱい
19. 夢見るようなくちびるに
20. 青春狂走曲
21. いつもだれかに
22. 白い恋人
23. 旅の手帖
24. 若者たち

アンコール1. ここで逢いましょう

アンコール2. 東京/コーヒーと恋愛



「虹の午後に」のあとに「おせんべい」を弾いてくれたことの感激はきっと、
サニーデイ全盛のファンではないわたしみたいなものこそあるのだろう。

わたしにとってサニーデイは過ぎし日の青春ではないし、懐かしいバンドではないのだ。
新しく出たアルバムがいつだって最高の「今のバンド」なのだ。
しかも、中高時代ずっと聴いていたことは変わらない。
『東京』を聴きながら乗り換えを間違えた電車に乗って片瀬江の島まで行ったこともあった。
そのあとなんとか気を持ちなおして学校に行った時もまだ聴いてた。
ゆううつな気持ちで聴いた「JET」を、いつかの未来と夢想しながら聴いた「旅の手帖」を、
はっきりと覚えている。
そして今、同じ3人の、真新しい曲が、同じくらい素晴らしいんだから、これほどの感激はない。


「おせんべい」という曲のよさは、
サニーデイの夢の中を歩き続ける様な叙情的なよさとはまったくちがう。
この曲は恋をしている中でもはっきりと目が覚めていて、
「おせんべいを買って行こう ぼくらがまだかじれるうちに」というひとつのフレーズで、
いずれくる「老い」と「別れ」と向き合っている。
それでも私たちが感じるのは今の「恋の瑞々しさ」、「七月のはじまり」の方なのだ。
もう最高ですよ。
こんな風にね、恋愛を肯定してくれる歌が、他にありますか!
オザケンの「流星ビバップ」の他にありますか!


「24時のブルース」は星が輝いていました。
舞台の上で夜がきらめいていました。
この曲の中で実は、「One Day」のように、全ての人が触れている魔法が語られていて、
それはこの日のライブそのもののようでした。


しかも「成長するってこと」のあとに吹っ切れた「胸いっぱい」のイントロが、もう、泣きそうですよ。
本当にこう、ね!
終わりを祝福する歌の強さというか、生まれ育っていくことの肯定というか、
出来上がった物語のなかに収まりきれない感情がにじんでいくくるおしさというか!!


「いつもだれかに」の青々しく固いギターが素敵だったなー。
むかし何かのインタビューかそかべさんの日記に、
「「いつもだれかに」を弾く時はいつもどこか緊張して失敗する」というようなことが書いてあって、
今回は失敗しなかったんだけどやっぱりどの曲よりも力が入っていて、
それがまた・・・!
デビューアルバム1曲目につまっているぎこちなさ、ひたむきさ、頑固さ、青さ。
しかししっかりとそのあと花ひらいていく予感に満ちたひねたユーモアが香っていて、
たまらん・・・!


本当にね、ベストアルバムのようなライブだったんですよ。
それはあの会場がそうさせたんですよ。
舞台と客席の距離があってこそ、あの舞台の上は作品のようになっていたんです。
それは完成度を追い求めるような意固地なあり方ではなくて、
目の前に人間そのものをさしだすような切実なあり方で、
ライブ自体が美しい祈りだったのですよ。
だから何か失敗があっても観客はそれを受け入れるしね、
失敗からすら何かを得るのですよ。
人と人との関係はいつだってそのようですよ。
それが芸術でしょ?ね、ホドロフスキー。


あんなに美しいライブはきっと2度とない。
いや、何度でもある。
美しい朝と夜が何度でも訪れるように!


f0112996_17143782.jpg

[PR]
# by mouthes | 2015-03-28 17:14 | footmarks

悲しいことがあっても

今の自分が好きだ。
いとおしいと思う。

昔はそうじゃなかった。
苦しかった。
寝起きに襲い来る鈍い頭痛が、一日中続いているような、
いらいらした痛みがあった。
誰のことも好きじゃなかった。
自分のことはきらいだった。

それが変わったことにはたくさんの出来事が関係している。
善良さを知って、育ててもらって、それがわかるようになって。
それが半分。
もう半分は顔面から転ぶような痛々しくてみじめな出来事だ。

よく、苦しい経験をして、「あの経験があったから・・・」と振り返ったり感謝したりしてる人の言葉を聞くが、
まだそんな風に思えたことはない。

みじめな出来事は、相変わらずみじめだ。
傷が薄くなることはあっても、なくなることはない。
いつだって生傷になる。じくじく痛む。

こんなこと、なかったらなかったで楽しく生きていけたと思う。

ただそんな未来はないし、過去は変わらない。

だから過去を憎むのはやめた。
やめただけ。

もし誰かのせいだとしても、それを憎むのはやめるんだ。
誰かを責めることがあるとしたら、それはより良くなるためだけにするんだ。
それ以外の感情が、もしすこしでもあるなら、
それは呪いだから、
感情をできるだけ細かくして、自分の中で飲み下す。

許さないなんて思ってないよ。
出会えてよかったとも思わないけど。

あなたが誰かを愛せますように。愛されてきたことを知りますように。
そうしたらきっと心の価値がわかる。
それだけで十分だ。
[PR]
# by mouthes | 2015-02-13 12:51 | footmarks

気づき

スチャダラパーの「1212」


世界人権宣言の真意
 人は、他人の命を大切だと思うことができない。
 そして他人の命を大切だと思わない思想がありもしない「正しさ」を作り上げ、それを押し通すための虐殺を許す。
 しかし、私たちには確かに、「大切な他者」がいる。
 そうした者たちが死んだとき、確かに「自分が死んでしまったこと」を知る。
 人間は、心によって生きており、心は他者によって育てられるからだ。
 だから、人間が人間を大切に思うことを、多くの国々が決めた。
 これは情緒ではなく、社会のためのルールだ。


「イスラム国」による二人の人質の死
 これによって世界中のイスラムが差別を受けることがありませんように
 このことが新たな争いに利用されませんように


世界史を学ぶ中で
 力のある人間が力のない人間を支配する
 しかし力は絶対的ではなく、ましてや特権的でもない
 弱いものは強くなり、強いものは弱くなる
 ローマの平民支配の盤石さはすごい!
 平民にとって重要なのは哲学ではなく食事だ
 しかし支配者は笑わない!慕われるのは文化だ

HK仮面とビーバップ・ハイスクール
 この二つを並べると、
 不思議とHK仮面の方が現実的で、ビーバップ・ハイスクールの方がファンタジーだ
 これはSEKAI NO OWARIとミッシェルガンエレファントを並べると、
 SEKAI NO OWARIの方が現実的でミッシェルガンエレファントの方がファンタジーだということと同じだ
 ファンタジーは、「作っている」ことが感じられてしまえばそこで関係が終わってしまう
 「そこにある」と思わせてくれなければ、ファンタジーの甲斐がない
 虚構にしか表現できない現実がある、と好きな作家が言っていた
 ファンタジーは心の表象で、それは現実には存在しないのに確かに「そこにある」という、
 魔法としか言いようのないものだ
 だからあのビーバップ・ハイスクールの冗談みたいなリーゼントも、悪ふざけも意地の張り合いも、
 ハクい不良のねーちゃんも、どうしたって可愛い中山美穂も、
 魔法の中にある
 ミッシェルガンエレファントも、そうだ
 もちろん
 

最近自分の体が自分のしたいように動く
形も具合も手に取るようにわかる
こんなことを思えるようになったのは最近だ
ああとっても苦しかった
自分を動かすための研鑽は生活を愛するために輝く


今度は遅刻をしないように
誰かを愛するために
誠意を届けるために

愛と誠!
[PR]
# by mouthes | 2015-02-04 16:54 | footmarks